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第十七話  笑顔の確率

 無数の消防車が、列を為して耳障りな音を立てて走り去っていく。

 火の手は新宿の一画にとどまらず、都内のあちこちからあがっている。その全ては里架子達が原因であったが、当事者達以外にその事を知る者はおらず、警察や自衛隊は、原因不明の崩壊に、ただ負傷者の救出に専念するしか無かった。

「‥‥ちょっと‥‥やられちゃったな‥」

「骨‥‥‥折れてるみたい」

 那々美に肩を支えられた里架子は、最も被害の大きかった地区から粉塵と共に現われ出た。膝に巻き付けられた布には血が滲み出ている。一歩進む度に里架子は足の痛みに顔をしかめた。

「負傷者か?」

 救急隊員が近付き、里架子を担架に寝かせようとした。

「寝てる暇なんてないの!」

「怪我をしてるじゃないか! 今、救急車が来るから‥‥‥」

「うるさいっ!」

「うわっ!」

 救急隊員は、里架子の創った黒雲に弾かれた。

「全く‥‥‥」

 那々美の手から離れ、また歩きだす。

「ちょっと里架子、何をするつもり?」

「まだ‥‥‥終わってないでしょ。最後の一仕事‥‥‥」

「え?」

「和也の奴‥‥‥全く‥‥‥」

 足の痛みを忘れた様に、歩いていく。何処を目指しているのかが分かった那々美は、黙って後に続いた。

「里架子」

 元は公園だった広間の中程に、誰かが倒れている。他には誰もいない。ひび割れた地面から、地下からの空気の流れを感じる事が出来た。

 朝日の赤と、ビルの黒とか交じりあい、辺りは紫色の光で満たされる。

 大都市のほぼ中心にいるはずが、風の音だけに耳を傾け続けていると、世界中で自分達しかいない様な、不思議な錯覚にとらわれる。

「‥‥‥待たせたわね」

 胸の上で手を組んで眠っている少女は、那々美をかばって撃たれたちひろであった。

「我は‥‥‥」

「待って里架子! いったい、何を‥‥‥」

「‥‥‥換魂‥」

「え?」

「何でもない! 那々美は黙ってて!」

「‥でも、今、換魂って‥‥」

「うるさい!」

「まさか‥‥‥自分の命と引き替えにするつもりなの?」

「う、る、さ、い!‥‥‥ちひろを‥‥‥生き返らせるんだから!」

「‥‥‥」

 いつにも増して、里架子の言葉は重く感じられ、那々美はそれ以上何も言う事が出来なくなった。

「でも‥‥‥」

 里架子なりにちひろに責任を感じている事は那々美にも分かっていた。が、ちひろは自分の身代わりに命を落としたのであり、その点からも、自分の方が責任を取るべきではないのか‥‥‥そう考えるに至り、どうすべきか判断に迷っていた。

 換魂が失敗すれば、もちろん、ちひろは生き返らない。が、成功すれば代わりに里架子が命を失う。エントロピー保存の法則から、両方の命を同時に両立させる事は出来ないのである。

