「みんな箱が生えているんだね」
私が目に見えたままのことを言ったら、
親の顔が、見たこともないほど険しくなった。
「そんなことを言ってはいけません」
強い言葉で咎められた。
「いいか、絶対に箱のことなど言ってはいけないからな」
親は何かを恐れているようでもあった。
幼い私はとにかく怖いものとして、
箱が見えることを黙っていようと思った。
すべての存在には箱が生えている。
幼い頃から私はそれが見えた。
人であれば、身体のいろいろな場所に箱が生えていて、
そのサイズもいろいろだ。
頭の上に生えている人もいる。
腹に生えている人もいる。
腕に大きな箱が生えている人もいる。
みんな、箱の存在など頓着していなくて、
私は幼いなりに、ああ、みんなは箱が見えていないんだなと理解した。
そして、箱が見えるということを言葉にするのは、
普通ということを捨ててしまうことなのだということも感じた。
成長するにしたがい、箱ははっきり見えてきた。
高校生になる頃には、みんなの箱もはっきり見えていたけれど、
私は箱のことを黙っているしかできなかった。
また、箱が生えていることを言えないがために、
私が異端であることを自覚して、
自分から孤立を選んでいった。
キラキラ笑う高校生たちは、
みんな箱を生やしている。
それが見える私は上手く笑えない。
転機はある時訪れる。
私は学校から帰る途中で、
今まで感じたことのない空間に入ったと感じた。
何が違うかはわからないけれど、何かの中だと感じた。
誰も彼もが普通に歩いているのに、
私だけ違和感を覚えた。
「なるほど、箱の目持ちはあなたですか」
誰かが近づいてきた。
この空間と同じような感じの人だ。
眼鏡をかけていて、薄く微笑んでいる。
背の高い男性で、髪は中途半端に長い。
紺色のスーツを着ている。
見た目は普通の人だけど、持っている空気がなんだか怖い。
この空間と同じくらい底知れない。
男性は、顎に手を当てて、ふむとうなずく。
「自己紹介がまだでしたね。私はシジュウと言います」
「シジュウ」
「あなたのことは知っています。ルカさん」
「どうして」
「私のログボックスに触れたら、すべてのログボックスの記録が共有できるのです」
「ログボックス?」
「ルカさんの見える箱ですよ」
「箱、みんなに生えている」
「そう、その箱はログボックスというのです」
「シジュウには生えていない」
そう、シジュウの身体には箱が生えていない。
「私のログボックスはとにかく大きくて、その気になれば国くらい包めますよ」
シジュウが言うには彼のログボックスという箱はいくらでも大きさを変えられて、
そのログボックスというものに触れたら記録が読めるという。
そもそもログボックスとは何だろうか。
「ログボックスとは、生きている限り、記録を入れ続ける箱です」
シジュウは説明をする。
存在には生まれつきログボックスが生えている。
生きている限り、いろいろな記録や記憶、経験や感情、
あらゆることがログボックスに記録され続ける。
そのログボックスに記録が限界まで入ると、
ログボックスは壊れて、存在は死を迎える。
ログボックスは命の箱でもある。
記録を入れすぎると死ぬ。
ぼんやりとした記録であっても、そればかり入れすぎると死ぬ。
また、ログボックスの容量がもともと少ないものなどは、
少ない記録を入れていてもログボックスが壊れて死ぬ。
「私のログボックスは規格外でしてね。容量も大きさも無制限なのですよ」
そんなシジュウという人物が、どうして私に声をかけてきたのだろうか。
疑問を持った私に、シジュウはにっこり笑って、
「私の仕事を手伝ってくれませんか?」
と、私を勧誘する。
「私は、パンドラの箱という、ログボックスの安全を守る組織のトップをしています」
パンドラの箱は、ログボックスが事故で壊れたりしないよう、
また、ログボックスが違法に使われないよう、
守っている組織だという。
そもそもログボックスが生きている限りの記録が入っている箱だ。
どんな秘密もログボックスをのぞけばわかってしまう。
ログボックスの存在がわかるものであったら、
機密情報を盗むのに、ログボックスを使うことはすぐに考えつく。
また、ログボックスに違法に記録を入れることもあるらしい。
違法な記録を入れると、記憶が改ざんされたり、
身体能力にも影響が出る。
それらのログボックスがらみの犯罪から、
普通に生きている者たちの安全を守る組織が、
パンドラの箱という組織であるらしい。
「パンドラの箱の皆は、ログボックスの存在をわかっています」
シジュウは私に語り掛ける。
「箱の存在がわかるのは、あなただけではないのです」
シジュウは笑みを深くした。
「あなたは一人ではないのですよ」
「私は、一人ではない」
「親御さんは異端のものとして隠そうとなされていたようでしたが」
私は思い出す。
箱が見えると言ったときに険しい顔をした親のことを。
あれは、私がおかしいと思ったことと、
普通ではないことに対する恐れのようなものがあったのかもしれない。
私は箱が見えたときから普通ではなかったのだろう。
普通になろうとしていたけれど、
どうしても箱が見えてしまってダメだった。
このシジュウは、ログボックスという存在を教えてくれて、
仲間のいるパンドラの箱へと誘ってくれている。
パンドラの箱に入れば、私は多分普通というものに戻れなくなる。
未練はあまりないけれど、なんだか寂しい。
私はどうやっても普通になれなかった。
シジュウが私の肩に手を置いた。
「今までよく折れないでいてくれました」
「私、は」
「これからは仲間がいますよ。生活も保障しましよう」
シジュウは私が欲しい言葉をくれる。
今まで箱の中に閉じ込められていた私が出て行くような感覚だ。
私が解放される。
おそらくシジュウの規格外のログボックスが、
私のログボックスの記録を読んで、
私の欲しい言葉を話しているのかもしれない。
それでも私は嬉しかった。
孤独だった私と、同じものを見る誰かがいる。
それは仲間であるという。
私はシジュウの手を取った。
こうして私はパンドラの箱に入り、
ログボックスを守る職に就いた。
この記録は、私のログボックスの中には入っていない。
私のログボックスから、
パンドラの箱の、私の電子箱に外部化した記録だ。
私のログボックスにはほとんど記録を残していない。
ログボックスに記録を残すのが怖くて、
いろいろな記録を電子箱に移している。
電子箱に移してしまうと、その記録が本当に自分の記録であったかも怪しい。
それでも、ログボックスが圧迫されるよりはいい。
私は電子箱の記録を確認すると、
すぐにログボックスから消した。
仕事には関係のない記録だ。
今日もパンドラの箱の仕事が始まる。