――ちゃんと来てくれるかなぁ……
翌日の放課後、わたしは事務所の正面玄関を出たり入ったり、そわそわしながら二人を待ち構えていた。
――そういえば、今時の高校生の放課後って何時ごろ?部活とかやってるのか聞いとけばよかった。
不安と期待が入り混じった気持ちで待っていると、少し遠くから優斗くんの元気な声が聞こえてきた。振り向くと、手を振りながら茜ちゃんを置き去りにして優斗くんが元気に駆けてくる様子が見えた。
「今日からよろしくお願いします」
優斗くんと茜ちゃんは約束通りマジカルエクスプレス便の事務所を訪れてくれた。春の柔らかな陽射しが事務所の窓から差し込み、ホコリの舞う光の筋を作っている。
「来てくれてありがとう!」
わたしは心から嬉しく感じた。彼らが本当に来てくれるかどうか、自分でも意外なほど不安に感じていたようだ。わたし達の声を聞いて、拓人さんものっそりと奥から出てきた。奥で荷物の整理をしていたらしく、首を回しつつ自分で自分の肩をもんでいる。そんな拓人さんを含めて今いるメンバーに、わたしは今日の仕事の話を始めた。
「今日は簡単な配達から始めようと思っています」
「どんな配達ですか?配達先は近場ですか?遠い所ですか?もし遠い所だったら、他の支店とかに受け渡したりするんですか?それとも同じような宅配サービスをやってる別業者が他にも日本中にあるんですか?」
早速優斗くんが興味津々という様子を隠せずに、矢継ぎ早に尋ねてきた。現時点でどこまで話して良いか考えつつわたしは答えた。
「うーん、支店は無いけど、同業者なら少ないながらも一応他にもいるよ。でも基本的に配達先に一番近い宅配業者に荷物が自動的に転送されるから、そんなに遠くまで出かけたり、同業者と協働することはまず無いと思っていいよ」
「ふん、こんなブラックな職場に勤めようなんて言う物好きはあんまりいないからな」
拓人さんが皮肉たっぷりに付け足す。
「それは私への当てつけか?」
どこからともなく店長の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「あ、居たんですか。じゃなくて、いや、その、そういうわけじゃなくて……」
しどろもどろになりながら拓人さんは慌てて店長に言い訳する。
「くそ!ブラックなのは毛並みだけにしろ!」
こっそり付け加えた言葉をわたしの耳が拾った。店長が神出鬼没なのは今に始まったことではない。油断して不満を口に出す方が悪い。そんな拓人さんを店長はジト目で見ている。黒猫のジト目という珍しいものをわたしは初めて見た。一人と一匹の睨み合い、いや、この場合は一方的に睨まれていると言うべきか、ばつの悪そうな拓人さんを助けるためにわたしは話題を元に戻す。
「さて、今日の配達の話だったよね」
話を戻すと、事の成り行きを唖然と見つめていた優斗くんが期待に胸を膨らませ、途端に純粋な好奇心で瞳を輝かせた。
「手始めに魔法の本を届ける仕事をやってみようか」
「本を届けるために4人で移動するのは効率が悪くないですか?」
茜ちゃんから冷静な指摘が飛んでくる。
「普通の人間界の宅急便だとドライバー1人で配達に回ってるケースが多いけど、魔法界に関する宅配物は複数人でチームを組んで配達するのがセオリーなの。それは魔法事故への備えであったり、万が一チームの1人が行動不能になってももう1人が助けを呼べるようにするためであったり、理由はいくつかあるけど、だいたい2~3人で1チームを組むのが普通だよ。4人はちょっと多いかもしれないけど、始めたばかりの二人はまだ魔法界に慣れていないから、今日は見学扱いというふうに理解しておいてちょうだい」
そう言いつつ、わたしはさらに荷物に関する補足情報を開示した。
「受取人は人間界に住む魔法使いの見習いさん」
「人間界にも魔法使いがいるんですか?」
茜ちゃんが今度は驚いた様子で尋ねてきた。それに続いて「受取人の素性まで知ってるんだ」という呟きもわたしの耳に届く。
