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第13話

「初めまして。畑野です。よろしくお願いします」

 久しぶりに会った健司は、少し髪が短くなっている。より彼の爽やかさが強調されていて、とても感じがよかった。

「初めまして、九条です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 副社長は穏やかな表情を見せて、健司をソファへ促した。健司も長身だから、副社長と視線の高さがほぼ一緒だ。

「失礼します」

 健司が恐縮した様子で腰を下ろしたのを見届けて、私はお茶を入れるためいったん部屋を出る。あの美味しいお茶を、健司にも飲んでもらいたい。

(前に会ったときより、凛々しくなってるな……)

 学生時代にもモテていたけれど、あの感じだと今も女性に人気があるだろう。そういえば、学生の頃から彼女の話は聞いたことがない。

 今度、それとなく聞いてみようかな……。

「失礼します」

 副社長と健司の湯呑みを置くと、健司が小さな笑顔を向けてくれた。

「ありがとう。いい匂いがする」

 湯気が立つ湯呑みからは、香ばしいお茶の匂いが漂っている。気に入ってくれたようで、私も笑みを返した。

「お二人は、同じ大学の友達同士なんですよね。それなら、積もる話もあるでしょう?」

副社長がそう言うと、健司はすぐに視線を戻した。

「はい。久しぶりなので、たくさん話したいこともありますが。でも、今夜にでも電話をしますので大丈夫です」

 目を細める健司に、副社長も小さく口角を上げる。初対面でも穏やかな空気が流れているのは、副社長の人柄もだけど、健司が優秀な人だからでもあると思う。

「それでは、失礼します」

 今日は、大事な資金計画の話があるのだ。プライベートのことで、時間を取られている場合ではない。

 私は会釈をすると、執務室を出た。二人がどんな話をするのか聞いてみたいくらい、きっとビジネスの深い話をするのだろう。

(凄いな……)

 健司の頑張っている姿を垣間見て、私も負けないでいようと気を引き締め直していた──。


「九条副社長って、想像以上にオーラのある人だったよ」

「でしょ? 本当に、素敵な方なのよ」

 健司は昼間の言葉どおり、夜に電話をしてくれた。寝る準備を終えている私は、ベッドで寝転がりながら話をしている。

 こんな風に電話で話すのは久しぶりで、とても楽しい。

「噂には聞いていたけど、今まで副社長を拝見したことはなかったんだ。だから、今日初めてお会いして、ドキドキしたよ」

 健司は笑いを交えながら、楽しそうに言った。こういうところは、学生の頃から変わっていない。

「同性でも、ドキドキした?」

「したよ。乃亜は毎日一緒なんだから、大変なんじゃないか? 意識するだろ?」

 さすが健司はよく分かっていて、私は思わず苦笑する。顔を合わせて話していたら、本音を悟られただろう。

「意識しないと言えば嘘になるけど、さすがに身の丈に合わない感情は抱かないわよ」

「そういえば、彼女さんと別れたって噂あるよな。結婚寸前までいったとか。もしそのとおりなら、今は誰も好きになれないかもな」

 健司の言うことはもっともなのに、胸がチクっと痛んでしまう。副社長に失恋という事情がなくても、私には雲の上の人だ。

 本気で恋をしたって、最初から叶わない想いなのに……。それでも私は、日に日に副社長に惹かれていた。

「本当、そうだよね。副社長は、今は誰とも恋愛したくないんじゃないかな?」

「まあ、相手は九条商事の御曹司だからな。元々、世界が違う人だから。その点、俺は同じ世界の人間だよ」

「なに、それ?」

 クスクス笑うと、健司はそれまでの陽気な調子から一転、真面目な口調になった。

「俺となら、付き合えるんじゃない?」

「え?」

 それは、どういう意味だろう。言葉を失っていると、健司はまた明るい調子に戻った。

「なんてな。九条副社長より、俺は手が届きやすいってことだ」

「健司ってば、なに言ってるのよ」

 私も笑い飛ばしてみたものの、健司の言葉が少し引っかかってしまった。とはいえ、まともに受け止めてはいけないかもしれないし……。

(健司は、そんなタイプじゃないもんね)

 恋愛を抜きにした心地いい関係を続けてきたのだから、さっきの彼の言葉は深い意味はないはずだ。

「まあ、これからもよろしくってことで。乃亜、また連絡するよ」

「うん、またね」

 電話を切り、しばらくボーっとする。やっぱり、健司の言葉には、なにか意味があったのだろうか。

 いや、そんなはずはない。学生の頃から、含みのあることを言うような人ではなかったのだから。

 私が意識しすぎているのかも……と考えていたとき、スマホの着信音が鳴った。健司から、再び電話がかかってきたのか。

 驚いていると、ディスプレイに映し出された名前を見てさらにびっくりしてしまった。

「ふ、副社長!?」

 次は副社長からで、ドキンと胸が跳ねる。ベッドから起き上がると、電話に応答した。

「は、はい」

 健司のときは陽気に出られたのに、相手が副社長だと緊張する。少し手が震えて、スマホを持ちかえた。

「遅くにごめん。今、大丈夫?」

「大丈夫です。なにかありましたか?」

 副社長の口調が硬くて、なにか緊急のことだろうかと心配になってくる。気を引き締めて返事を待っても、彼の言葉が返ってこない。

「副社長? どうかされましたか?」

 彼らしくなく、より心配になってくる。仕事のことか、それとも元カノのことか。副社長は、私になにを話したいのだろう。

「畑野さんから、電話きた? 昼間、そんなこと話されてただろ?」

「は、はい。ついさっきまで、健司と話してたんです」

 特別、用事があるわけではないのかな? 副社長からの電話の意図が分からず、彼の反応を意識してみた。

「そうか、どおりで……」

「え?」

「いや、なんでもないよ。明日の夜なんだが、空いてるか?」

 別に食事に誘われているわけではないのに、ドキッとする。自分の気持ちを自制しながら、ゆっくり答えた。

「はい、予定はありません」

 もしかしたら、取引先との食事の同行かもしれない。プライベートの誘いとは限らないのだから、浮かれそうになる心を深い場所に追いやった。

「じゃあ、夕飯を一緒にしないか? 明日の夕方は、俺はアポがあるから。店で、待ち合わせにしよう」

「分かりました。あの……。食事は、他の方もご一緒ですか?」

 もし二人きりなら、誘われた意味をしっかり理解したい。副社長とプライベートを過ごす機会が増えるのは、できれば避けたいと思っているからだ。

 もうこれ以上、彼に惹かれたくない……。

「二人だが……」

「そう……ですか」

 どうして、明日の夕飯を誘ってくれたのだろう。業務提携もあるし、仕事の話だろうか。いや、彼はプライベートの時間を使ってまで、仕事の話をする人ではない。

 じゃあ、どうして……? 寂しさを埋めるためではないと、副社長は言っていたけれど……。

「迷惑か?」

「いえ、そんなことありません。では、明日……」

 次のお誘いは、理由によっては断ることにしよう。私なりに覚悟を決めて、副社長と短い電話を終えたのだった──。


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