「ウフフフフフフフフフ」
キメラ・ゴルゴンからは、普通の男ならば魅了されてしまう声が聞こえてくる。
外見からは想像もできないほどの妖艶な声色。
その声には魅了の魔法に似た力があり、耐性のない男ならば相手が魔物でも下半身の一部が熱くなってしまう。
これによりキメラ・ゴルゴンは魅了した相手を捉え、そして戦意を奪ってから殺して食べる。
確かアースガルドのキメラ・ゴルゴンはそのような習性があったはずだ。
とはいえ俺もアースガルドでそう何度と出遭ったことのない魔物だったので、キメラ・ゴルゴンに関する他の特徴を忘れてしまった。
ミザリーやシャルルたち女性陣がその特徴を知ったあと、1人の女としてひどく気持ち悪がっていたことは覚えているのだが。
まあ、そんなことはさておき。
とにかく今回の無双配信の肝である、キメラ・ゴルゴンが向こうから現れてくれたことは思いがけない幸運だった。
ドローンを飛ばすには少々不安だった湿地エリアを探さなくても、視聴者から視やすいこの開けた場所に姿を現してくれたのだから。
ならば探索配信者として俺がするべきことは1つ。
視聴者になるべく長く楽しんでもらうため、それなりの闘いをしてから勝つ。
これに限る。
俺もこれまで4回の配信を経験してきた身だ。
自分の配信内容をアーカイブで見直し、成瀬さんからのチェックに耳を傾け、コメント欄の書き込みや探索者掲示板というところでの俺の書き込みについてのチェックもしている。
その結論から配信内容がたとえイレギュラー相手の無双配信とはいえ、いきなり戦闘を始めて数秒で決着をつけるのは中々に悪手だとわかるようになった。
幸いにもチャンネル登録者数や同時接続数は落ちていないが、配信に関しては俺よりもベテランな成瀬さん曰く、5回か6回までの配信から内容如何によっては同時接続数や再生数が落ちてくる場合もあるという。
人間は飽きる生物だ。
それはアースガルの人間もこの地球にいる人間も同じだろう。
あまりにも感情に響かないことを続けると、人間は飽きてすぐにそれを止めてしまう。
俺の配信を視てくれている視聴者も同様だ。
今は物珍しさも相まって俺の雑な配信でも喜んだり驚いてくれる視聴者が多いものの、これを何十回と続けていけば「当たり前」となって視聴者は離れていくに違いない。
だからこそ成瀬さんを含めた他の探索配信者は、あの手この手で視聴者を自分のチャンネルに繋ぎおいておくための工夫を凝らしていた。
魔物を倒したり稀少なアイテムを入手するまでの様子を配信するとして、それらが終わったあとにも配信を切らずに雑談をしたりして視聴者との距離を縮めたりしているという。
他にも迷宮街で新しい武器屋や防具屋が出てくると、その店のオススメの武器や防具の良し悪しを検証する配信をしたりする探索配信者もいた。
そういう配信をする探索配信者の多くはB級で特に強くはないというが、戦闘以外の面での配信をオリジナル・コンテンツ化することで、A級やS級に匹敵するチャンネル登録者を持つ剛の者もいるらしい。
などという探索者は格別強くなくとも、配信者のアイデア次第で多くの視聴者の心をつかむことができるという事例がたくさんあった。
では、俺もそのような配信を心がけるべきか?
俺は心中で頭を振る。
さすがにそこまでする気はなかった。
アースガルドでの記憶を取り戻した今の俺は、たとえ10代の未熟な肉体であろうと精神は〈大拳聖〉の称号を得たクレスト聖教会最強の武闘僧――ケン・ジーク・ブラフマンのそれだ。
元の世界に帰る情報と魔王の居場所を見つけるためとはいえ、旅芸人や行商人のような真似は悪い意味ではなくできない。
ならば俺は武闘僧として真っ向な手段で配信を盛り上げるのみ。
俺は短く呼気すると、キメラ・ゴルゴンに対して自流の構えを取った。
左手は顔面の高さで相手を
もちろん両手とも拳はしっかりと握り込まず、どんな対応もできるように緩く開いておく。
肩の力は抜いて姿勢はまっすぐ。
バランスを崩さないように腰を落として安定させ、左足を二歩分だけ前に出して後ろ足に七、前足に三の割合で重心を乗せた。
攻撃と防御の二面に優れた、クレスト聖教会の武闘僧の構えである。
そしてキメラ・ゴルゴンは俺の構えと〈聖気〉の威圧を如実に感じたに違いない。
キメラ・ゴルゴンは俺に対してゆっくりと近づいてくる。
俺を獲物として認識してはいるが、不測な事態に陥ればすぐに逃げるつもりなのだ。
まあ、視聴者のためにも逃がさないがな。
俺はちらりと上空にいるエリーとドロンを見る。
エリーとドローンは俺から数メートルは離れた上空にいるので、よほどのことがない限りは安全に飛行していられるだろう。
などと思った直後だった。
「ウフフフフフフフフフフフフッ!」
キメラ・ゴルゴンはより強く妖艶な声を発した。
その声は周囲に響き渡り、樹上で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたいたほどだった。
「…………」
一方、俺はキメラ・ゴルゴンの声を聞いても平然としていた。
常人の男のように股間の一物が隆起したりもしていない。
ただ射貫くような視線を以て、キメラ・ゴルゴンをじっと見据えた。
「――――ッ!」
するとキメラ・ゴルゴンは目玉がこぼれそうなほど両目を見開く。
なぜ、私の声に魅了されない?