――茜ちゃんだったら、発送元や受取人のプライバシーとか気にしてそうだけど、この仕事をしてると危険回避のためにもそういう情報が必要になってくるんだよなぁ。
茜ちゃんが呟いた小さな懸念は明示的にされた質問ではないので聞き流し、わたしは微笑んで答えた。
「もちろんいるよ。魔法界と人間界は完全に分かれているわけじゃないの。境界線は曖昧で、あまり知られてはいないけど行き来している人も実は割といるんだよ」
実際、わたし自身も魔法使いでありながら人間界で暮らしている。魔法界は素晴らしい場所だけれど、わたしはこの人間界の日常の温かさも大切にしたいと思っている。それが、この仕事を選んだ理由の一つでもある。
「僕も魔法使いになれますか?」
優斗くんが熱意を隠そうともせずに尋ねてきた。わたしは少し考え込むように首を傾げた。
――ここは正直に答えるべきだろうね。
「才能があれば可能性はあるけど……大人になってからの修行は実際のところ難しいと言わざるを得ないなぁ」
「そうなんだ……」
優斗くんが少し落胆した様子で心の内を感じさせるため息とともに呟いた。彼の落胆した表情を見て、わたしは少し心が痛んだ。何かフォローが必要なレベルで落ち込んでいる。どうやら気分の浮き沈みの激しい子らしい。そんな優斗くんにわたしは助け舟を出す。
「でも、魔法に触れる仕事はたくさんあるよ。この仕事もそのひとつ」
わたしは慰めるように言った。あえてかどうか知らないが、そんな会話の空気を読まずに拓人さんが割り込んできた。
「さて、準備できたか?」
「うん、もう大丈夫。今日は優斗くんと茜ちゃんも一緒に行くよ。で良いよね?」
わたしがにこりと笑って二人に問いかけると、逆に拓人さんは二人を見て小さくため息をついた。
――どうせまたわたしの事を能天気だとか考えなしだとか何か思ってるんでしょ。
「気ぃつけろよ。魔法の世界は想像以上に危険だからな」
「それは私が一緒だからって言いたいの?」
「お前といると、より危……いや……一般論だ」
――今の間、明らかに気をつかわれたよね、わたし。申し訳ない……
「大丈夫です!」
それに気づいたかどうか知らないが、優斗くんが元気よく答えた。
「怪我したら責任取れないからな」
拓人さんが付け加えた。
「拓人さん、そんなに怖がらせないで!」
しかし、わたしが抗議したところで彼の態度は変わらない。拓人さんはいつも最初は厳しいのだ。
「今日の配達はとても安全なものなんだよ。安心してね」
「そうであることを願ってるよ」
わたしは拓人さんをひと睨みした後、皮肉たっぷりの彼の言葉を無視して高校生二人組と一緒にバンに乗り込み、市内の住宅街へと向かった。春の青空の下、窓の外には色とりどりの花々が咲き誇っている。昨日から驚きっぱなしで、魔法の世界を初めて垣間見る二人が必要以上に驚かないように、可能な範囲でできるだけ詳しく説明しておこうと思う。
「基本的に、私たちは魔法界と人間界の橋渡し役なの」
わたしは穏やかに説明を始めた。
「魔法使いが人間界で生活するためのサポートや、魔法の品物の配送を主な業務にしてるんだよ。それから、魔法界と人間界の橋渡しをするっていう役割に関連して、配達の合間に両世界の境界を見回って安定を維持したり、不安定な兆候が見えたりしたときは然るべきところに報告することも重要な任務の1つなんだ」
「へぇ~。人間界にある普通の田舎の宅配業者が自治体から委託を受けて、ご高齢の方々の家を回って安否確認をしている例と似ていますね」
茜ちゃんは自分の理解の及ぶ例に置き換えて必死に解釈をしているようだ。一方、優斗くんの方は純粋な好奇心で尋ねてきた。
「魔法界ってどこにあるんですか?」
「それは……」
わたしは説明に詰まり、困ったように微笑む。実はこの質問はよく受ける。でも、簡単には説明できないのだ。
「言葉で説明するのは難しいの。うーん、なんだろ?別の次元とでも言えばいいのかなぁ。でも、ところどころで人間界と繋がっているんだ」
