嫌な予感がする――聖也がそう思ったのは、殆ど直感に近いものだった。
今のところ、自分達が見つけている出口は二つ。
自分達が一番最初に見つけた『一番上の階』にあるものと、そのいくつか下の階に位置しているものである。とりあえずは簡単に、上の出口・下の出口と表現しておくものとする。聖也が大半の仲間達に向かうように告げたのは上の出口の方。聖也自身が今いるのは下の出口の方だった。
明日葉と合流して事情を聞き、自分達が合計で手にした鍵は四本。
とりあえずはまだトラウマから復帰できていない彩也。それから集、未花子。鍵を持ってきた明日葉を脱出させようということで話がまとまることになる。脱出できないまま残ることになる夏俊、大毅、天都の三人も異論はないようだった。まだ鍵が手に入る見込みが十分にあることと、その場合はこのメンバーの能力を比較的残しておきたいからという理由もある。未花子は自分の能力はまだ役立ちそうだし、通信係として役目を終えつつある(もう通信できる相手がいないという意味で)夏俊の方を脱出させるべきと主張したが、それは夏俊と聖也の二人で却下していた。
夏俊が役に立つのは、能力とは別の理由。彼の頭脳と作戦は、今後戦うためにも大きな意味を持つと判断したからである。
――問題は、未だに行方不明のままの奴が複数いるってこと。駿河緑、北川和泉は遺体がまだ見つかっていないから生きている可能性がある。宇崎舞紗と屑霧海人も同様にだ。
明日葉を迎えに行く家庭で、前田南歩の班のメンバーの遺体は複数発見している。彼女と連絡が取れなくなった理由は、通信係であった彼女が死亡したからだったのだとはっきりした。見つかっていないのは、駿河緑と北川和泉のみ。仲の良く社交的な二人だ、できれば生きていて欲しいが――通信の手段がない以上、直接どこかで遭遇できることを祈るしかないのが現状である。
そして、みんなの学級委員長として信頼が厚かった宇崎舞紗が単独行動を選んでいなくなったこと。一匹狼の屑霧海人に至っては完全に行動が読めないときている。こういうパターンは、あまり考えたくはないが――最悪、二人とも既に死んでいるか、あるいは最初からアランサの使徒側のスパイであったなんて可能性も十分考えられることだろう。できればそうであって欲しくはないと、心底思うには思うのだけども。生憎聖也は似たような組織にいくつも潜入してきた手前、そういう状況は嫌になるほど見てきているのである。そもそもこれだけ大掛かりな拉致監禁をやらかす組織が、内部にスパイを送り込んでいないと思う方がおかしいのだ。
――とりあえず、明日葉達は上の出口から脱出を目指して貰うとして、問題は。
予想外だったのは、明日葉を迎えに行くまでに少々手間取ってしまったこと。その間に、怪物が出る時間を迎えてしまったことである。仕方なく化物討伐をその場で敢行し、なんとか聖也の能力のストックを必要以上に減らさずに怪物を倒し、もう一本鍵の入手には成功したのだが(残念ながら刀は使えなくなり、その場で消滅させてしまったが)。
その時間が、命取りになってしまった。その間に、篠丸とカップルの現在位置が近づいたことに、天都が気がついたのである。
このままでは、篠丸は『人殺しの悪魔』たる唐松美波と守村耕洲を殺す為に無茶をやってしまうだろう。それでは彼を生かすために奮闘した英佑達があまりにも報われない。聖也は急遽、未花子に脱出組の世話を任せ、己は下の出口に向かったのである。篠丸の手をこれ以上汚させないために――同時に、彼が美波と耕洲に殺されることを防ぐために。
そう、その目的は、どうにか最低限達せられたと言ってもいいのだが。
――篠丸、お前……どんな無茶やったんだよ……!
