何が起きたのか全く分からない。何が起きたのか、どころではない。何もかもがわからない。
気が付いたらウチはここに立っていて、そして、そして目の前には──
女性の生首が、転がっていた。
新鮮な生首だ。つい先ほど体から切り離されたのだろう。血がまだにじみ出している。
ウチは慌ててその首に駆け寄り、持ち上げようとして。そして……
ウチには左腕が無かった。
二の腕あたりが猛烈に傷む。昔からの傷ではなく、今さっき出来た傷の様だ。新鮮な肉の間から骨が飛び出し、血が滴っている。この生首と同じだな、なんて少しおかしく思った。
まあそんな事はどうでもいい。ウチはさっと止血をし、痛覚を一時的に遮断し、目の前の生首に注目する。
右手でつかみ、無い左手の分は稼働魔力によって固定する。そのまま魔力を利用して頭蓋を露出、切り取り、脳を摘出。
素早く背中にセットし、脳が新鮮な状態に保たれ、カロリーが供給されるように出来たら処置完了。ウチはやっと安堵を感じた。
何に安堵を感じたのだろう。そもそもこの行為はいったい何なんだろう。何故ウチは人の生首から脳を摘出し、保存したのだろうか。
何もかもがわからない。
だって、ウチには全ての記憶が、無いんだから。
まあでも、手掛かりにはなるんだろう。この一連の行為は。
記憶喪失になった人間はそれまでの人生の道筋は忘れていても、習慣としていたことや言語等は忘れないと聞く。はは。聞くも何も、それをどこで聞いたかも覚えてないけど。
エピソード記憶と意味記憶だっけか? そんな情報は今どうでもいいか。
それにしてもウチは落ち着いているな。普通もっと慌てるんじゃないのか? 記憶喪失になったら。
何をもって普通というか、比べる対象もいないし思い出せないけど、ウチの持つ『常識』ってやつは落ち着きすぎだろと突っ込みを入れてくる。
脳の摘出が終わったので周囲を見渡してみる。廃墟……にしては新鮮な壊れ方をした民家だ。つい先ほど壊れたのだろうか? 所々に血が付着している。ウチのものだろうか? この女性のものだろうか? ひび割れた隙間から光が差し込んでいる。今は日中みたいだな。
季節は……春か秋か。寒くもなく熱くもない。四季の概念は覚えてるんだな。はは。
近くに鏡らしきものを見つけたので近づいてみる。割れた鏡だった。まぁ割れてるのは鏡だけじゃなくこの家全体だけど。
とりあえず自分の姿を映してみて──
おお! 結構ウチ、イケてるじゃん。とりあえずウチが割と美少女である事がわかった。やったね。……この世界じゃ顔なんてみんな良かった気もするが。
あぁそうか、イケてるんじゃないや。ウチ好みの、ウチがなりたい顔なんだこれは。元の記憶をなくす前のウチが。
そりゃイケて見えるさ。他人から見て好みかどうかは知らないけど。
よく見ると髪の毛にでかい虫の髪飾りが付いていた。これは……フナムシか? 何でこんな巨大なフナムシが……
手で外そうとして、その手が止まる。これは、何かとても大切な物の気がする。外したくない。ずっとそばにいて欲しい。
飾り物なのにそばにいて欲しいだって。はは。
あとは服もひどいな。ボロボロだ。肌が多く露出して、血もにじんでいる。下半身なんか丸出しじゃないか。ウチは何かと戦っていたのだろうか? 腕が千切れるくらいだし恐らくそうなんだろう。
……いや違うな、この服。ボロボロではあるけどそれは上半身だけだ。下半身は傷も少ない。最初から下半身丸出しだったのか。てことはウチは露出狂か。やったね。自分の情報が一つ増えたよ。全く役に立たないけど。
ここが自分の家で、着替えの途中だったって可能性もあるけど、露出狂って方がしっくり来た。つまりそういう事なのだろう。だから何って話だ。