 那々美にはそのどちらかを選ぶ勇気はなかった。

「我は確率を極めし者‥‥‥」

 立てた里架子の二本の指に、力が集まり始める。

「里‥‥‥」 

 声をかけようとしたが、やはりそれを止める事は出来なかった。

「全ての確率は、我、里架子の望みのままにある‥‥‥」

 両手のゆび腕を素早く振り、大きな三角を宙に描く。

「‥‥我が力‥何人たりとも敵するを叶わず‥」

 おもむろに指で十字をきる。エーテルの激しい流れが、里架子の足元から吹き上げ、短い制服のスカートと髪を激しくばたつかせた。

「ただ跪くのみ!」

「だ、駄目えっ!」

 最後の言葉と那々美の制止は同時であった。

 弾けた光の中に、構えの姿勢をとったままの里架子に那々美が飛びかかり、二人はちひろの体の上に倒れた。

「‥‥あ、あんたね‥」

 頭をふらつかせながら、里架子は起き上がる。那々美も体を起こした。

「ったく‥‥‥何するのよ」

「だって‥‥‥‥」

 不機嫌そうではあったが、まだ元気な里架子の姿に、那々美は息を止めた。

「換魂‥‥‥失敗したの?」

「そんな訳ないでしょ。何度も言うけど、私はね、天才なの!」

「でも‥‥‥里架子‥‥‥まだ生きて‥‥‥」

「誰も私の命と引き替えにするなんて言って ないでしょ。和‥‥‥」

 言いかけたが、途中で口を噤んだ。

 最後に和也が放った力は、換魂の力であった。

「そんな事より‥‥‥」

 しゃがんで、ちひろの頬を叩いた。

「‥‥‥う!」

 何が起きたか分からないという顔で、ちひろは目を開けた。那々美は二人の顔を交互に見つめる。里架子は真顔でちひろに顔を近付ける。

「気分はどう?」

「‥‥何だか‥‥‥頭がぼうっとしています ‥‥‥それに‥‥‥顔が痛い‥‥‥」

 赤くなった頬をおさえる。

「あぁ、それはじきによくなるって」

 里架子はバツが悪そうに頭をかいた。勢いをつけて立ち上がったせいで、足の痛みを思い出して、膝を折った。

「痛ぁ‥‥‥」

「里架子!」

 倒れる前に那々美に肩をつかまれる。反対側をちひろに支えられた。

「先輩、脚‥‥‥血が出てます‥‥‥」

「‥‥転んじゃってさ‥」

 顔をしかめていた里架子は、次第に圧し殺した笑みを浮かべ始める。

「どうしたの?」

「‥‥何かさ‥‥皆、ぼろぼろだね‥」

「‥‥‥」

 里架子の頭越しに、那々美とちひろは顔を見合わせた。煤と埃で顔中、真っ黒で、所々に誰のとは分からない血がこびり付いている。

「終わった‥‥‥んですか?」

「‥‥‥そうね」

「ふ‥‥‥ふふふふふ‥‥‥」

 ついにちひろも笑いだす。見ていた那々美の顔も綻び始める。間の里架子は、逆に眉間にシワを寄せた。

「‥‥‥全く‥‥二人とも気楽なんだから‥ ‥‥」

 崩れかけた壁の陰に野絵実を見つけ、ため息をついた。

「お姉ちゃんまで‥‥‥いいけど‥‥‥さ‥ ‥‥」

 気力を使い果たし、疲労の極にあった里架子は、二人に支えられたまま、眠ってしまった。

「それもいいかもね‥‥‥」

 二人はひび割れたアスファルトの上に里架子をおろした。寄り掛かるとたちまちのうちに眠ってしまった。

「那々美先輩まで‥‥‥駄目ですよ」

 道端に眠り込んだ二人の魔法使いの始末に困り、ちひろもその場に座り込んだ。





 季節はその節目を感じさせる事なく、緩やかに真夏へと向かっていく。

「この辺て、ど田舎‥‥‥」

 床が木造りの旧式の電車の窓から見える景色は、見渡す限り草原である。車内にエアコンの類は無く、開け放たれた窓からの風が、中を駆け抜けていく。

 硬い座席には、三人の少女達の姿があった。

「ほら、いつまでも寝てないの!」

 シャツにキュロットズボンという軽快な服を着た里架子が、寝ていたミニスカートの少女の頭を叩く。

「あれ? もう着いたんですか?」

 ちひろは頭をさすりながら、寝呆けた顔で辺りを見渡す。

「もうそろそろのはずだけど‥‥‥」

 肩の出た長いノースリーブの少女‥‥那々美は、窓の景色から目を離さずに、答えた。

 学校が夏休みに入り、三人は旅行に行く事になった。

「あ、あそこ、牛!」

「ウシ! 本物? 何処?」 

 里架子が指差した先には、丘になった牧場に、何頭かの乳牛が放牧されていた。三人は珍しい生き物に、窓から身を乗り出す。

 電車は草原を越え、目的地である町へと着いた。

「うーん‥‥‥気持ちいい‥‥‥」

 ほとんど同時に飛び降りた里架子は、伸びをして青空に顔を向けた。野を越えて吹き付ける風は、夏の風、そのもののであった。

「そう?‥‥‥あ、あれは‥‥‥」

 次に降りた那々美は、すぐにその場を離れて、売店に向かった。

「ちょっと! これから旅館で夕食食べるんだから、こんな所で食べなくてもいいでしょ

「でも駅弁て、滅多に食べれないし‥‥‥あ、すごい、これ、釜飯じゃない!」

「そんな事、言って、さっきも、食ってたじゃ ない。売り子が来る度に、弁当買って。そ のうち太るって」

 ”せ、先輩、ま、待って下さいよ!”

 後ろから大荷物を持ったちひろが、足をよろけさせながら歩いてきた。背中には自分より大きなリュックを背負い、両手には旅行用のスーツケースを持っている。

「ひい、はあ‥‥」

「遅い、遅い! そんなんじゃ、日が暮れちゃうよ」

「だって‥‥‥重い‥‥‥」

 スーツケースを地べたに置き、ふうと一息つける。

「少し、私が持とうか?」

 那々美が手を出したが、

「甘い! 先輩の荷物持つのは後輩の務めっ昔から決まってるでしょ」

「そんなものなの?」

「そうそう」

 里架子に止められた。

「だいたい、あとちょっとじゃない。これぐらいの物も持てない様じゃ、理力覚えよう なんて無理、無理」

「そんなぁ‥‥‥」

「これも修業の一貫、さ、ファイト、ファイト」

「はあ‥‥」

 背中を押されて再び歩きだしたが、ものの数秒でちひろだけ遅れ始める。

 ”うー、ふー”

「ふふ」

 振り向いた里架子は笑って、それから鼻歌を歌い始める。

「ねえ」

 里架子は隣の那々美の耳に顔を近付けた。

「その歌って、昔、流行ってた歌でしょ?」

「‥‥うん」

 里架子は辺りに視線を走らせた。

「何だか、歌詞のわりに、楽しそうに歌うのね」

「‥‥‥そうだね」

 肩をすくめる。すぐ近くの上の木の枝に、座っている笑っている姉を見つけた。

「もう悲しい歌じゃないからねー」

「?」

 首を傾げる那々美を見て、里架子はまた笑った。



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