和己は胸部を貫いている紘子の腕を抜こうと体を人間の姿から屍蝙蝠の肉体に変化させる。スーツを破って肩甲骨のあたりから黒くダメージ加工を施した革製品のような質感の巨大な翼が広がる。後ろに下がった勢いで抜き取ろうとするがよほどの力なのかびくともしない。
(な、なんて力だこの女……!)
屍蝙蝠と化した和己は紘子の腕を引き抜くのを諦め、屍人としての純粋な腕力を利用した手刀での切断を試みる。一瞬で紘子の腕の手首から先が切断され、黒い血が堰を切ったように吹き出して和己の体を濡らした。
「うわ、痛ったあ……!女の子の腕切り落とすとかどういう神経してるんですか。体の中にいる娘さんが泣きますよ‼︎」
『知るか。君だって俺と同じ屍人だろう。人間の常識なぞ知ったことじゃないさ』
和己は「ふん」と鼻で笑い、床に落ちた紘子の腕を拾って滴る血を舐めたが口に合わずすぐに投げ捨てた。ぐるりと警告するように和己の体内で瑠花が蠢く。
《父さん、逃げて。このままだとアイツに殺されちゃうよ》
《……そうだな。撤退して一度態勢を立て直すか》
和己は脳に直接響いた瑠花の声に頷き返す。和己が紘子に向き直ると片腕を失ったというのにまだにこにこと笑顔だった。
「あれ、もうお終いですか。最近運動不足なのでもっと戦いません?」
『……断る。これ以上無駄な血を流したくないのでね。そんなに戦いたいなら他の屍人をあたればいいだろう』
和己はリビングルームを見回し入り口ドアからの逃走は不可能だと悟ると、天井を見上げる。紘子が次に口を開く前に鉤爪の生えた両足で腹に強烈な蹴りを食らわせ、そのまま天井を突き破って屋根へと着地する。土砂降りの雨が空いた穴から室内に流れこむ。
「あー、そんなあ。あなたを逃したら麻倉さんに怒られるんですよ私」
『……さらばだお嬢さん、二度と会いたくはないがな』
和己は捨て台詞を吐くと屋根から曇天の空に飛び立った。下では紘子がその姿を見上げて途方にくれている。外で物音を聞きつけた麻倉がずぶ濡れのリビングルームに走ってかけこんできた。
「紘子大丈夫か。まさか奴をとり逃したのか?」
「す、すみません麻倉さん。あっちが思ったよりすばしっこくて倒しきれませんでした。でも胸に大穴空けてあるんでそんなには体が保たないはずです」
えっへん、と胸を張る紘子に麻倉は「そういうことじゃないだろ……」と呟いて頭を抱える。床に落ちた片腕に気づいて拾うと、紘子に手渡す。
「ありがとうございます。くっつきますかね、これ」
紘子は和己に舐められた部分を気にしながら麻倉から受け取った腕をぎゅっと手首に押しつける。そんなことで普通くっつくわけがないのだが切られた部分がじわじわと残った部分に混ざり合っていく。しばらくすると継ぎ目すらなくなり、完全に元通りになった。
「後を追うぞ。匂いをたどれ」
麻倉は足早に玄関に向かう。紘子は部屋の隅に置いていた鞄を拾ってから麻倉の後を追いかけた。