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第42話 時計の針が少しずつ

「司教様!」


 胸の内で膨れ上がっていく焦りに、ヴィンセントは弾くような勢いで礼拝堂の扉を開けた。

 その不躾な行為に、奥にいた司教たちは目を丸くする。


「どうしたのです。ヴィンセント神父、そんなに血相を変えて……」


 彼らは暢気にもティータイムを楽しんでいたようで、カップを片手に大司教が問いかけてきた。


「保管していたオートマトンに命令を下しているのは、なんの意図があってですか!?」


 ヴィンセントの叫びに、場が静まり返る。

 司教たちは返答に困ったように、互いの顔を見合わせた。


 しばらくの後、大司教が眉間に皺を寄せて口を開く。


「……神父、意味がわかりません。少し落ち着きなさい」


 意味が分からないのはこちらだ、とヴィンセントは思った。


 この大司教はいつもそうだ。

 子供に言い聞かせるかのような、その物言いに腹が立つ。

 司教たちの意見をまとめているようだが、ヴィンセントにはその指示の意図がわかりかねることが多い。


 逆に、今まさに外でオートマトンが稼働していることくらい把握しているだろうに。

 その意志疎通の難儀さがヴィンセントには苦痛だった。


「そうだ。あのオートマトンを使って通信を中継、クレイドルの状況を探るために動かしたのはお前だと聞いているぞ?」


 エーヴェルトは腕組みをして大司教の返答に補足を重ねる。


 相手を威圧するだけが取り柄の男の話など聞くに値しない。

 なおかつ、その答えはある程度予想していたものでだ。

 ヴィンセントはかっと頭に血が昇り、いつもエーヴェルトがしていたように声を荒げる。


「私はそんなことをしていない!」


 もうコリゴリだ、とヴィンセントは思った。

 目的のわからない指示を出し、情報源すら共有せず、自分たちは素知らぬ顔をして勝手なことをしている。

 あまつさえテミスを自分から引き離した司教たちを、ヴィンセントは許せなかった。


「待て待て。たぶん何か齟齬があったんでしょう」


 ベネディクトがいつものへらへらとした調子で場を収めようとする。

 自分と歳は変わらぬだろうに司教の椅子に座るこの男が、ヴィンセントは鼻持ちならない。


 齟齬とはなんだ? こちらは逐一報告を行っているというのに、勝手な解釈や別の情報を持ってくるのはいつもそちらだろうに。


 彼らが小声で話し合う中、フローレンスのしわがれた声がこちらに向けられた。


「そもそもあのオートマトンへの命令権限は誰にもありません。管理を任せていたのはヴィンセント神父……お前でしょう?」


 彼女が手で指し示しているのは自分だ。


 そのことに、ヴィンセントは衝撃を受ける。

 管理を任されたわけではない。他に管理する人間がいないから、まとめて押し付けられていただけだ。


 使う予定のない素体状態のオートマトンなど、倉庫にしまっておく以外にどう管理すればいいというのか。


「わ、私が動かしたと……?」

「だから、そうとしか考えられぬが……」


 ヴィンセントは後退る。

 そこで、1つの可能性に至った。


 司教たちは、責任を自分だけに押し付けようとしている。


 あの無数のオートマトンを差し向ける理由など、1つしかない。

 邪魔な聖女と、神の教えに反するクレイドルを排除することだ。


 だが、表立ってクレイドルを襲えば、向こう側にいる教徒たちから反発が出るのは必至だろう。

 教徒たちやテミスが怪我をする可能性もある。


 しかし、その原因がすべてヴィンセントにあるとされれば、どうだ。

 自分を悪者として仕立て上げれば、教徒たちは納得するだろうか。


 するだろう。


 司教たちが黒だといえば、それが黒だと信じるのが教徒たちという愚かな存在なのだから。


「……! あなた方の好きにはさせませんぞ!」

「ヴィンセント神父!? 待ちなさい! 神父!」


 大司教の制止を振り切って、ヴィンセントは勢いよく礼拝堂を出る。


 それまでの違和感と気づいた可能性が結びつき、疑念は確信めいたものとなっていた。

 司教たちにさえ従っていれば安息の日々を得られると思っていたのが、そもそも間違っていたのだろう。


