『こ、これが私……?』
お風呂場の鏡に映った自分の姿を見て、愕然とする。
『うふふ、いい女になったわね、花』
目がくらむほどの美しいプロポーション。
制服のボタンがちぎれそうなくらい胸が大きくなった自覚はあったけど、引き締まったウエストに、キュッと上がったプリプリのヒップ──
……通勤のエクササイズだけで、こんな効果が出るの?
それだけじゃない。顔つきも、まるで別人だった。
こんなにパッチリした目元だった?
まつ毛はまるでパーマをかけたみたいに長く、上向きにカールしている。
高く通った鼻筋に、ふっくら弾力のある唇。
輪郭もシャープで、目・鼻・唇のバランスが絶妙だ。
黄金比率、完璧じゃない……?
これ、いわゆるハイレベルな〝美人顔〟ってやつでは?
『まるで別人です……』
『でも、ベースは花だからね』
いえ、どこがですか。パーツほとんどララ様の影響受けてるのではないでしょうか?
例えるならプリクラ画像──二倍盛りのやつだよ。
でも──
素材主としては複雑だけど、やっぱり「美しい」って、嬉しい。
そんな気持ちが、ほんのちょっぴり芽生えてしまった。
『週末は、ヘアとネイルサロンに行きましょうね』
『は、はい……ネイルサロンは未知の世界ですが』
『ちゃんとお手入れしておかないとね。そのうち男性が見惚れるようになるわよ。でも、バレないように、ちょっとずつ小出しにするの』
うん、それは自信がある。
今のところマスクで顔の半分は隠してるし、地味子な私に興味を持つ男性なんて皆無だ。
お昼も一人で屋上に行って、サンドイッチをもそもそ食べてるし、誰も口元なんか見てない。
──もしかして、いや、多分、この会社で私の素顔をまともに見た人、ほとんどいないのでは?
そんな自信すら湧いてくる。
……完全な解禁は、謝恩会か。
大きな不安と、ほんの少しの期待が入り混じる中──
私はビールを飲み干し、いつの間にか眠りについていた。
*
翌朝──
ついに、絵梨花が出勤してくる日がやってきた。
恐怖の日だ……。
いつものように背筋を伸ばし、胸を張って、通勤開始。おっぱいを揺らしながら歩く自分に、妙な達観すら覚えている。もはや自己暗示の賜物だろうか──「見たきゃ見なさい」そんな開き直りの境地に達していた。
……だからなのか、心なしか男性たちの視線が妙に刺さる。いつもの道、いつもの電車、いつもの横断歩道なのに。
そんな時、会社のゲート前でLINEが届いた。人生で唯一アドレスを交換している、翔様からだった。
「御葬式の手伝いをするつもりだったのにぃ……」
ララ様のご遺体を乗せた霊柩車で、彼は地元に帰るという。そんな遠くまで運んでくださるとは知らなかった。聞けば、ご両親がこちらまで出向くのは難しいため、地元で葬儀を行うそうだ。
『まぁ、仕方ないわね』
『ララ様も、自分の肉体にきちんとお別れしたかったのではないでしょうか』
『もういいのよ。私は今、綾坂花として生きてるんだから』
『そう……ですね』
私はララ様のことを、実はあまり知らない。
風俗嬢だったこと、誰かに殺されたこと──
それくらいしか。
生い立ちとか、ちょっと興味があるけど……
聞いてもいいものなのかな。
『姿勢!考えごとすると背中が油断するわよ』
『は、はい!気をつけます』
背筋をピンッと伸ばし直して、社内へと足を踏み入れた。
するとララ様が、ぽつりと話し出す。
『わたくしの実家は、茶道の家元よ。翔も嗜むけど、後継ぎは従兄弟って決まってるから、ふたりとも上京したの』
え、茶道!?すごっ!
『華道、書道、舞踊、音曲……お習い事も一通りやらされたわ』
正真正銘のお嬢様じゃないか。
それなのに──どうして風俗嬢に?
『はいはい、わたくしのことはそのくらいでいいの。今は花の人生が大事よ。さあ、今日もやるわよ!』
──はっ。
そうだ、昨日のことを思い出した。
結局、お局から直接嫌がらせを受けることはなかった。むしろ、終業まで完全に「無視」されていた。
それどころか、お局は一日中そわそわと落ち着かず、携帯をいじり倒していた。
……たぶん、絵梨花に怪文書の件を相談していたのではないかと推測している。
さて、今日は──
とんでもない一日になるかもしれない。
どんな仕打ちが待っているのか。
いっぱい心が傷つきそうな気がする。
いっぱい腹が立ちそうな気もする。
だって、あの絵梨花だ。ラスボスが出勤する。
このまま何もなく終わるわけがない──。