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第3話「光彩の蝕」

「ちょっと待って敵が人間だなんて聞いてない!」


 光流が声を上げる。スノウホワイトが今さら何を、と言いたそうな顔をする。


「何度も言わせるな。光彩ルクスコード彩響者コンダクターは対で、わたしたちの敵だ」

「でも!」


 そう言い、光流が目の前の男を見る。衣服はボロボロに引き裂かれ、血に汚れているがそのダメージがないかのように平然と立っている。


彩響者コンダクター、敵を倒せ」

「そんなこと言っても!」


 できない、と光流が叫ぶ。

 今まで仕掛けてきたトラップも全て目の前の二人を殺すためだったのかと理解し、背筋が総毛立つ。


——俺がやったのは、人を殺すための——。


 そこで一つ理解する。先ほどまで繰り広げていたゲームは敵を排除し、生き残るための戦いだと。

 光彩ルクスコードと手を組み、光彩を倒すというシンプルなルール。


「このガキが——!」


 男が吠える。吠えると同時に右手を天に掲げる。


「ウォーターグリーン!」


 その瞬間、男の隣に立っていた薄緑の少女が姿を変えた。

 液体のように弾け、集まり、一振りの剣を形作る。


「っ、彩響者コンダクター!」


 スノウホワイトの声に、光流も咄嗟に声を上げる。


「スノウホワイト!」

「了解した!」


 スノウホワイトの全身を氷が包み込む。

 周囲の氷柱に一瞬スノウホワイトの姿が映し出され、澄んだ音が響き渡る。

 その音と共にスノウホワイトを包み込んだ氷が砕け散り——


 光流の前に氷でできたような一振りの剣が舞い降りた。


彩響者コンダクター、わたしを使え!』


 スノウホワイトの声が光流の脳内で響く。

 剣を手に取り、光流は切っ先を男に向けた。


「って、勢いで構えたけど!」


 男に向けて剣を構えたものの、光流の脳内は再び混乱していた。

 戦わなければ生き残れないのは分かる。これが光彩ルクスコード彩響者コンダクターの戦いであることも分かる。だが、殺さなければいけないとは聞いていない。

 その光流の躊躇が、隙を作った。


「死ねやぁ!」


 薄緑の剣を手に、男が真っすぐ突っ込んでくる。向けられた剣の切っ先に、心臓が凍り付くような錯覚を覚える。


彩響者コンダクター!』


 スノウホワイトの声に、光流が咄嗟に自分の剣で受け止める。


『守ってばかりだと勝てない!』

「そんなこと言われても!」


 全力で男の剣を弾いて後ろに跳び、光流が叫ぶ。


「殺せるわけないだろ!」

「はん、何を甘ったれたこと言ってんだ!」


 目の前の男は光流に対して明確な殺意を持っている。その視線だけで殺されそうな気分になってくる。

 死ぬのは嫌だ、と光流が唸る。

 同時に、殺すのはもっと嫌だと心が叫ぶ。


 そもそもよく分からない戦いに巻き込まれていきなり「殺せ」と言われても殺せるものではない。

 ゲームなら死んでもリセットできる、だが目の前にある命はリセットできない。


『甘ったれたことを言うな!』


 スノウホワイトの声が光流を叱咤するが、殺したくないものは殺したくない。できるなら殺さずに終わらせたい。


「何か手はないの!?」


 追いすがり、追撃してくる男の剣を受け止めながら光流が周囲に視線を投げる。

 誰か、何か、男を足止めして、できれば無力化を——。

 その光流の視界に、鈍く光るものが見えた。


——あれは!


 設置したものの、起動に至らなかったトラップ。

 これだ、と光流は左手をトラップに向けて突き出した。


「スノウホワイト!」


 光流の中で何かが弾ける。

 弾けた何かは全身を駆け抜け、突き出された左手から氷片となり放たれる。

 放たれた氷片は狙いたがわずトラップの起動スイッチに突き刺さった。


「——!?」


 起動したトラップに、男は咄嗟に回避を試みる。


「させるか!」


 回避させないと光流が男に手を伸ばす。

 光流に右手を掴まれ、男の動きが一瞬止まる。

 その二人の頭上から、無数の氷の槍が降り注いだ。


「ぐ——っ!」


 設置したトラップは設置者が踏み込んでも起動はしないが、起動したトラップは設置者にも牙を剥いた。

 降り注いだ氷の槍は男だけでなく光流も傷つける。


 トラップの直撃コースは避けたため腕や脚を掠める程度ではあったが、男を足止めするならこれくらいのリスクを負わなければ無理だと光流は痛みに耐えながら男の右手を掴んでいた。