ボロボロになった家から出る。見渡す限り、廃墟だらけだ。しかも全部、同じ様な新鮮な廃墟。ご丁寧に新鮮な死体も沢山添えてある。地面の金属なんか血しぶきで真っ赤だ。
……地面が金属? まぁいいか。そんな光景もどこかで見た気がする。節々に散らばる動きを止めた歯車が、このあたりが工業地帯である事を伝えてきた。……の割には民家が多い気もするが。
とりあえずウチは保存容量の許す限り脳を集めて回る事にした。早くしないと脳が使えなくなるからね。
一番初めに出会った死体は、息子を庇って死ぬ父親と子の死体だった。金属の路上で倒れるその父親は、息子の事を力いっぱい胸に抱きしめて……
胸が、痛烈に痛む──。ウチにも人並みの倫理観はあるんだろう。脳を摘出しておいて笑えるが。しかも露出狂のくせに。
いやでもこれは、これは人並み以上だろうか。おかしい。涙がとまらない。
何でだろう。何で涙がとまらないんだろうか。この死体達は心に刺さった。
父親は息子を守ろうとして死んだのだろう。かばう格好で、共に亡くなっていた。胸に大きな穴が開いている。
母親はどうしたのだろうか。子供に兄弟はいなかったのか。まさか遠方に親しい親戚などいやしないよな。彼らが死ぬ事で、悲しむ人間はいないよな。みんな仲良く天国へ行けたよな。
考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになる。別にこの親子に限った話ではない。周りは死体だらけだ。この死体達に、まだ生きてる親しい人がいないはずがない。先ほどの女性だってそうだ。
ウチは嘔吐感に見舞われ、その場で胃の内容物を吐き出した。大したものは入って無かった。簡素な食事。消化の度合いが進んでいるのか、内容を推測することは出来ない。出来ればウチの食生活くらい知る手掛かりになったかもしれないのに。
死体に再度注目する。民間人だからだろうか、脳を破壊せずとも殺せている。軍人は脳さえあれば生き残るからな…。だからちゃんと脳を破壊するか、隙を作りだして思念魔力でハックしないと。
絡み合う親子の姿は昔どこかで見たであろう、恐竜の化石を連想させた。そんな風に意識をそらしながら、子供の死体に目をそらしながら、脳を摘出する。
その後一人で倒れてる男性から脳を摘出した時点で、保存容量はすぐに一杯になった。そういえば4つだったか。背中に収納できる脳は。
死体はまだ沢山ある。あの親子はそっと寝かせておいてあげた方が良かったかな、なんて思う。もう遅いけどさ。
せめてもの償いに、摘出した脳は有効活用させて頂こう。脳をどう使うのか、今は思い出せないが、近い内にわかるだろう。
これは身近な記憶だったはずだ。そんな気がする。
思い出すと言えば、ウチの名前は何だろうか……。確か、し…え…あぁだめだ。思い出せない。
とりあえず思い出せた『し』と『え』を繋いでシーエとでも名乗っておこうか。ちゃんと思い出したら変更すればいいさ。
この非現実的な光景を前に、ウチの感情は麻痺してしまったのだろうか。さっきまで劇的な悲しみを感じていたのに、今は平常心を取り戻してる。目を背けてるだけかもしれないけど。
思い出さなきゃいけない記憶がある気がする。
思い出してはいけない記憶がある気がする。
でもそんなことは今はどうでもいいや。何か、疲れた。そう、疲れたんだ、ウチは。だから思考も雑になる。
さてこれからどうしよう。この死体だらけの廃墟を見ながら、ウチはぼーっと考える。
そうだな。これからどうするかは、適当に歩きながら、考えればいいさ。
幸い脳も沢山ある。何とかなるさ。
ここがどこかも、どんな国なのかも、どんな世界なのかも、つーか自分自身も何もわからないんだ。歩いて別の場所に付けば手掛かりはつかめるだろう。
歩き始めながら、国とか世界とかがあるって事は知ってるのか、なんて思って。
ウチは少し、乾いた笑みをもらした。