――わけわかんない……わけわかんないよ、こんなの!!
段々とか細くなっていく悲鳴。香代子は白装束に抱えられ、別の部屋へと連れ去られていった。未花子は口元を抑えて吐き気を堪えながら、ただただそれを震えて見ているしかない。
優しくて、時に厳しかった先生。
両手首を吹き飛ばされて死ぬなんて――何故そんな苦しくて恐ろしい死に方をしなければならなかったのか。両手がなくなればいずれ失血死するのだろうが、それでも首と違って即死ではない。彼女はあと数分は、なくなってしまった腕の痛みにもがき苦しむことになるのだ。
何故そんな酷いことができるのだろう。
そしてその恐ろしい腕輪は今、自分達全員の腕にしっかりと嵌められているのである。
「えー、悲鳴が煩いので。先生には別の部屋に行って貰うことにしました」
白装束のリーダーは特に心を痛めた様子もなく、あっさりと宣う。
「本当は此処で、先生が死んでいくまでの様子を皆さんにも見ていただいた方がいいのですけどね。腕を飛ばされてもすぐに死ねない、とっても痛いってことを分かっていただいた方が皆さんには大人しくなっていただけると思いますし。ただこのままだと、これからの説明に支障が出るなと思いましたので」
こいつは、人の命をなんだと思っているのだろう。未花子は唖然として、男達を見る他ない。仮面の下でその表情は見えないが、罪悪感など微塵も感じていないだろうことはその声だけで十分にわかることである。彼らは信じているのだ、自分達の行いが悪魔を祓うために必要であると。何十億人の人々を救うためならば、たった数十人の犠牲などさした問題ではないのだと。
悪意が一切なさそうだというのが、より恐ろしかった。
彼らは害意をもって、自分達にこのようなことを強いて、罪もない先生を見せしめにしたわけではないのだ。ただただ、純然たる善意と正義感。そういえば聞いたことがある――時に悪意のある人間より、よほど善意と正義感の人間の方が恐ろしい暴走を起こすのだ、と。SNSで犯人かもわからぬ人間を晒し上げ、皆で仲良く叩いて悦に浸るのはまさにそういう心理であるのだと。
「説明を続けますね。まず大前提として、この実験にご協力頂いているのは皆さんだけではありません!数多くの、様々な年代の方にご協力いただいております。最年少では小学生から、上は中高年の方々まで様々。できればお話した上で進んでご協力頂きたいのですが……我々もまだ知名度の低い組織ですし、なかなか真摯に話を受け止めていただくことができません。ですので、このようにやむなく“強制的に”ご招待させていただいているわけです」
自分達だけでは、ない。未花子の心臓がどくんと跳ねた。もしかしたら白装束どもは、『自分達だけではない』という言葉で懐柔でも図ったのかもしれない。人間というのは厄介なもので、悲惨な目に遭うとすぐ「どうして自分が」「どうして自分だけが、他の人間ではなく自分が」と思ってしまう生き物である。他の人間にも同じような者達がいると、そう思えば安心する側面があるのも事実ではあるだろう。
しかし、未花子は違う。思い出したからだ――つい先日起きた、餅木高校の従兄弟の事件を。バスまるごと、先生も運転手も一緒に消えた一件を。
『未花子!』
おっとりとして優しい従兄弟だった。未花子より身体が小さいのに、いつも誰かを助けるのに一生懸命で。だから、身内でも末弟扱いで可愛がられていて。未花子にとっても同い年ながら、可愛い弟のような存在であったというのに。
『修学旅行でねえ、俺班長になっちゃったんだよ。リーダーなんて柄じゃないのにねえ。大丈夫かなー。心配だけど、頑張るしかないよねえ』
直前まで、頻繁にメールのやり取りをしていた。最後の連絡は“宿についたらレポート送るー”だった。何故観光スポットではなく宿からのレポートなんだ、と苦笑したものである。
その時は、思いもよらなかった。まさかこんな風に――彼との時間が、途絶えることになるだなんてことは。
――おかしいとは、思ってた。バス事故が起きたらすぐに報道される。大きな土砂崩れで道路が塞がるようなことになっても同様に。バスまるごと、いきなり行方不明になって見つからないなんて。一日過ぎても何も手がかりないなんて、なんか変だって。
まさか彼も
彼らも、同じように?
