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第37話 神様はちゃんと見てる

「テミス! 持ってくるのはそれじゃないぞ!? ちゃんと棚の上にあるやつって言ったんだぞ!?」

「え~!? 棚の上ってこれじゃないなの!?」


 アントニオは部屋の中をバタバタと走り回る2体のオートマトンの声に、顔を上げた。


 最近、ティアというピンク髪のオートマトンの元に、テミスという紫髪の妹ができたそうだ。

 彼女は教会から来たらしいが、アントニオは面識がない。


 大方、神父や司教の下にいたオートマトンなのだろう。


 それにしても……と、いまだ視界の中を右往左往する派手な色合いの2つの頭を見てため息をついた。


「騒がしい2人だな……」

「いいじゃないか、アントニオ。ここしばらくアドニシアさんとも会えなかったから、あの子たちがいるだけでもみんな元気になるさ」


 隣でアントニオの作業を手伝っていたジャスパーが、その爽やかな笑顔を向けてくる。

 彼は教会の教えを破り、このクレイドルに身を寄せた――いうなれば異端者だが、もうそのことについてアントニオが何かを言うことはない。


 不思議なものでクレイドルに来てから、そういった負の感情が浮かぶことが少なくなった。

 誰かを妬んだり、何かを後悔したりといった考えに、頭の中を占領されることがなくなったのだ。


 結局、それは感情の問題で、やはり優先すべきはクレイドルプロジェクトの安定なのだ。


 アントニオはそう割り切ることができた。

 それに、ジャスパー自身は嫌な男ではない。むしろ周囲の雰囲気を明るくするような男だ。


「まぁ……それもそうか」


 アントニオは彼に同意する。

 そして、彼の言葉の中で気になっていることについて話題を振った。


「それにしても聖女様は大丈夫なのか? もう10日は顔を見てないぞ」

「ベローナさんに訊いても体調を崩してるっていうばかりだからね……。俺も心配だよ」


 これまでは毎日顔を出し、何かしらの雑談をしていたはずのアドニシアが来なくなってしまった。

 レインによれば、その直前にも様子がおかしかったという話は聞いている。

 アントニオはあれだけ元気だった彼女が床に伏せている様子が想像できず、それが逆に不安を掻き立てた。


「はい! 今日のお昼ご飯なの!」


 そうしていると、明るい声と共に紙製のランチパックが目の前に差し出された。

 顔を上げると、テミスが満面の笑みをこちらに向けている。


「ああ、ありがとう。テミスくん」

「どういたしましてなの!」


 テミスは外見の割に礼儀正しく、正直な良い子だ。

 オートマトンとして人に好かれるようプログラムされていれば当然なのだが、どうしても子供のように扱ってしまう。


 アントニオは昼食を受けると同時に、彼女に声をかけた。


「嬢ちゃん。教会から来たんだってな? 向こうの連中は元気にやってるか?」

「うん! 元気なの! だいじょーぶなの!」


 その問いにテミスは朗らかな表情を崩すことなく即答する。


「そうかい。そりゃあよかった」


 そう言われて、アントニオは安堵する自分がいることに気づいた。

 ここでの生活はとても充実している。教会で苦しかった生活とは大違いで、残してきた仲間が心配だったのだ。


 会話を終えたテミスが他へと駆け去る。

 それを見届けたあと、ジャスパーが口を開いた。


「……元気、ってことはありえるのかな」

「なんだって?」


 水を差すような彼の言葉に、アントニオは聞き返す。

 すると、ジャスパーは眉間を押さえて首を振った。


「……いや、すまない。忘れてくれ。君と同じように、向こうにいる人たちが少し気になっただけなんだ」

「そ、そうか……」


 アントニオはそれ以上、深くは聞かなかった。


 ジャスパーも気の迷いだったようで、すぐ謝罪をしているのだ。

 ここで突っかかって雰囲気が悪くなるのは避けたい。


 しかし、アントニオは内心で、彼の言ったことを反芻していた。


 自分たちが出発したときにはすでに、教会の生活環境は劣悪といってもいいほどだった。

 そのことに気づいたのは、クレイドルでの生活に触れてからだ。


 今の自分たちが健康そのもので、活気に溢れているといってもいい。そんな自信にも満ち溢れている。


 それと比べて、本当にテミスの言うように教会の仲間は「元気」なのだろうか。

 上位モデルのオートマトンが、客観的に見てあの環境を「良好」だと判断するだろうか。


 隣のジャスパーは黙々と作業を続けている。


 アントニオは話を蒸し返すことを避け、同じように仕事へと戻るのだった。



 ◇   ◇   ◇



 ウィーラーは電子機器の中でも大型の機械を扱うエンジニアだ。

 分野的には機械工学に寄っているといってもいいだろう。


 だから、機械を綺麗にすることも仕事の1つで、代わりに自分の手は錆や油にまみれる。


 その仕事に、ウィーラーは誇りを持っていた。

 油臭く、汚く、力仕事でもあるこの仕事をしているウィーラーに近づく者は少ない。


 だが、横から昼食のパックの差し出されて、驚いて顔を上げた。


「はい、ウィーラーさん。ご飯なの!」


 テミスだった。