「科学的には説明できないところですか?」
今度は茜ちゃんが問いかけてきた。緊張して口数が少なかった彼女も緊張がほぐれてきたようだ。あるいは彼女の知的好奇心が緊張を上回ったのか。それを聞いて拓人さんがバックミラー越しに笑った。
「科学と魔法は相容れないってことだな」
「そんなことないよ!」
わたしはすぐに反論した。ここは外してはいけない大事なポイントだと思ったからだ。
「私はむしろ補完し合うものだと思ってる。ただ、まだ科学では解明できていない部分が多いだけでね」
実際、魔法界でも科学の研究は進んでいる。二つの知識体系を結びつけることで、より多くのことが理解できるようになる。それこそが、わたしが両方の世界の懸け橋になりたいと思う理由だ。
バンは閑静な住宅街に入り、小さな一軒家の前で停車した。この辺りは桜の花びらが舞い、春の訪れを感じさせる美しい光景だった。
「二人とも着いたよ。ここが配達先」
わたしが後部座席に声をかけ、四人全員が降りると、わたしは茶色の紙で包まれた箱を取り出した。箱からは微かに青い光が漏れていた。わたしはこの光を見て少し安心する。輸送中も発送人が荷物に施したと思われる魔法は安定している。輸送中の強奪や襲撃を心配して、発送前に荷物に魔法をかけて送り出す魔法使いは一定数いる。荷物に危険が及ぶと自動的に手元に戻ってくるようにしたり、極秘の研究素材とかヤバいものだと某スパイ映画のように自動的に消滅するように細工されているものもあったりするのだ。一応、何の魔法がかかっているかは教えてもらえるが、配送人にとっても危険な魔法がかけられている場合は追加料金を頂く事になっている。それだけの魔法をかけるという事は、荷物もそれだけ重要であることが多いからだ。
――だからって、爆発するようなのはやめてほしいけどね。
「これが魔法の本?」
優斗くんが興味深そうに覗き込む。
「そう。特別な魔法が封じられた本だよ」
わたしが説明する。
「見習い魔法使いの教科書みたいなものかな」
わたしたちが家の門から中に入ると、急に空気が変わった。周囲が少し歪んで見え、音も遠くなったような感覚がある。これは魔法使いの家によくある保護魔法による影響だ。
「なんか変な感じ……」
「茜もそう思うか?」
高校生二人が不安そうに周りを見回した。
「一般の人たちから魔法に関する空間を感知されにくくするための簡易的な隠蔽魔法の障壁だよ」
わたしが説明した。普通の人にとっては、ここはただの普通の家に見える。でも簡易的な隠蔽魔法なので、魔法使いのような魔力の気配を感じられる人や魔法の素養がある人は微妙な違いを感じるのだ。魔法使いにも分からないようにするには、結構高度な隠蔽魔法が必要になるが、一般人相手ならこれでも十分なのだ。
――魔法障壁を感知してるってことは、ひょっとして二人には魔法の素養があるのかな?うーん、分かんないから帰ってから店長に聞いてみよう。
わたしは思考することを放棄してインターホンを鳴らした。「はーい」という声が聞こえ、ドアが開いた。現れたのは20歳前後の女性で、普通の大学生のように見えた。白石葉月さんだ。彼女とは何度か仕事で会ったことがある。
「千秋さん、ありがとうございます!」
葉月ちゃんは笑顔で迎えてくれた。
「お待ちしてました」
「葉月ちゃん、元気だった?」
わたしは荷物を差し出した。
「これ、注文してた本だよ」
「ありがとうございます!」
葉月ちゃんが嬉しそうに箱を受け取った。彼女の顔には純粋な喜びが浮かんでいる。
「あれ?今日は人数多いですね」
「うん、新しいバイトの子たちだよ。高梨優斗くんと水沢茜ちゃん」
わたしは優斗くんと茜ちゃんを紹介した。
「二人とも初めまして!」
葉月ちゃんが二人に微笑んだ。
「私、白石葉月です。大学生兼見習い魔法使いです」
「本当に魔法使いなんですか?」
優斗くんが興奮気味に尋ねると、葉月ちゃんは少し照れたように笑った。
