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第91話 足跡

 今より百年以上前より、人類はオセアニア以外全ての大陸から放逐され、限られた生存圏の中で細々と生きてきた。


 しかし、全ての人類が無事に比較的安全な場所でぬくぬくと生きてこられた訳では無い。


 生存圏にて罪を犯し叩き出された者、限られた社会を維持の為に人身御供として都市を出た者、都市と都市を渡り歩く中で襲撃を受けて帰れなくなった者。


 他多くのものが人体強化用のグロウチウムを体内に入れることさえ出来ぬまま、遺跡化した基地や大型兵器の残骸の影で寄り添い、明日をも知れぬ日々を過ごしていた。


 いつか必ず人類側の勢力が盛り返して大陸を奪還する。


 そんな取り留めのない夢を見ることも稀となった今、また一つの集落が害獣の大集団に呑まれようとしている。


 東南アジアにて、かつては一大拠点として機能していた共同体の跡地。


 そこに空を埋めるほどに増殖した害獣が現れ、住民を恐怖の底へと陥れていた。


 沖縄の陥落以来あらゆる通信網から孤立してしまった結果、一部の害獣が太平洋側へ進出を果たしたことを知らない彼らの多くは訳も分からぬままに怯え、竦み、諦めてグロテスクな獣が群がる空をただ眺めることしか出来ない。


「そんな……この場所も持たないの……」

「本来ならもっと前に全滅していたんだ。 それを考えれば、理不尽な神とやらも人間ごときに随分と慈悲を垂れたじゃないか」

「何格好付けたこと言ってるんだよ! あんな惨く嬲り殺されるのに慈悲もクソもあるか!!!」


 迎撃に出た男達が見せしめとばかりに四肢を引き千切られて宙高くから投げ落とされるのを見せ付けられ、色濃い絶望が集落の空気を呑み込んでいく。


 備え付けの対獣機関砲に取り付いて反撃に出る者もいるにはいるが、保有する僅かばかりの弾薬では空一面に群がる害獣を殺しきることなど不可能であった。


「終わったな……この集落も……」


 シェルターに戦えない者を詰め込めるだけ詰め込んだのはいいものの、空を害獣共に占拠されている以上、遅かれ早かれ必ず破綻が訪れることを誰もがよく理解していた。


 救援の見込みのないところで籠城したところで勝ち目などなく、ただ死ぬまでの時間が延びるだけだと。


 しかし水平線の向こうより豪壮な咆哮が高らかに届いた瞬間、事態は一転した。


 空一面を埋めていた害獣達が一瞬で木っ端みじんとなり、汚い緑色の雨が集落全体へ降り注ぐ。


 突然落ちてきた臓物から人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す中、途方にくれていた子連れの男がなんとか言葉を紡ぎ出した。


「なんだ!? 一体何が……」

「パパ! ねぇあれを見てよ!」


 呆気にとられる父親の手を引いて褐色肌の少年が元気よく指さすと、周辺の人々が釣られて一斉にその先へ視線を向けた。


 深緑の血霧が立ち籠める空の切れ目の中、その奧にぼんやりと龍の影が浮かぶ。


 灼熱と零下を共に従えるそれは軽い身じろぎ一つで瞬く間に残党共を殺し尽くすと、眼下の人間には目もくれずにひたすら南を目指して飛んでいった。


 よくよく見ると空中に黄金色の帯が漂っているのが窺えるが、運良く命を拾った人々にそんな細かいものへ気をやる余裕など無く、喜びよりも困惑に包まれたまま無意識に膝から崩れ落ちる。


「なんだったんだ今のアーマメントビーストは? 似ている機体は知っているが、あんな化け物がいるなんて聞いたこともない」


 緊張から解放されて全身からドッと汗を吹かせながらも、共同体の長としての威厳を保つため素早く持ち直した村長が呟く。


 しかしそういった疑問に浸る余韻すら与えられず、今度は通信室に篭もりきりになっていた部下の慌てた声が男の鼓膜をけたたましく揺らした。


「村長! 今まで途絶していた通信が突然復旧しました! それに加えて何やら怪しげな通信が入っています!」

「ええいやかましいぞ! こんな時にクソほど役に立たない宗教の勧誘などお断りだ!」

「いえそれが違うんです! 兎に角聞いてみて下さい!」

「何を馬鹿なことを……」


 要領を得ない報告に強い不信感を抱きながらも、村長は相手の出方を探るべく招かれるまま無線機の前へ乱暴に座り込む。


 ほどなく無線機から聞こえてきたのは、麗しくもどこか覇気が無く暗い雰囲気の女の声。


「誰か……誰か聞こえますか? 誰か機械の龍の姿を見ていませんか? たった一人で戦い続けるひたむきな影を」

「答えてやるからその前に聞かせろ。 あの滅茶苦茶なアーマメントビーストは何だ? 何故害獣共が我が物顔で太平洋側まで出張ってきている? 生存圏を仕切っている馬鹿共は一体何をやってたんだ!?」

「わざわざ私が答えずとも貴方ほどの方ならよく分かっていると思います。 貴方が見た龍と私達は、その後始末をさせられているのです」

「くっ……開き直りやがって……」


 役立たずのレッテルを貼りまくって先祖を追い立てていながら、自らは害獣共に敗北を重ね続けた生存圏の真の役立たず共にイヤミを遠慮無くぶつける男。


 彼はその後も云十年もかけて溜まりに溜まった不満をぶちまけ続ける。


 しかしその時村長は気付いていなかった。 最初はもっと強い不信感を示していたはずが、無線機越しに聞こえる女の相槌によって、少しずつその穏やかな声に絆されかけていたことに。


