「プラムさん、早く舞弥を見つけてください」
「そう急かせないでちょうだい。デリーに張り巡らされた防犯カメラは、その地区の警察署が管理していてクラッキングに時間がかかるのよ。足がつかないように痕跡を消す作業も同時にこなさないといけないしね。ただ財布もスマホも持たずに飛び出したのなら、手癖の悪い仔猫ちゃんは確実に今もデリーのどこかにいる。だからこうして防犯カメラの画像を片っ端から集めているんじゃないの」
プラムはピアノでも弾くように十本の指を巧みに操作してキーを叩き続けていた。
ラップトップの液晶画面には数秒おきに人通りの画像が表示されていく。
それだけではない。
プラムは数分おきに防犯カメラの画像をプリンターで印刷。
どこかに舞弥が映っていないか直に確認していた。
画像のチェックにはユタラも参加している。
カラーで印刷された画像に舞弥が映っていないか神経を尖らせながら。
舞弥がアジトを飛び出してから実に四時間以上が経過していた。
殺人的な日差しを放っていた太陽は沈みかけ、そろそろ夜の帳が下りようという時間帯に差しかかっている。
「……やっぱり、仔猫ちゃんは映っていないわね」
何百枚目の画像に目を通したときだろうか。
プラムはクラッキング作業を中断すると、目蓋のつけ根を指で揉みながら低い声で言った。
プラムに仕方なく事情を打ち明け、舞弥の捜索を頼んでから約二時間。
ユタラは個々の警察サーバーにクラッキングして入手した何百枚という防犯カメラの画像に目を通したが、絶対に舞弥だと断言できる少女が映っている画像は一枚たりともなかった。
そもそも通行人の数からして多すぎる。
加えて防犯カメラの画像がお世辞にも鮮明とは言えなかったため、見落とした可能性も否定できなかった。
プラムが言うには無名なメーカーの低価格な防犯カメラを使用しているから画像が荒いのだという。
それでも現時点で舞弥の足跡を辿る唯一の方法は防犯カメラの画像だけだった。
なのでユタラはプラムの両肩を掴んで身体を前後に揺する。
「お願いです、プラムさん。何としても舞弥を探してください。インドではプラムさん意外に頼れる人はいないんです」
「そんなこと言われても捜索範囲には限度があるのよ。仔猫ちゃんらしき女の子がいたのはオールド・デリーだったんでしょう? あそこは近代化が進んでいるニュー・デリーと違って古い城や寺院が残っている場所だから防犯カメラの数も極端に少ないしね」
プラムは溜息混じりに顔を振り向かせた。
「でも、肝心の仔猫ちゃんらしき少女は一人じゃなかったって言うじゃない。何だっけ? 大柄の少年と紫色のサリーを着た少女だったかしら」
「はい、そう聞いています」
プラムは険しい表情で顎を擦る。
心は女と言い張るプラムも性転換を終えていない身体は依然として男のままだ。
その証拠に今のプラムの顎には薄っすらと髭が伸びていた。
「もしかしてさ。チャンドニー・チョウク通りにいた女の子は仔猫ちゃんじゃなかったんじゃないの? 実は他人の空似だったとか」
「黒髪、東洋人、十代の少女、無地のタンクトップ、カットジーンズ……外見も服装も人種も完全に一致していたんですよ。絶対に舞弥に間違いありません!」
「だったら一緒に逃げたっていうインド人の少年と少女って誰? あなたたち二人はこのインドに私以外の知り合いはいないんでしょう?」
ユタラは反論できないことが悔しくて親指の爪を強く噛んだ。
プラムの言うことは正鵠を得ていた。
ユタラと舞弥は過去にインドとパキスタンの国境近くにあった難民キャンプにいたことはあったが、タール砂漠の一角で〈青い薔薇〉のエージェントに助けられて日本に渡ってからは一度もインドを訪れたことはない。
ならば考えられる理由は二つ。
一つはプラムが指摘したように、チャンドニー・チョウク通りにいた少女が舞弥と同じ格好をした別の東洋人の少女だった場合である。
考えにくいことだが確率的にゼロというわけではない。
そして、もう一つは別人ではなく紛れもない舞弥本人だった場合だ。
しかし、殺人現場から逃走した少女が舞弥だった場合には別の問題が浮上してくる。
舞弥は自分と同じくヒンドゥー語がまったく喋られない。
仮に大柄の少年とサリーを着た少女のどちらかが英語を話せた人間だったとしても、アジトを飛び出してから数時間足らずで知り合いになれるのだろうか。
しかも殺人現場から一緒に逃亡するほどの仲に。
答えはわからない。
結論を出すにはあまりにも不確定要素がありすぎる。
「まあ、どちらにしてもまずいことなのは確かね。任務内外に限らずエージェントが行方不明になるなんて前代未聞よ。本当なら本部に連絡して処置を仰ぐところなんだけど――」
プラムは複雑な表情を浮かべた。
「現地工作員の一人として言わせてもらえれば、エージェントの評価を下げるような報告はしたくない。それに〈青い薔薇〉のエージェントが強い信念と力を持った人間たちということは知っている。そんな人間たちが簡単に組織の仕事を放棄するはずがないこともね。だったら行方不明になった原因は一つ」
続きの言葉はユタラが引き継いだ。
「何かしらの重大事件に巻き込まれた?」
「殺人事件も一般的には十分に重大事件だと思うんだけどね。ただ、ストリート・チルドレンの殺人事件と今回の任務に接点があるとは思えない」
プラムは液晶画面に顔を戻すと、中断していたクラッキング作業を再開させた。
テレビから流れてくるアナウンサーの声に混じってキーを叩く軽快な音が店内に響き渡る。
ユタラは薬局の壁にかけられていたアナログ時計に視線を向けた。
現在の時刻は午後七時四十三分。