「まだ見習いだけどね。大学の勉強と両立させるのは結構大変なんだ」
「葉月さんは普通に大学に通ってるんですか?」
茜ちゃんが驚いた様子で尋ねた。
「もちろん。魔法界と人間界、どちらでも生きていける力が必要だからね」
わたしは葉月ちゃんの言葉に静かに頷いた。彼女もわたしと同じように、両方の世界で生きることを選んだ一人だ。それは簡単なことではない。でも、だからこそ意味があるのだと思う。
「すごいですね!」
優斗くんが感嘆の声を上げた。
「じゃあ葉月ちゃん、宅配契約書の受取人欄にサインをお願いね」
わたしが小さな羊皮紙のような紙を差し出した。受取人のサインをもらうことで、これは魔法界の正式な配達完了証明書となる。葉月ちゃんはペンで素早くサインした。すると、紙がふわりと浮かび上がり、金色に輝いた後、わたしのバッグに吸い込まれていった。この様子に優斗くんと茜ちゃんはもう何度目か分からない驚いた表情を見せた。
「これで配達完了ね」
わたしは満足げに言った。
「また何かあったら連絡してね」
「ありがとうございます!」
葉月ちゃんが笑顔で見送ってくれた。バンに戻る途中も優斗くんは興奮を抑えられない様子だった。
「すごい!葉月さん、本物の魔法使いだったんですね!」
「でも彼女、普通の大学生に見えたわ」
茜ちゃんが感想を述べた。
「そうでしょ?」
そう言ったわたしからはうれしさを隠し切れない雰囲気が滲み出ていた。実は、これはわたしが伝えたかったことの1つだ。
「本当は魔法使いだって中身は普通の人間と変わらないんだよ。ちょっと特別な力を持っているだけ」
「魔法使いにもしっかりしてるのもいれば、ドジなのもいるってことだ」
バンの運転席のドアを開けながら拓人さんが茶々を入れてくる。わたしはそんな拓人さんの靴のつま先を思いっきり踏みつける。拓人さんが声にならない悲鳴を上げている横でわたしが少し留飲を下げていると、優斗くんが期待を込めて尋ねてきた。
「次はどんな配達ですか?もっとすごい配達をしに行くんですか?」
思わずわたしと拓人さんは顔を見合わせた。
――すごい配達って、どんなのをイメージしてるんだろう?逆に聞いてみたいよ……
でも実際のところ、次の配達がちょっと心配だったのだ。
「実は次の配達がちょっと問題で……」
わたしが言いかけたとき、わたしのポケットから奇妙な音が鳴り響いた。わたしはポケットから魔法通信デバイスを取り出した。一見普通のスマートフォンのように見えるが、画面には魔法界の特殊な文字と記号が浮かんでいる。
「緊急配達?」
わたしは画面を見て眉をひそめた。
――しかも難易度Bランク……。これは少しだけど危険を伴うやや難しい配達になりそうだなぁ。
「何があった?」
拓人さんが心配そうに尋ねてきた。
「魔法の鏡を緊急配達してほしいって依頼」
わたしは画面の情報を確認しながら説明した。
「受取人は……あれ?」
「どうした?」
拓人さんが身を乗り出してきた。
「受取人不明……って出てる」
わたしは不思議そうな表情を浮かべた。通常、依頼には受取人の情報が明記されているはずなのに。
「こんなの初めて……」
「断れよ。危ないぞ。明らかにおかしいだろ」
拓人さんが即座に言った。
「でも、依頼元は魔法評議会だから信頼できるはず……」
わたしは画面をもう一度確認した。魔法評議会は魔法界の統治機関で、その依頼を断るのはかなり難しい。それに、緊急と記されているからには何か重要な理由があるはずだ。優斗くんと茜ちゃんはわたしたちのやり取りを興味深く見ていた。二人の目には好奇心が満ちている。
「どうするんですか?」
茜ちゃんが尋ねた。彼女の冷静な視線がわたしに向けられた。わたしは少し考え、決心した。
「行ってみよう。ただし、万一のために防御の準備をいつもより念入りにしていくことにするね」
安全面は確保しなければならない。特に今日は新人の二人も一緒だし。心の中で対策を練りながら、わたし達はバンを事務所へと向かわせた。