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執務室を後にした俺たちは、廊下を並んで歩いていた。

シリルは一言も発さず、微笑みを浮かべているが、俺の方はまだ緊張が抜け切れていなかった。

キース卿の試練も、モルディスの件も終わったはずだが、どこか心にざわつくものがある。


──本当に、俺にシリルを守り切る覚悟があるのか?


そう問いかけるキース卿の声が、まだ耳に残っている。


「アレックス様、大丈夫ですか?」


ふと、シリルの柔らかな声が耳を打つ。

気付けば、俺は足を止めていた。


「……いや、大丈夫だ」


そう答えると、シリルは俺の顔をじっと見つめ、ふっと笑った。


「アレックス様らしいですね。緊張が滲み出てますよ」


その言葉に、俺は少しだけ苦笑した。


「シリル。部屋まで送る。今日はゆっくり休め」

「アレックス様も、ですよ。こんなに頑張ったんですから」


俺は彼を部屋まで送り届け、扉の前で軽く頭を下げた。

だが、シリルが突然扉を開け、俺の腕を掴んで中に引き込む。


「少しだけ、僕と話してくれませんか?」


その瞳に込められた真剣な願いに、断ることはできなかった。



シリルの部屋は静かだった。

カーテンの隙間から月明かりが差し込み、彼の銀髪を淡く輝かせている。

俺たちは向かい合って座ったが、なぜか心臓が落ち着かない。


「アレックス様」


彼が小さな声で呼ぶ。


「僕、本当にアレックス様に感謝しています」

「……何のことだ」

「何って……今日も僕を守ってくれたじゃないですか。命がけで」


その言葉に、胸が詰まるような感覚を覚える。

だが、俺はそれを隠して静かに告げた。


「それが俺の役目だ。護衛官として当然のことをしたまでだ」

「……役目、ですか」


シリルの金色の瞳が少しだけ陰る。


「それだけ……?」


彼の問いに、俺は答えられなかった。

心の中に渦巻く感情が整理できないまま、ただシリルを見つめる。


──だが、それでは駄目だ。


「シリル」


俺は小さく息を吐き、彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「俺にとって、お前はただの護衛対象じゃない。……お前の笑顔も、声も、そのすべてが俺にとって大切なんだ」