 ヴィンセントは彼らの思惑を阻止するために、薄暗い廊下を走るのだった。



 ◇   ◇   ◇



 サンドラはその日の朝、同室の者たちを集めて話し合いを行った。

 クレイドルに向かった仲間たちが子供と一緒に写る写真と、アントニオが書いたとされる文章を共有し、自分たちのすべきことを今一度、確かめ合ったのだ。


 その結果、やはり教会に身を置いたまま生を終えるよりも、クレイドルプロジェクトに協力することを皆は選んだ。


 サンドラは迷いのあった自分の背中を押されたような気分で廊下を歩いていたところ、それを目撃した。


 オートマトンだ。

 すでに遠くに歩き去っていく姿だけだが、多数のオートマトンが荷物を手に区域外へ向かうところだった。


 きっと、あれはクレイドルに協力するため移動させているに違いない。

 であれば、司教様や神父様も、自分たちの選択を肯定してくれるはずだ。


 サンドラはよりいっそうの自信を高めて、目的の人物を見つける。


「神父様!」


 遠くから廊下を走ってくる黒い神父服は間違いなくヴィンセントだ。

 名を呼んで彼に駆け寄ると――。


「なんだッ!?」

「ひっ……」


 ヴィンセントは怒りの形相でこちらを睨んできた。

 その気迫に戸惑いつつも、サンドラは皆の意志を伝えようとする。


「あ、あのオートマトンたちはクレイドルへ行かせるのですか? なら、私たちも向こうに行きたいのです! アントニオたちと共に協力して……」

「今はそれどころではない! 好きにするがいい!」


 だが、ヴィンセントの答えは投げやりなものだった。


「は、はぁ。ですが……」

「クレイドルにでもどこにでも行け! もう好きにするがいい! 私を頼るな! 私のせいにするな! 私に押し付けるな!」


 普段の丁寧な態度とは想像できないほど、彼は癇癪を起こしたようにわめき散らす。

 サンドラがそんなヴィンセントの様子に呆気に取られていると、彼はそのまま廊下の奥へ走り去ってしまった。


「おい、サンドラ! どうした?」


 呆気にとられたサンドラへ声がかかる。

 ハワードだ。


 彼はクレイドルへ向かう皆をまとめていたはずだが、準備は済んだのだろうか。


「し、神父様が……」

「ああ、ヴィンセント神父はなんだって?」


 問われて、サンドラは衝撃に自分が言われた言葉の意味を整理できていないことを悟った。

 いまだ跳ね続ける鼓動を抑えながら、断片的に言葉を絞り出す。


「す、好きにしろって……。私を頼るなって……」

「……本当か? 彼がそんなことを? ずいぶん責任感に欠ける言い様なんじゃないか」


 そんなことを言われても、と思ったが、サンドラは慌ててそれをフォローした。


「こ、ここのところ神父様もお忙しいから……言葉が荒くなってしまっただけ、なんじゃないかしら」


 もしかしたら、自分の伝え方が悪かったのかもしれない。

 サンドラの中ではまだ、丁寧な態度だったヴィンセントの人物像は完全には崩れていなかった。


「なら、許可は取れたってことでよさそうだな」

「そ、そうね。素体だけどオートマトンもクレイドルの方に向かっているし、きっと彼らに協力するための第一歩なのよ」

「素体のオートマトン? そんなものがあったんだな」


 ハワードは首を捻ってみせたが、納得はしたようだ。

 常にエネルギーの不足している教会で、無駄にオートマトンを稼働させる意味はない。


 ならばクレイドルで使用してもらった方が建設的な使い道だろう。


「それじゃあ、その後を追おう。ゆっくりでいい。皆、あまり体調も良くない」

「そ、そうね。私も最低限の荷物で問題ないわよね?」


 どうにもサンドラは気が急いてしまう。

 言い出したのは自分なのだ。少し神父様から厳しいお言葉を言われたくらいで、いつまでも動揺しているわけにはいかない。


 今一度、自分の気を引き締めると、サンドラはハワードに従って皆の下へ合流した。


 不安はある。けれど、きっと良い方向に進んでいる。

 止まってしまっていた時計の針が少しずつ、ゆっくりと動いていくような感覚に、サンドラは高揚感を感じるのだった。


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