 氷の槍は同じく男にも降り注ぐ。

 ただ、これも光流が直撃コースを避けたため、致命傷になるようなダメージは与えない。


 だが、その氷の槍の一つが光流に掴まれた右手——その手首に直撃した。


「な——!」


 男が驚愕する。

 そこには薄緑に光る枷があった。

 枷は受けたダメージに耐えられず、粉々に砕け散る。

 刹那、男が左手に握っていた剣が薄緑の光の粒子へと変化した。


「あ——」


 男の顔が絶望に染まる。

 光の粒子は一瞬だけウォーターグリーンの姿を取り、拡散する。

 拡散した光は光流の周囲をぐるりと回り、光流の中に吸い込まれるように消えていった。


「な——嘘だろ? ウォーターグリーン!」


 男が叫ぶが、その声は氷の洞窟にむなしく反響するだけ。

 嘘だ、戻って来いと叫ぶ男とは裏腹に何が起こった、ときょろきょろする光流。

 光流の剣が砕け散って隣で集結し、スノウホワイトの姿に戻る。


「終わった——のか?」


 スノウホワイトの躊躇いがちな視線が光流に投げかけられる。その目は揺れており、今しがた起きた状況に多少なりとも困惑しているように見えた。


「え、何が起こったの?」


 尋ねる光流に、スノウホワイトははっとして光流を見た。


「わたしたちの勝利のようだ」

「え」


 思わず光流が男を見る。

 男は絶望の面持ちでその場に座り込んでいた。

 何度もウォーターグリーンの名を呼ぶが、薄緑の少女は姿を見せない。

 だが、男がその名を口にするたび、光流は自分の奥底で薄緑色の光が鼓動のように瞬く錯覚を覚えた。


 光の枷を砕いたことでウォーターグリーンは男の手を離れた。それだけでなく、ウォーターグリーンは自分の中に消えていった。つまり——。


「まさか契約を断ち切ることでイクリプスを発生させるとは」

「何それ」


 どうやら危険は去ったらしい、と光流は肩の力を抜いた。

 イクリプスという単語について問いただすと、スノウホワイトは簡潔に答えてくれる。


光彩ルクスコードを打ち破ると、その力を得ることができる」


 そう言い、スノウホワイトも座り込む男を見た。


「本来なら彩響者コンダクターを殺せば光彩ルクスコードは存在を維持できなくなりイクリプスが発生するが、契約の鎖を断ち切るのもルール上あり、ということか」

「つまり……殺さなくても、いい?」


 恐る恐る光流が確認する。

 ああ、とスノウホワイトが小さく頷いた。


「だが、契約の鎖を断ち切るなど普通ならできるはずがない。彩響者コンダクターを生かすなど、甘い考えは捨てることだ」


 その言葉に、光流はいいやと首を振った。


「殺さなくても済むなら、俺は殺さない」

「それが甘いと言っている!」


 スノウホワイトが声を荒らげるが、それで折れる光流ではなかった。

 いくら甘いと言われても人の命は奪いたくない。

 ここで折れれば人としての何かを失ってしまう気がして、光流は折れるわけにはいかなかった。


 一瞬の沈黙。


 はぁ、とスノウホワイトがため息をついて光流を見た。


「キミは光彩戦争クロマティック・イクリプスをそうやって戦い抜くつもりか」

「何それ。まぁ、あんまり戦いたくないけどね」


 肩をすくめ、光流が苦笑する。


「……分かった。彩響者コンダクターに任せる」


 これ以上の口論は無意味だと判断したか、スノウホワイトが指を鳴らした。

 それに応じるかのように砕け散る氷の洞窟。

 砕けた氷は粒子となり空へと消えていく。

 その向こうに、見慣れた街並みが姿を見せた。


 近くを流れる水門川すいもんがわのせせらぎが聞こえてきたことで、光流は現実世界に戻ってきたことを実感する。

 空を見上げる。虹色の流星群は終わったのか、空はいつもの星空へと戻っている。


光彩戦争クロマティック・イクリプス、か……」


 つい先ほどスノウホワイトが呟いた単語を、ぽつりと光流は呟いた。

 訳が分からないままに契約は成ったと言われ、流されるままに戦って、これからも戦うことになると考えると心が重い。

 それよりも、今は——。


「スノウホワイト」


 スノウホワイトに視線を向け、光流は口を開いた。


「教えて。光彩戦争クロマティック・イクリプスのことを」


 光流に言われ、スノウホワイトも小さく頷く。


「ああ、キミに教えよう。光彩戦争クロマティック・イクリプスでわたしが知っている全てを」


 スノウホワイトの言葉は、光流に覚悟を決めさせるには十分だった。

 光流が周りを見ると、すっかり暗くなった住宅街の向こうに駅前のショッピングセンター、「アクアウォーク大垣」の光が目に入る。

 その光に早く帰らなければ両親が心配すると思うものの、スノウホワイトの存在が当たり前の日常は終わったのだと告げてくる。


 暗がりの中に立ち竦む二人の頭上で、何の変哲もない流れ星が一筋、すっと流れ消えていった。


——今までのままじゃだめだ。でも、誰かを殺すんじゃない、誰も死なせずに生き残る。


 そんな、光流の思いを乗せて。

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