聖也が駆けつけた目の前で、惨劇は既に起きていた。美波が見ている前で、耕洲が篠丸を襲っていたのである。美波が耕洲の手綱を握っている関係であることはわかっていたが、まさかここまで酷いことを他人に強いるとは思ってもみなかった。自分の彼氏に、クラスメートの少年を暴行するように命じるだなんて正気の沙汰ではない。しかも美波はそれを見て楽しげに悦に浸っているのである。まさに狂気のパーティだった。篠丸が受けた苦痛は、とても言葉で言い表せるものではあるまい。
だが、それ以上に――そんな二人の狂気さえも超えたのが、篠丸の執念であったらしい。聖也が声をかける前に、事態は一転していた。彼は耕洲に嬲られながら、彼のキスに応じながら――制服の手首に隠し持っていたメスで、耕洲の頚動脈を切り裂いたのである。
ただの刃物ではない、手術でも使うような本格的なメスである。切れ味は相当良かったことだろう。それこそ、お世辞にも腕力がある方とはいえない篠丸が扱っても、人の首を切り裂くことが可能であるほどには。
篠丸は自らが弱者であり、暴力を受けている状況さえも利用して、能力さえも使わずに悪魔を一人刈り取って見せたのである。なんという執念か。もしかしたらこの一時のチャンスのためだけに、篠丸はあえて弄ばれることを選んだのかもしれない。
――だが、ここからどうするんだ!このままじゃ、お前は美波に……!
幸い、最初の一撃は篠丸がうまく躱したらしい。消耗し、半裸の身体であるにも関わらず、彼は素早く動いて柱の影に隠れた。夏俊ごしに通信で伝えた美波の能力『爆破』とその特徴を、彼はしっかり覚えていたということらしい。
『美波の能力だが、声を発してからなほの頭が爆発するまで多少間があった。発動までタイムラグがあるのは間違いない。そして、隠れたまま能力を連発すればいいものを、わざわざ出てきて一人を殺し、話に興じた。……恐らくロッカーの中にいたままでは能力が発動できなかった上、一度発動すると次に発動できるまでに時間が必要な力なんだろう。あれだけ強力な殺傷能力があるんだ、それくらいの制約がかかるのは当然と言えば当然だな』
美波はなほの頭を爆破した。爆破できるのは頭に限定される可能性がある。また、相手の顔が見えていないと能力が発動しないと考えて問題ないだろう。だからロッカーから出てきたのだ。相手の顔をしっかり確認して能力を発動させるために。同時に――ロッカーではもう一つ、満たすことのできない条件があったがために。
――恐らく、美波のスキルは。対象に向けて片方の腕を伸ばしていないと発動できないんだ!だから、狭いロッカーでは隠れたまま使えなかった!
その予想は、どうやら正しかったらしい。美波はじりじりと、腕をそちらに向けた状態で篠丸の方に迫って行こうとしていたのだから。
彼女の能力にも、射程距離というものはあるだろう。さらに、顔が見えていないと発動しないと来れば――柱の影に隠れられたままといいうのは不都合と見て間違いない。彼女は何がなんでも、篠丸と距離を詰めないといけないわけだ。
いくら篠丸が小柄で消耗しているといっても、男子は男子。取っ組み合いになったら、美波も勝てない可能性がある。ならば中距離程度離れた状態で、能力で仕留めるのが最も安全と考えるのが自然だろう。
「……邪魔しないでくれますか、桜美聖也」
美波はぎろり、と聖也の方を睨んで言った。
「私、今滅茶苦茶ブチキレてるんで。この私を騙して、耕洲君を殺したクズをこの手でぐちゃぐちゃにしてやらないと気がすまないの。頼むからそこで大人しくしててくれます?そこのクズ消したら、次に相手してあげますから」
「そういうわけに行くか。目の前で仲間が殺されそうになってるっていうのに」
「は!?仲間ぁ!?意味わかんないんですけどー!なんでこいうつの味方するわけぇ?こいつ、人殺しなんだけど。私達と同じようにね!!」
ギラギラと目を血走らせ、美波は唾を飛ばして叫ぶ、叫ぶ。美少女もかくやといった凄まじい形相である。
「ていうか、私達よりタチ悪いのよこいつ!私達は生き残るためにやむなく人を殺してきただけ!こいつは、自分が殺されそうになったわけでもないのに、人を悪魔呼ばわりして最初から殺しに来てる!悪魔はどっちだってのよ、同じ人殺しでも雲泥の差だわ!こいつだけは絶対に殺す殺す殺す殺すのよ!耕洲君が生きてたら、もっとぐちゃぐちゃに潰して、地獄を味あわせてやることもできたっていうのに!!ああああクソ、クソ、ほんとクソ!!」
