ゲートの中で、また物悲しい悲鳴が生まれた。
猛々しい魔獣が異臭を放ちながら、血煙を立てて横転する。
人と魔物、お互いに鏖殺し、隙あらば命が消えた。
そこには共存の未来などない。
この残酷な事実を、平和に暮らす人々は知る由もない。
見てはいけない、その絶望の現実を――。
***
春風が葉桜を揺らし、
授業が終わり、これから本屋に向かうところだ。
兎田山は百パーセント名前で女子だと勘違いされ、小柄な眼鏡男子として登場してはガッカリされる男子高校生である。
実は国家機密プロジェクトの一端を担っているとは、誰も知らない。
眼鏡を外したら実は超イケメン――みたいな設定は搭載されていないオタクであり、密かに
※腐男子。腐女子の男版。男同士のカップリングを愛するもの。
兎田山自身は二次元の女の子と結婚したい願望を持っている。
がっつりとしたBLは電子書籍で、一見BLとは縁遠いが腐った眼で見ると楽しい書籍は紙で持つ。兎田山の掲げるオタ活の条件だ。
そんな兎田山の最近のお気に入りは珍しく三次元にあった。
今年同じクラスに編入になった
鋭い眼光を放つ姿は鑑賞用とも言える美形であり、兎田山的には隣のクラスの生徒会長、
「どけどけー!前のやつどいてくれー!」
噂をすれば推し――犬丸慧士が背後から猛スピードで兎田山を追い越していく。普段のクールさでは、叫んでること自体イレギュラーだ。
しかも、その手にしているビニール袋から冷やしてピッタリシートや解熱剤などがどんどんまろびおちていた。
「ちょ、ちょっと落としてますよ!」
兎田山の声は届かず、犬丸はカーブを曲がりながら消毒液とコットンを更に落としていく。
「いや、どんどん落としてますけど?!」
何故気づかないのか驚きの慌てぶり。
兎田山は本屋用のエコバッグを広げて、犬丸が落として行ったものを拾いながら追跡する事にした。
幸い一本道が多いのと、犬丸の叫び声を追えたので兎田山はその背中を捉える。
「落し物ですよー!犬丸くーーん!!」
推しの名前を大声で叫ぶのは楽しい――のは置いておいて兎田山は見た事のあるマンションにたどり着いた。
犬丸はエレベーターを使わずに非常階段を駆け上がって行ったらしい。
声の反響を追って行くと三階にその長身が見える。
犬丸は、いつものスカした態度からは想像できないテンパり具合で取り乱していた。
「お嬢っ、お嬢!開けろ、俺だ、開けてくれ。スポーツ飲料と薬……あ゛あ゛?!薬も……なんもねえ?!」
「そりゃあ、あれだけばらまいて走ればそうなりますよね、うんうん」
背後から声をかけると、その背中がびくりとする。
「だ、誰だテメェ?!」
推しとは愛でるもので、介入すべきものでは無い。
「通りすがりの同じクラスのものです、全然怪しくないです。犬丸くんの落し物を届けにきました」
「いや、めちゃくちゃ胡散くせぇじゃねーか!そもそもこのマンションのセキュリティは?!」
「いや、僕もここに住んでますし、ほらっ怪しくないですよ〜!」
「更に怪しいわ!!お前さては……おじょ……
兎田山は困惑した。
どちらかといえば、兎田山の偏愛対象は犬丸であり、隣のクラスの編入生の
そしてモブたるもの、推しに迷惑をかけてはならないと誓っているのでストーカーなどという迷惑行為はかけたりしない。
施錠を開ける音がして、黒髪ロングの美少女が顔を出した。
「あら、
「ゆ、ゆかり……?小桜、こいつと知り合いなのか??」
猫宮小桜は、華麗に微笑んだ。
「だって、紫里くんはお隣さんよ?」
白魚のような手が、部屋番号を示す。
「301号室が紫里くん。302号室が私。慧士は303号室でしょう?」
「いやーたまたまですよー、落し物拾ったのも、部屋も」
「いや、全部怪しい!こっちこい!!って、待て、小桜、具合は?」
まぁまぁ、とりあえずお茶でもどうぞ。と犬丸の質問は猫宮に空中に投げ出され、兎田山は犬丸慧士の部屋に招き入れられた。
突然、猫宮によって犬丸の部屋に招待された兎田山は、きちんと靴を並べ正座する。
そんな兎田山は、
「
「
――推しが、過保護ッッ!!
そもそも落としてた消毒液とかは、熱になんら関係がない。平熱から一度は誤差では?
しかも、生徒会長の
猫宮の前では、心配性のわんこ属性。設定が盛々すぎて兎田山の脳内のツッコミがもたない。
見てはいけないものを見てしまった。
「とりあえずお粥作るから、待ってろ」
「今夜のことで少しナーバスになっただけよ。でもいつも慧士のご飯おいしいから、食べすぎちゃうわ」
しかもおかん男子!設定が、多すぎて美味しすぎる!
これが相手が男だったならば――猫宮の男体化を想像すればこれはこれであり。
腐道を妄想で突き進む兎田山は、犬丸から突然軽い一撃を入れられた。
「おーまーえーさっきから俺の顔を見ながらニヤニヤと何考えてやがる」
「いえ、個人情報は守りたいのでここはパスで」
「パスできるかッッ、いいか、俺はてめーがまだ怪しいと睨んでるからな!」
「いやー照れますなー」
「なんでだよッッ!」
推しとの直接の会話のキャッチボール。出来れば壁となり、話し相手は四狼だと最高のシチュなのだが。
「そんな犬丸くんは、猫宮さんとどんな関係で?お嬢とか聞こえましたけど」
「幼なじみ……つーか、小桜は猫宮財閥のお嬢で、俺はその護衛っていうか。――誰にも言うンじゃねぇぞ?隣の部屋だしクラスメイトらしいから、てめーだけには言っとくけど!他で話すなよ!話したら殺すぞ」
めっちゃくちゃ少女マンガの世界やないかい!幼なじみ設定、はいおいしい!お嬢様とその護衛、主従関係、はい尊い!その癖護衛はイケメンでおかん男子で、普段はツンデレなのに主の前だと過保護ワンちゃん!何これ、公式設定強すぎてもう目が開かない!僕のBLカプは、最強の乙女漫画に今敗れたり――!
「あのーびーえるってなあに?」
「だれがツンデレでわんこだ、ボケ!!俺に変な属性盛るんじゃねぇ!!」
「あっ口から漏れてました?てへ」
小首を傾げてみたが、犬丸には逆効果しかなかったようで兎田山は部屋の外に放り出された。
(今夜のことでナーバス……?なんだ?!もしや二人は付き合ってて……?!いや、あんな姿みて付き合ってないはずがない!!)
推しカプが――とそこで落ち込むほど、兎田山の腐男子スキルはやわくない。ないものを捉え、微かな匂いだけでご馳走にかえる。腐男子とは無いところから耕す事と見つけたり。