「ブレスレットには、それぞれボタンがついているのがわかりますね?赤い宝石のすぐ横の部分です。それを押すと能力名が表示され、それに関する説明もホログラムで出てきます。強い能力であればあるほど使用制限が厳しかったり、使用回数に制限がかかっていたりするのでお気を付けください。発動は簡単、能力名を表示させた状態で、能力名を口にするだけでいいのです」
未花子の同様をよそに、リーダーの説明は続いていく。
「鍵は全て、この建物の何処かにあります。ただし、『禁止区域』と書かれたプレートがかかったドアは開きませんし侵入不可能です。無理にこじ開けようとした場合はその場で何らかの処刑装置が発動しますのでご注意ください。場合によっては、両腕を切断されるより酷いことになりますよ?」
何らかの処刑装置。ということは、生徒を殺す仕掛けはブレスレットだけではない、ということだ。
「……あとはそう、この建物の中には我々が実験で製造したキメラを放逐させていただきます。それらを倒す必要はありませんが、遭遇したら戦うなり逃げるなり対策をしないと食われてしまいますのでご注意くださいね。キメラの数は時間を増すごとに増やしていきますので、急いで脱出しないと詰んでしまいます。あまりに状況が膠着するようなら、こちらで制限時間を新たに設定することもありますので……アナウンスはよく聴いておきましょうね。それと……」
「あのっ!」
説明を遮るのが、良くないことはわかっていた。それでも、未花子はどうしても尋ねずにはいられなかったのである。傍にいる夏俊が「おい!」と制止にかかってきたが、止められなかった。
知りたかったのだ。――あの子を殺したのが、こいつらであるのかどうかを。
「あ、あたしの従兄弟……
未花子が何を言いたいのか、途中で察したのだろう。リーダーは少し考えたあとで、傍に控えている別の白装束に声をかけた。その人物が端末を取り出して何やら調べるのを見、ああ、と得心したように頷く。
「……ああ、こういうこともあるなとは思っていましたが。なるほど、従兄弟の方、でしたか」
「!」
その反応は、もはや答えのようなものだった。
つまり、彼も。
「我々としては、ブレスレットの性能のテストをすると同時に……今回のゲームで生き残ることのできる優秀な人材をも求めています。説明したように、我々がこのブレスレットを開発して皆さんに実験をお願いしているのは、悪魔と戦うための手段を得るため。そのブレスレットを使いこなし、悪魔を倒すことのできる人材は積極的に採用したいのです。ですので……我々としても、ひとりでも多くの方々に生き残って下さった方が有難いのですがね……」
ああ、と。未花子は目の前が真っ暗になった。その物言いで、悟ってしまったからだ。
自分達が教室で拉致されてから、どれくらいの時間が過ぎているのかはわからない。仮に半日程度だとしたら、智のクラスが行方不明になってから既に二日が経過していることになるわけだ。
それでも誰ひとり帰ってきていないのだとしたら、それは。
「大失敗でした。我々としても、大きな痛手です。まさか、一人も生き残ることができないケースが発生しようとは」
一人も。
それはつまり、智も。
「困るのですよね、これだけ大きな手間をかけたのに、誰も脱出しないで終わってしまうというのは。我々のミスだったとも言えます。こんなゲームもクリアできないような、総じて役立たずな生徒ばかりが揃ったクラスを選んでしまうだなんて。今後のゲームはもっと、優秀な人材が多い集団を選ばなければ。クラス単位よりも、部活単位の方がいいのかもしれませんね。あるいは……」
つらつらとリーダーの男がそこまで口にした時。ぶちん、と未花子の中で何かが千切れる音がした。
「ふ、ふざけんな!誰が!誰が役立立たずだよ!!」
「お、おい未花子!」
反射的に男に飛びかかる寸前のところで、大毅と夏俊に止められた。両手を男子二人に掴まれてしまっていては、未花子も身動きが取れない。
彼らが未花子のために止めてくれようとしているのはわかっていた。それでも、止められなかった。何が役立たずだ。今の説明だけで十分に分かる。彼らは、自分達の命などなんとも思っていない。悪魔を倒すための駒であるとしか考えていないのだ。この脱出ゲームが危険極まりないものであることは簡単に想像がつく。そんなゲームに、同意もなしに放り込んでおいて――それで役立たず呼ばわりとは一体どういう了見なのか。
「あたし達も智もっ……あんた達の駒なんかじゃない!そんなに人を貶めたいなら、自分達でその命懸けの実験とやらをやればいいじゃない!人に押し付けんなよ!人ばっかり命賭けさせて、自分達は高見の見物かよ!!」
こんなところで死んでいい子ではなかった。
あの子は頭も良かったし、優しかったし、今回の修学旅行だって心底楽しみにしていたのに。どうして、こんな身勝手な正義を振りかざすテロ組織のせいで死ななければならない?悪魔なんてそんなもの、いるかもどうかもよくわからないのに!
「智達も……あたし達も!こんなところで死んでいい人間なんか一人もいないの。みんな生きてやりたいことあんの、幸せになりたいの!先生だってそう、あんな酷い死に方しなくちゃいけないような悪いことなんか何もしてない。大体、自分たちの考えが賛同を得られないってわかってるから無理矢理拉致してくるんでしょ。いもしない神様を妄想して、悪魔とやらを勝手に作って……平気で人を傷つけるあんたらの方が悪魔だ!誰が言うことなんか聴くもんか!!」
宗教団体を相手に、絶対に言ってはいけない言葉。それは彼らの信じている神や教義を真っ向から否定することだ。それほど成績が良くない未花子だってそれはわかっている。それでも、言わずにはいられなかったのだ。
大切なのは目に見えない神様ではなく、自分と目の前にいる誰かの命に他ならないのだから。
「……そうですか」
やがて、リーダーの男は低く、やや怒りを含んだ声で言った。
「それでは、仕方ありませんね。この段階で一人減らすのは、本来避けたいことであるのですが。見せしめというのも、やむを得ません」
「!」
彼はポケットから、黒光りする何かを取り出した。何か――ああ言うまでもない。ドラマでしか見たことのないはずの拳銃というものが今、未花子に真っ直ぐに向けられているのである。
「ここでリタイアですね、澤江未花子さん。残念です、貴女には期待をしていたのですが」
自分は、ここで死ぬのか。
怒りを一瞬、恐怖が凌駕する。未花子は凍りついたまま、身動きが取れない。逃げなければ、死ぬ。智のところに、自分も。
――ああ、やっちゃった。
引き金を引き絞られるのを、見た。大毅と夏俊が叫ぶ。
「澤江!」
「未花子!!」
そして未花子がぎゅっと目を閉じると同時に――甲高い銃声が、室内に木霊したのだ。