どうやら日本行きの飛行機に乗るのは諦めなければならないだろう。
だが、それ自体は大したことではない。
一日程度の延長滞在なら言い分け次第で何とでもなる。
ただし二日以上は無理だ。
最低でも明日の夕方までには舞弥を見つけ出し、二人揃って日本行きの飛行機に乗らなければ確実に怪しまれる。
「プラムさん、僕ちょっと行ってきます」
我慢の限界に達したユタラは行動に移った。
自分の胸の高さほどもあったカウンターに両手をつき、側転する要領でカウンターを一気に飛び越える。
「行くってどこへ?」
「決まっています。舞弥を探しにですよ」
「やめときなさいよ。無闇に探し回って迷子が見つかるほどデリーは狭くないわよ」
「わかってます。だけど防犯カメラでも情報が得られない以上、実際に聞き込みをして回るしかないじゃないですか。オールド・デリーのチャンドニー・チョウク通りを中心に、念入りに聞き込みをしていけば何か手がかりが見つかるかもしれません」
「聞き込みをして手がかりが見つからなかったらどうするつもり?」
「それは十分に聞き込みをしてから考えます」
そう告げて出入り口の扉へ向かおうとしたとき、ユタラはプラムに待つように言われた。
「何ですか?」
「夜のデリーを手ぶらで歩くのは物騒よ。武器を取ってきてあげるから待ってて」
「要りませんよ。何も戦いに行くわけじゃないんですから」
「用心するに越したことはないでしょう。いいから少し待ってなさい」
プラムは席を立ち上がると、銃砲店顔負けの銃器が揃っている地下へと降りていく。
薬局に一人ぽつねんと残されたユタラは、プラムのせっかくの好意を無駄にしないようカウンターに背中を預ける。
本当はすぐにでも舞弥の捜索に行きたかったが、ここで現地工作員であるプラムの心情を悪くさせるわけにはいかなかった。
組織に延長滞在の言い訳をする際にはプラムの口裏合わせが絶対に必要だからだ。
そのため地下に姿を消したプラムを待ち続けたユタラだったが、気が逸っていたのかテレビの音がやけに耳障りに聞こえてくる。
ユタラはテレビの音だけでも消そうとカウンターから背中を離した。
そのときである。
突然、ニュースを報道していたアナウンサーが慌て出した。
片耳に装着していたイヤホンに手を当て、画面から顔を逸らして誰かと会話を始める。
同時にアナウンサーの背後には、どこかの建物の様子がワイプで映し出された。
多くの警察官が右往左往しており、まるでテロ現場のような迫力が画面越しに伝わってくる。
「お待たせ。この拳銃なら今のあなたにピッタリ。強化プラスチック製のグロック17をコンパクトにしたグロック20よ。これなら子供のあなたでも怪しまれずに携帯できる」
プラムがカウンターの上にグロック20という小型のオートマチック拳銃を置いたとき、ユタラは扱いやすそうなグロック20に構わずプラムに質問した。
「プラムさん、デリーのどこかでテロでも起こったんでしょうか? いきなり緊急速報のような映像が映り出したんですけど」
「このデリーでテロ? ムンバイでもあるまいし冗談にしては笑えないわね」
含み笑いのままテレビの映像に意識を集中させたプラム。
そんなプラムの顔からは一分も経たないうちに見る見る笑顔が消えていった。
「ちょっと嘘でしょう。本当にデリーでテロ事件が起こったらしいわ」
表情を歪めたプラムはラップトップの前に座り、素早く両手の指でキーを叩いていく。
ニュースでは報道されない事実を電子の海から入手しようとしたのだろう。
警察サーバーにもアクセスできるほどのクラッキング技術を持ったプラムならではの行為である。
「プラムさん、どこでテロが……まさか、オールド・デリーですか?」
黙々とキーを叩いているプラムを見て、ユタラは微妙に裏返った声で尋ねた。
本来ならばデリーのどこでテロが起ころうと関係なかったが、今はデリーで舞弥が行方不明になっている状態だ。
万が一、舞弥がテロの巻き添えを食らっては一大事である。
それでも頭の片隅では舞弥には関係のないことだと信じていた。
ユタラがプラムに事情を訊いたのは、少しでも舞弥捜索の不安材料を減らしておきたかったからに他ならない。
しばらくしてプラムはラップトップの画面に視線を固定したまま呟いた。
「ねえ、ボウヤ。子猫ちゃんは確かペンダントをぶら下げていたわよね」
「ペンダント? ええ、路上で子供から買ったペンダントをつけていました」
「色はシルバーで涙の形を模した雫形。間違いない?」
「それが何か?」
最初、ユタラはプラムが何を言っているのか理解できなかった。
テロ事件の情報収集と舞弥が身に着けていたペンダントにどんな関係性があるというのだろう。
ユタラが小首を傾げると、プラムは「これを見てちょうだい」とユタラに画面を見せつけるようにラップトップを回転させた。
ユタラはおそるおそるカウンターの隅に歩み寄り、ラップトップの画面に表示されていた映像を食い入るように見つめる。
ユタラは瞬きを忘れて口を半開きにした。
モニターには両手を後頭部で組み、紺色のスーツドレスを着た一人の女性が両膝立ちをしていた。
その女性の背後にはアサルトライフルの銃口を突きつけていた人間が映っている。
カーキ色の軍服に黒の目出し帽を被った小柄な人間だ。
けれどもユタラが着目したのはアサルトライフルを持った人間ではなかった。
「まさか……」
ユタラは唇を震わせながらラップトップのモニターを掴む。
スーツの女性にアサルトライフルの銃口を突きつけていた人間の斜め後ろには、首から雫形のシルバーペンダントをぶら下げているテロリストが佇んでいた。