そんなキメラ・ゴルゴンの疑問の声が聞こえてくるようだ。
悪いが俺にその程度の色仕掛けは通用しない。
これは【聖気練武】を修得していることが大きかっただろう。
ある程度の〈聖気〉を操作できる【聖気練武】の使い手ならば、魔物の誘惑など簡単に跳ね返すだけの精神力を持っている。
魅了されるということは、すなわち魅了される側の精神力が相手よりも劣っているから陥るのだ。
ならば俺がキメラ・ゴルゴン程度に魅了されるはずなどない。
「キイッ!」
俺が魅了できない尋常ならざる相手だと判断したのだろうか。
キメラ・ゴルゴンは遠目からでもわかるほど歯を軋ませると、「キイイイイイイイイ」とヒステリックな声を上げて猛進してきた。
魅了できないなら八つ裂きにしてやる!
というキメラ・ゴルゴンの心の声が聞こえたような気がしたのも束の間、キメラ・ゴルゴンは大量の砂埃を舞い上げて瞬く間に距離を詰めてきた。
「キイイイイイイッ!」
そして俺の制空権に無断侵入してきた直後、ナイフのように尖っていた爪を駆使して攻撃してくる。
武術の使い手のような突きではない。
左右から両手を振り回してくる
さすがはイレギュラーの端くれ。
空気をスライスするほどの攻撃の速度は驚嘆に値する。
「普通の探索配信者だったのなら、お前の攻撃を見て身動きが取れなかっただろうな」
誰に言うでもなくつぶやくと、俺はキメラ・ゴルゴンの挟撃を後方に飛ぶことで回避する。
〈軽身功〉などは一切使っていない。
純粋な身体能力のみで回避したのだ。
「キイイイイイイイイイイイイイッ!」
自分の攻撃をあっさりと躱されたキメラ・ゴルゴンは、それでも攻撃の意志を萎えさせずに追撃してきた。
先ほどよりも勢いと速度を増した挟撃の嵐。
俺の肉体を引き裂かんと殺気をまとった挟撃の嵐。
その攻撃は上下左右と様々な角度から飛んでくる。
甘い!
俺はキメラ・ゴルゴンの攻撃をすべて紙一重で回避していく。
ただひたすら動体視力を駆使してである。
やがて俺はキメラ・ゴルゴンの攻撃パターンを読み切った。
キメラ・ゴルゴン自身も気づいていない、相手を殺すことに意識が向きすぎてしまうゆえに攻撃に現れてしまう攻撃パータンを。
俺はキメラ・ゴルゴンの真上からの攻撃を真横に避けて躱すと、空を切ったキメラ・ゴルゴンの左腕に対して蹴りを放った。
ベキンッ!
疾風のような俺の蹴りをまともに食らい、キメラ・ゴルゴンの左腕は肘の辺りから逆方向に折れ曲がった。
「ヒキイイッ!」
悲鳴一閃。
キメラ・ゴルゴンは折られた左腕の激痛に悲鳴を上げる。
「静かにしろ。視聴者の耳に悪いだろ」
言うや否や、俺は素早く戻した左足を軸に今度は右の回し蹴りを放った。
半円を描いて飛んだ俺の回し蹴りは、無防備だったキメラ・ゴルゴンの胴体に深く突き刺さる。
甲の部分を使った回し蹴りではない。
靴の先端部分で刃物のように突き刺した蹴り――
「ホギャッ!」
俺の足先回し蹴りをまともに食らったキメラ・ゴルゴン。
そんなキメラ・ゴルゴンは苦悶の声を上げつつ、見えない糸に引っ張られるように数メートルは吹き飛んだ。
そして地面に落下しても勢いは止まらず、ゴロゴロと地面を転がった末にようやく止まった。
さて、最初の撮れ高はこれぐらいでいいか。
俺は全身をピクピクと痙攣させているキメラ・ゴルゴンに歩み寄っていく。
【聖気練武】の技を使えば瞬殺できる相手だったが、まずは視聴者が興奮してくれるような撮れ高を意識したのでここまで戦闘を長引かせたのだ。
それでも時間的にもう十分だろう。
あとはキメラ・ゴルゴンに近づいてとどめを刺せば今回の無双配信は終了である。
そう考えながら歩いていたときだ。
キメラ・ゴルゴンは全身を小刻みに震わせながらも立ち上がった。
俺は歩みを止め、キメラ・ゴルゴンの一挙手一投足に注意する。
その気になれば瞬殺できるとはいえ、相手は並の魔物よりも手ごわいイレギュラーだ。
ここに来て何か最後の悪あがきをする可能性も無きにしもあらず。
と判断したのだが、俺の予想に反してキメラ・ゴルゴンは身体ごと振り返るなり脱兎の如く逃げ出した。
まさかダメージを負っていたのは振りだったのだろうか。
いや、そんなことはない。
俺の足先回し蹴りは確実にキメラ・ゴルゴンにダメージを与えたはず。
だとすると、キメラ・ゴルゴンは最後の力を振り絞って逃走したことになる。
あるいは以前のキング・リザードマンたちのように、近くに同じタイプの仲間がいるのかもしれない。
その仲間に助けを求めに行った可能性も十分にある。
俺はチッと舌打ちした。
【聖気練武】の技を使えばすぐに追いつける。
だが、開けた場所から逃げたキメラ・ゴルゴンを追うには上空に飛ばしているドローンを俺の近くまで戻さなければならない。
でないと複雑に生えている樹木に当たってドローンの飛行が困難になる。
仕方がない。
ここは一旦、ドローンを戻して慎重に追跡するか。
俺はズボンのポケットに手を入れると、コントローラーを取り出した。
すでにキメラ・ゴルゴンはいなくなっていたのは言うまでもない。
【元荷物持ち・ケンジch】
チャンネル登録者数 76000人→91000人
配信動画同時接続数 98366人→110994人