衝撃波は光流と男を中心として洞窟内を駆け抜ける。
氷柱を薙ぎ払い、発動しそこなったトラップを粉砕し、荒れ狂う獣のように氷の洞窟を蹂躙する。
「く——」
男の枷にハンマーを叩き付けた光流が低く呻く。
硬い。今まで戦ったどの
「俺は負けるわけにはいかない!」
男が叫ぶ。
「グラファイト!」
「
男の呼びかけに、少し離れたところで虹色のリボンに拘束されていたグラファイトが身じろぎする。
「この程度——!」
絆がなんだ、とグラファイトがリボンを引きちぎろうと力を込める。
契約していない
そう、思っていたのに虹色のリボンはびくともしない。
『やらせない!』
そう、声を上げたのは誰だろうか。
その声に合わせていくつもの声が「そうだそうだ」と合わさっていく。
『わたしたちはヒカルに願いを託した!』
『ヒカルの願いはわたしたちの願い!』
『なんだかんだ言ってほっとけないんだよ、あのバカ
「な——」
そんなバカなことがあるか、とグラファイトの顔が歪む。
実際、グラファイトの
「くそ、お前らも力を貸せ!」
男が自分の中の
その声に応じ、幾人かの
「お前ら、あいつに従うのかよ!」
男から引きはがそうと手を伸ばす
『まー乗り気じゃないけど指示だし』
『結局、うちらは持ち主の指示に従うしかできないんだよねー』
やる気のない
その声に、光流は何故か勝利を確信した。
男とグラファイトの絆は強い。それも光流とスノウホワイトの関係に匹敵するくらいに。
しかし、男とグラファイト
光流と
それなら、と光流は心の中で叫んだ。
(契約の枷は俺とスノウホワイトで砕くが、外野を振りほどくのは手伝ってくれ!)
『あいにゃー』
グラファイトの拘束に行かなかった
『ヒカルの頼みなら仕方ないにゃー』
その瞬間、グレーがかかった青色の少女が光流に群がった
揺れる猫耳、しなやかな尻尾、まるで猫のような身のこなしに光流が一瞬苦笑する。
「ロシアンブルー、任せた!」
「ヒカルが名前呼んでくれたにゃー! 頑張るにゃー!」
現在、光流が従えている
その全てを名前で呼べる自信は光流にはあった。
それだけでも、
ロシアンブルーが牽制することで光流を妨害しようとした
それを好機とばかりに光流は手にしたハンマーに全力を込めた。
「スノウホワイト!」
『わたしたちは!』
『負けない!』
ハンマーの先で灰色の枷にひびが入る。
次の瞬間、衝撃に耐えきれなかった契約の枷が粉々に砕け散った。
「あ——」
光の粒子へと変わっていく枷の欠片に男が声を上げる。
「そんな、嘘——だ」
「
そこで漸くグラファイトが光のリボンを引きちぎり、男に手を伸ばそうとし——
「契約が砕けても、お前さえ殺せば!」
契約が解除されたはずなのに、グラファイトの手にダイヤモンドの剣が出現、その切っ先を光流に向けて突進した。
「ヒカル!」
スノウホワイトが咄嗟に冬の女王の姿に戻り、光流を庇おうとするが、光流はそれを片手で制する。
「大丈夫だ、スノウホワイト」
「死ねえぇぇぇぇ!!」
グラファイトが叫び声と共に光流に突っ込んでくる。
だが、そこまでだった。
ダイヤモンドの刃が光流に届く直前で光の粒子へと砕けていく。
光の粒子はあっという間にダイヤモンドのを分解し、グラファイトをも分解し始めた。
「——ッ!」
嫌だ、とグラファイトが抵抗しようとするが、指先から腕、腕から胴体が灰色の粒子へと変わっていく。
「嫌だ! 王になるのは、
何度も嫌だ、と叫び、グラファイトが砕けた手を伸ばそうとするが、もがけばもがくほど身体を構築する色彩は粒子へと砕けていく。
それを、光流はただ黙って見ているしかできなかった。
そもそも契約の鎖が無くなった時点でそれ以上の追撃は
呪詛の言葉を吐きながら光流の喉笛に食いつかんと身じろぎするグラファイトに、光流はたった一言だけ、
「ごめん」
と声をかけた。
「今更謝ったところで!」
「もういい、グラファイト」
「謝るくらいならお前が死ねばよかった!」と叫ぼうとしたグラファイトを、男はそっと抱きしめた。
「灰斗——」
「俺は甘く見すぎていた」
崩れゆくグラファイトの頭を撫でながら男が独白する。
「不殺なんて殺す度胸もない弱者の負け惜しみだと思っていた。だが——こいつは違った」
そう言い、男は光流を見る。
「——天宮光流、」
「っ」
名前を呼ばれ、光流がわずかに身を強張らせた。
「なんで俺の名前を」
「俺はこう見えて探偵でね。身元の調査くらいお手の物だよ」
「灰斗……。ごめんなさい、わたしが、わたしの力が及ばなかったばかりに」
男——灰斗に抱きしめられたグラファイトが何度も謝罪するのを、灰斗はゆっくり首を振って労う。
「お前はよくやってくれた。俺のわがままにも付き合ってくれた。お前は俺の最高の相棒だったよ」
「灰斗……」
「だからこそ、俺は負けを認めないといけない。天宮の決意と絆は本物だった。俺も負けてないと思ったが——決着の決め手になったのは『他の
契約が断たれ、イクリプスが発生しつつある今の状態で灰斗にはグラファイト以外の
だが、灰斗は光流の周りに数多くの
この信頼は何だ。どうして
『灰斗——ありがとう』
その言葉と共にグラファイトだった粒子はわずかに煌めき、光流の中へと消えていく。
それを見送り、灰斗ははぁ、と息をついた。
「お前の純粋さには負けたよ」
「正直、勝てる気はあまりしませんでした」
謙遜でもなく、本心で光流が言う。
「貴方とグラファイトの絆は強かった。互いに信頼して、最強の攻撃を仕掛けてきたのに勝てたのは……。まぁ、俺が化学オタクだったからってことで!」
「お前、調子いいなあ」
光流の言葉に男が苦笑する。
そうだ、カーボンナノチューブをテルミット反応で焼き尽くしたりエントロピーの削減という分子そのものを否定する攻撃を放てたのは光流に化学知識があったからに他ならない。この知識の数々がなければ光流はなすすべなく切り裂かれていたはずだ。
「伊達にあの学校に通ってないということか。あの学校は専門的な興味が強くないと校門をくぐることすら許されない。学科は電子制御であったとしても様々な分野にアンテナを伸ばせる力があるからこそその知識を戦闘に活かせた、それは誇っていいぞ」
「ありがとうございます」
戦っているときはただ冷徹な人間だと思っていたが、敵であったとしても褒められるときは褒めることのできる人なのか、と光流が肩の力を抜く。
万一隙を突いて暗器を出したとしてもそこはスノウホワイトで対応できる。できれば返り討ちにしたくないが、この場合は正当防衛として仕方のない話になる。
「ああ、自己紹介が遅れたが俺は
もう戦う気はないとばかりに自己紹介し、男は少しきょろきょろとしてから手近な氷塊に腰を下ろした。