「はぁそれで、お前さんこそあのトンデモ兵器の位置を聞き出してどうしようと言うんだ?」

「言ったでしょう? 私達は“あの龍と共に”後始末をさせられていると」


 無線機の向こう側に佇む女。


 ノゾミが意味ありげに答えた瞬間、害獣の血に沈んだ集落全体が再び何かの影によって覆い隠された。


 また害獣なのかと人々が震え上がる中、一人だけ状況を察した村長は思わず口走る。


「な……何なんだ……? お前さんらは!?」

「私は、いえ私達は全ての因縁を終わらせに来たのです。 愚かなる先人達が紡ぎ出し、勇気ある先人達が綻びを作った、滅びの運命を断ち切りに」


 窓の外に映る光景があまりに突飛すぎた為、疑問の中で溺れる村長が求めるままノゾミが言葉を紡ぎ切ると、同時に人造の怪物の咆哮が轟き、集落の中より仰ぎ見る空が文字通り裂けた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 移動するついでに目につく害獣を殺し尽くし、ドラグリヲはグレイスが大気中から観測したフェロモンを辿って飛行を続ける。


 まっすぐ目印を追ってさえいれば既に標的に追いついていただろうが、雪兎の無意識下の甘さで寄り道し続けたせいで日はとっぷりと沈み、ただでさえ寒々としていた南半球の大気はさらに強く凍てつき始めていた。


「カルマ、ちょっと暖房をつけてくれ。 ……寒い」

『何を情けないことを。 今の貴方にはこの程度別に堪えもしないでしょう?』

「うるさいな! 寒いモンは寒いし手が悴むんだよ!」


 何気ないきっかけからいつものようにたあいもない罵り合いを始める二人。


 いくつの試練を越えてなお、威厳のない主人と生意気な従者という関係が変わることはなかったが、内心二人にとってはそれが心地よかった。


 まるでじゃれあうように画面越しに文句を言い合うが、警告アラームが鳴り始めたのをきっかけに二人は再び機外の様子を注視する。


『間もなくオセアニア付近を通過します。 先方からの威嚇攻撃に注意して下さい。 狭量な彼らのことですし下手すれば当ててくるかも知れません』

「その程度でこいつが墜ちる訳ないし、そもそも大陸全土使って引きこもりやってる馬鹿相手に構ってやる義理も時間もないから気にするな。 取り敢えず通るってだけ伝えておいてくれ」


 この世界で唯一大陸に居を構える余裕故に、常に横柄で傲慢な対応を他の共同体に示してきた覇権国家。


 その悪評は雪兎も身を以て良く知っており、カルマの忠告に対してもかなり辛辣に応じるが、最低限の礼儀として領空の端っこを侵犯してやる。


「さて、そろそろスクランブルで何機か上がってくるはずだが……」

『いや、何か様子がおかしいです。 ここまで堂々と侵犯しているのに一向に攻撃の気配がありません。 それに送られてくる警告も、定型文を無理矢理使い回しているみたいで文体が色々と不自然で気味が悪いです』

「…………」


 何かがおかしいと感じるが早いが、雪兎はドラグリヲの対レーダースキンを起動させて高高度から大陸内部へ侵入を果たす。


 本来ならこれだけで撃墜されてもしょうがない行為だが、それでも防衛部隊は未だ上がってこない。


 この時点で雪兎は全てを察し、武装の安全装置を解除して一気に高度を下げた。


 ほどなく見えてくる光景は比喩ではなく地獄そのもの。


「いつからだ……、いつからこんなことになっていたんだ!?」

『別に不思議でもないんじゃないかい? 群れから孤立した個体は寄って集って叩き潰される。 それは国家であっても変わりは無かったということさ』


 雪兎が牙を噛み締め唸るように呟くと、眼下に広がる光景を見つめていたグレイスが皮肉を込めて返す。


 そこには世界唯一の超巨大覇権国家としての威厳はなく、気ままに繁殖を繰り返し山のように増殖した害獣共が基地を含めたあらゆる施設を踏み潰し、地上を我が物顔で歩き回っていた。


 鋭敏化したドラグリヲの生体センサーが人間の生存を辛うじて暴き出すも、害獣との個体数の比率は絶望的なほど大きく、この大陸で何が起こったのかを間接的に知らせてくる。


 しかし食用となる人類が絶滅しようと、害獣共にとって堪えることはなかった。


 人肉に代わって大型害獣の餌となる大量の小型害獣が、高層ビルを元とする大型プラントから生産され続け、それを基盤とする食物連鎖がオセアニア大陸内で既に完成を果たしていた。


『どうします? 我々の目的に全く影響しない連中だとは思いますが……』

「今さらそれを僕に聞くのか? 答えるまでもないだろうが!」


 赤ん坊を食い殺した化け物は一匹残さず殺してやると、激しい殺意を剥き出しにして雪兎は機体と己の神経を同調させた。


 ――その時だった。


「ぐっ!?」


 身体の内側から突然何かが膨れ上がるのを感じ取ると、雪兎は脂汗を流しながらも咄嗟に身体を丸めてそれを堪えた。


 勿論、それをカルマが見逃すはずもなくサブモニター越しに真正面から見つめながら問いかける。


『ユーザー? どうかなされたのですか?』

「いや大丈夫だ、取り敢えずあいつらを駆除し終えたらちょっと休憩しようか。 連戦が続いていたからきっと疲れたんだろう」

『……ええ、構いませんよ』


 過剰に構ってくるカルマに対して何気なく微笑んで誤魔化しつつ、勢いで戦闘へと雪崩れ込んでいく雪兎。


 そんな雪兎の横顔を、グレイスはまるで傷ましいものを見るかのように黙って見つめていた。


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