 最近、教会から来たというこのオートマトンは、誰にも隔たり無く接している。


 交友関係も少ないウィーラーにとって、彼女は数少ない自分を名で呼んでくれる存在の1人だ。

 昼食のパックを受け取って礼を言うと、テミスが顔を近づけてくる。


 きっと仕事の内容を見たいのだろう。


 そう思って、譲るように身を引いた。だが、肩に手が置かれ――。


「――……神様はちゃんと見てるのなの」

「!?」


 耳元で響いた鈴を転がすような少女の声に、ウィーラーは身を震わせる。

 続けて紡がれる言葉に、無意識に顔を伏せてしまった。


「テミスのお願い、ちゃんと聞いてくれてるなのなの?」

「あ、ああ……」


 彼女の言う「お願い」を、ウィーラーは言われた通りに準備している。

 決して他に口外してはならないそのことを、この子は世間話のように確かめてくるのだ。


 それが至極当たり前で、決して逆らってはいけない掟のようにウィーラーには感じられた。


「嬉しいなの! ウィーラーさんはすごいなの!」


 テミスはウィーラーの答えに、胸元に手を引き寄せて喜んだ。

 傍から見れば、微笑ましく会話をしただけのように思えるだろう。


「テミスー!? さっさとしないと終わらないんだぞ!?」

「はーい!」


 桃色の髪のオートマトンの声が、テミスを呼ぶ。

 彼女は元気よく返事をして、その場をあとにするのだった。



 ◇   ◇   ◇



「あ~、やっと終わったんだぞ。いつもはあるじの仕事だったから……あるじも大変だったんだぞ」


 午前の仕事が終わり、ティアは廊下を歩きながら背伸びをした。

 人数分の昼食を配っただけだが、誰もかれもが声をかけてきて、その場で会話に引き込もうとしてくる。

 別に話をするのが苦手なわけではないが、その人数が多いとさすがに気疲れするのだ。


「お姉ちゃん。テミスもお姉ちゃんのマスターに会えないなの?」


 すると、後ろを歩くテミスが声をかけてきた。

 いずれ訊かれると思っていた内容に、ティアはすぐに答える。


「今は駄目だぞ。あるじは引きこも――調子が悪いんだぞ」

「それだけなの?」

「……? どういう意味だぞ?」


 彼女の落ち込んだような声色に、ティアは振り返った。


「テミス、まだみんなに信用されてないから会えないのかなって……思ったのなの」


 視線を床に落として制服の裾を掴む姿に、いつかの自分の姿を幻視する。

 相手が子供たちならば、そんなことはないと勇気づけるところだ。


 だがティアは、声のトーンを落として答える。


「……正直に言えばそうだぞ。テミスは頑張ってるけど、どうしようもないんだぞ」

「やっぱり、そうなのなの。ちょっと寂しいなの」

「でも、だぞ!」


 肩を落とすテミスに、ティアは体を大きく広げて強調した。


「あのイーリスだって、あるじのことを信用するのに何か月もかかったんだぞ!」

「なの? イーリスが、マスターを信用するのに、なの?」


 テミスは困惑したように訊いてくる。

 それもそうだろう。オートマトンはマスター登録されれば、その人物の命令を忠実に聞く存在だ。


 けれど、当時のイーリスは人間嫌いが激しく、アドニシアを信用していなかった。

 アドニシアもマスター登録をイーリスに強制することはなく、そのままの期間がしばらく続いたのだ。


「そうだぞ。最初はすっごく冷たくて……ぶっちゃけあるじもだいぶヘコんでたんだぞ」

「今は違うのなの? イーリスもテミスのこと、あんまり信じてくれてないなの」


 テミスはイーリスに対し、あまり良い印象を抱いていないようだ。

 子供たちとアドニシアの安全に対して、一番敏感なのはイーリスなのだから、突然現れたテミスを警戒するのは当然だ。


 しかし、そんなイーリスが最も他人のことを考えている事実を、ティアは知っている。


「今はもうあれだぞ。2人きりになるとベッタリで、言うところのヤンデレだぞ。怖いんだぞ。迂闊なこと言うと、漫画とかアニメとかの閲覧権限を剥奪されるんだぞ」

「それは怖いのなの……?」


 ティアは言外に、怖いとしてもそれくらいだということをオーバーに表現した。そもそも実際にティアがイーリスを恐れているのはそれくらいなので、これが最大限の怖さということでもある。


「あちきにとっての趣味を人質に取られてるんだぞ! もうあれだぞ。恐怖政治だぞ!」

「そ、そうなの……。お姉ちゃんはオタクさんなのなの……」


 熱弁するティアに、テミスは若干引き気味に納得したようだ。

 それでいい。そのくらいの適当な塩梅で自分たちは関係を築いてきたのだ。


 テミスにも、このクレイドルの家族に加わってほしいとティアは思っている。

 今は形式番号が並びというだけで姉妹という体を取っているが、いずれは心からそう思えるように。


 ティアはまだテミスのことを理解できていない。


 テミスもまだ、自分のことを理解してくれてはいないだろう。

 もちろん互いのことを完全に理解することは不可能だ。それはイーリスやベローナとの関係でわかったことだ。


 だから、理解できる範疇で、互いを思えるように。

 家族と認められるように。


 ティアは姉として、テミスを導きたいと思うのだった。


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