何で憐れな――聖也は少しだけ、同情してしまった。美波の理論は、論外だ。確かに篠丸は、直接このカップルに友人を殺される現場に遭遇したわけでもないし、自分自身が危険な目に遭わされたわけでもないのだろう。だが、クラスメートを殺されたという情報を貰っている以上、立派に仇討ちの大義名分は立つのだ。それが正しいか、正しくないかは別として。
生き延びるために、人を殺す。それがやむを得ない時もあるし、法律の上で免除されるパターンも多々あることを聖也は知っている。だが、ならば美波達の罪の方が軽いだなんて理屈になるのはあまりにもおかしなことだ。彼女達は、みんなで脱出できるかもしれない可能性を最初から投げ捨て、昨日まで一緒に学んでいた仲間を自分達から切り捨てて殺したに過ぎない。正当防衛も、緊急避難にも該当しないだろう。それを正当化して、自分達の方が悪くないと喚くのはあまりにも滑稽なことではないか。
同時に。そこまで怒りを感じるのはつまり――美波が、どれほど歪んでいようと本気で耕洲を愛していたことに他なるまい。
人を愛する気持ちがあるのに、大切なものを奪われる悲しみがわかるのに――何故彼女はそれを、他の誰かに分け与えてやることができなかったのだろう。自分が、そちら側の立場に立たされることを考えることができなかったのだろう。
「……滑稽だな」
呆れと、憐憫を込めて。聖也は呟く。
「そんなに耕洲が大事で、守りたかったなら。……何で、簡単に人なんか殺したんだよ。もっと恨まれない方法を探さなかったんだよ。……人に与えた痛みってのは、どんな形であろうと必ず自分に返ってくるんだ。例外なんかねえ。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、なんて。言われなくてもそれくらいわかっとけよ、馬鹿が」
「煩い!煩い煩い煩いのよっ!!」
美波は頭を掻き毟って叫びながら、その腕を聖也に向けた。
「邪魔するっていうなら、まずあんたから始末するわ!あんたが悪いのよ!!」
どうやら、話が通じる状態ではないらしい。仕方ない、と聖也は自分もブレスレットを構える。いずれ美波とは決着をつけなければならないとは思っていたが、想定していたものとはだいぶ状況が違う。まさか耕洲が、篠丸によって倒されるとは思ってもみなかった。二人を同時に相手にすることも考えていただけに、想定よりははるかに楽とも言えるが。
今の美波は、邪魔をする人間を殺すことに全く躊躇いがないだろう。火事場の馬鹿力というのも馬鹿にはできないし、何をやってくるのか全てを読み切ることが難しい。とにかくあの厄介すぎる爆破能力を躱して美波を完全に封殺し、篠丸を救出することを優先させなければ。どうにか柱の影に隠れてはいるようだが、明らかに篠丸の顔色は悪い。相当手酷くやられたのだろう、出血もしているようだし手当は必須だ。
――VS美波用に、お前が用意してくれた作戦。使わせてもらうぜ。
美波が爆破を唱えようとした瞬間。聖也はブレスレットを構え、告げた。
「『武器』」
次の瞬間、聖也の手元に現れたのは――真っ黒な布である。それは、いわゆる暗幕と呼ばれるものだった。予想外の物体の出現に、美波も目を見開いて動きを止める。
「俺の能力は武器……実在する武器なら、回数制限つきで何でも呼び出せるってやつなんだけどな。実は、俺が武器だと認識すれば一般的に武器に該当しないものであっても呼び出せるんだ。例えばこの『暗幕』とか、な!」
巨大で分厚い布だが、聖也の腕力なら扱うことなど造作もない。手の中に出現したその布の端を掴み、天高く投げて広げてみせた。途端、遮られる美波の視界。隠れる聖也の姿。
「しまった!」
美波も気づいただろう――聖也の意図に。
「お前の能力は、俺の姿が見えなければ使えない……その読みは当たっていたようだな!」
美波個人の身体能力は、大したものではない。ブレスレットを掴んで押さえ込んでしまえば、体格でも腕力でも聖也の圧勝だ。
――暗幕で姿を隠しつつ、美波に接近する……!
さて、美波は気づくだろうか。
既に聖也が打っている、いくつもの先手に。