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第14話

 せつ子、という十六歳の少女は挙動不審ぎみに辺りを見回して、藍の袴を履いた侃爾の数歩後ろを子犬のようについて歩いた。


「大した家ではないから肩の力を抜いていいぞ。作家先生の豪邸なんて言われているが。古い造りだから無駄に広いだけで、そんなに立派じゃない」


 明るい声で言う侃爾に、おさげ髪の少女は「はあ……」と溜息のような吐息を返して薄桃色の羽織の袖を握った。彼女は滅多に家の外には出ないのだと、行きつけのカフェーで出会った老紳士――せつ子の父親、が言っていた。


 家族以外と接することを好まず、尋常小学校も不登校で卒業し家に引き籠ったままなのだという。

 偶然に聞いた話であったが侃爾にとっては都合のいい話で、彼は少女の勉学の世話を自分の弟に任せてくれないかを持ち掛け返答を待った。せつ子の父親は喜んで娘を侃爾に預け、せつ子は愛想良く振る舞う侃爾にほとんどだまされるかたちでついて来たのだ。


 せつ子のような性質の者は、家族や親しい人間に迷惑を掛けているという罪悪感が強いからか、それを脱却する為の機会が無償であるのならば食いつく確率が高い。侃爾はこれまでの経験からその傾向を知っていた。


 せつ子も変えたいと思っている。――人の役に立たず鬱々と殻に籠るだけの自分を。




「こ……ここ、ですか?」

 せつ子が詰まったような声で尋ねた。

 視線の先には和風の住宅に洋風の三角屋根がついた文化住宅。


 侃爾は慣れた手つきで門を開け、玄関を入っていく。すると廊下の奥からバタバタとルカが出てきて、侃爾とせつ子に視線を送ると「侃爾様の恋人さんですか?」と手を鳴らした。

「違う。清那のほうだ」

「あらあらなるほど、そうですか」

 ルカは考える素振りをしてから、「どうぞ」とせつ子を迎えた。

 侃爾がせつ子を二階へ案内する。清那は自室の机で本を広げていた。


「やあ、兄さん。お客さん?」

 清那が顔を上げてにこにこと侃爾の背後へ目線を向ける。

「ああ、お前にな。せつ子さんだ。ご家族にもある程度教わっているが、算術や理科、地理を学びたいそうだ。時間の都合はつけられそうか?」

「勿論、僕は大丈夫だけど。その、せつ子さんは……男でも怖くない?」

 首を傾げて眉を下げる清那の仕草は、人の警戒心を解くような優しさと、母性本能を擽るような可愛らしさがある。せつ子は侃爾の腰のあたりの布を両手でぎゅっと掴んで、小さく頷いた。


「大丈夫だ、清那は俺なんかよりずっと優しい」

 自分の背に隠れているせつ子を清那の前に出してやると、せつ子は体を固めて、しかし意を決したように口を開いた。

「よ、よろしくお願いします……」

 尻すぼみの声を、清那の柔和な微笑みが受け止める。

「うん、よろしくね」

 彼は笑みを深くして前に乗り出し、せつ子の両手を自分の手で包んだのだった。


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