一瞬、シリルの目が大きく見開かれた。


「だから、俺はお前を守り抜く。どんな状況でも。どうか俺の隣に居てほしい、シリル」


言葉を吐き出した瞬間、緊張が解けたのか、全身の力が抜けるようだった。

だが、次の瞬間──シリルが俺に飛び込んできた。


「アレックス様……!」


彼の小さな体が俺にぶつかり、その腕がしっかりと俺を抱きしめる。

俺は彼の背に手を回しながら、微笑んだ。


「大好きです、アレックス様」

「……お前がそう思ってくれるなら、それだけで十分だ」


だが、シリルが顔を上げ、少しだけ頬を赤らめながら囁いた。


「でも、僕には十分じゃありません」


そう言うと、シリルはぐっと押し出すように俺をベッドに押し倒した。

なんという偶然か、後ろはベッドだったのだ。もうこれはチャンスがシリルに味方しているようにしか思えない。


「アレックス様には、もう少しだけ頑張ってもらいます」


シリルの瞳は真剣そのものだった。


「おい、シリル──!」


俺が抗議の声を上げる間もなく、シリルが顔を近づけてきた。

そのまま俺の額に軽く口付けし、微笑む。


「これで緊張、ほぐれました?」


その問いに、俺は返す言葉が見つからない。

だが、シリルが目を細めてこちらを見つめてくると、胸の奥が熱くなり、つい彼を抱き寄せた。


「お前、ほんとに……」


呆れながらも、その温もりが愛おしくてたまらなかった。

上にいるシリルの髪に口づけた後、身体を動かして今度は俺がその細い身体の上に乗った。全体重をかけては潰してしまいそうなほど、細い。


「……大人を揶揄うもんじゃない」


俺を見上げてくるシリルの瞼の上に身を屈めて唇を落とす。

そのまま頬に口づけ手から口端に唇を寄せる。


「……シリル……」


お互いの唇をそっと触れ合わせると、シリルの柔らかな唇の合間から熱い息が漏れた。

それに誘われるかのように俺はその唇を息ごと覆うように奪った。

舌を伸ばしてうっすらと開かれた場所から咥内へと忍び込ませて、小さな舌へと己のそれを押し付ける。そうすると、シリルの身体が僅かばかりに揺れる。

掬うようにしながら舌を絡ませて吸い上げた。


「……ふ、ぁ……」


甘い吐息がシリルから漏れる。

それに呼応して、俺の身体の中で熱がずくりと疼いた。


──これはまずいな……これ以上は、止められなくなる。


生まれた時から知っているぐらいだ。

付き合い自体は長いが、恋人としてはつい最近始まったばかりだ。

このまま自分のものにしてしまいたいという欲望がないと言えば嘘になる。

けれど、もう少しちゃんと段取りたいという気持ちも大きかった。

最後にもう一度緩く吸い上げてから顔を上げる。


「……アレックス様……?」


とろりと熱を帯びた瞳が誘惑するように揺れている。

俺はぐっと堪えるように息を飲みこんでから、上半身を起こす。


「……今日はここまでだ、シリル」

「……や、です」


俺の腕をシリルが引っ張ろうとする。

その様さえ今の俺からすれば随分と誘惑めいているのだが……。

手を伸ばしてシリルの頬をゆっくりと撫でる。

そうしてから、身を再度屈めてその額に口づけた。


「大事にしたいんだ……俺のシリル」


そう言うと、シリルが数度瞬き、そして微笑む。


「仕方ないですね……今日はこれで許してあげますね。僕のアレックス様」


言いながら、俺の頬に口付ける。

何だかすでにシリルに手綱を握られている気がするな……そう思いながら俺も笑う。

──まあ、それもいいのかもしれない。



夜は結局、シリルから強請りに強請られ、理性と戦いながら一緒のベッドで眠ったのだ。

朝は少しゆっくりと……と思っているところで、静かな邸内に響き渡る騒がしい声で俺たちは叩き起こされた。


「おーい!アレックス!シリル君!起きているかー!」


──父だ。


リビングに降りると、案の定、バーナードが満面の笑みで待ち構えていた。


「招待客の一覧をまとめてきたぞ!陛下も参加確定だし、デリカート邸でやるなら敷地内の見晴らしの良いところがいいんじゃないか?あと、花嫁衣装の試着も決めておかないと!」


その言葉に、俺は額を押さえた。

招待客とは何の……いや、結婚式がどうのとか、先日騒いでいたことを思い出す。


「父上……朝から煩すぎます。それに早すぎですよ。俺とシリルはまだ……」

「なんだ⁈結婚しない気か⁈」

「いや!そういうわけではなく!まずはそもそも婚約でしょう……」


横を見ると、リアムが苦笑いを浮かべながら立っていた。


「兄様が止めないから、僕がフォローしているだけです」


その隣ではキース卿がにっこりと笑っている。


「いいじゃないか、リアム。結婚式の相談を始めるのも悪くない。アレックス君にはちゃんと責任を取って貰わないとね」


「お父様、家督は私が継ぎますから!大丈夫ですよ!」

「セシリアは本当に女侯爵を目指しているんだね……」

「勿論です!お兄様!なので嫁いで頂いて大丈夫ですよ」


セシリアの抗議に場の空気がさらに賑やかになる。


俺はその喧騒を見つめながら、そっとシリルの手を握った。

彼が微笑み返してくれるその瞬間、俺は胸の中で静かに誓った。


──まだまだ父やキース卿をはじめとする家族に振り回されるだろう。だが、この少年を守るため、俺はどんな困難にも立ち向かう。シリルと共に未来を紡ぐのは俺の役目だ。


騒がしい声が響くリビングの中、俺たちは確かな絆で結ばれていた。

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