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第6話 優しい温もり

 数時間後、ニコが戻ってきた。

 入れ替わりに芯が呼ばれて、紅の部屋に入っていった。

 ニコが屋敷の案内をしてくれているうちに、夕餉の時間になった。


「わぁ! お肉だぁ!」


 昼餉と同じ部屋に通されると、既に支度が整っていた。

 かなりぶ厚くて大きなステーキが皿に載っている。

 あまりの光景に偽物かと疑った。


「紅様、俺、肉よりもっと、紅様のを飲みたい……」


 蕩けた顔をさせた芯が紅に抱き付いている。

 顔を摺り寄せ口付けを迫るその顔は、昼間に逃げる算段をしていた芯と同じ人間とは思えなかった。


(紅様の妖術が効いてるんだ。あんなに変わるんだな)


 蒼が昨日、キスされて精液を飲んだ直後も、紅への強い恋慕があった。

 寝て起きたら、昨日ほど強い気持ちではなくなっていた。

 強くなったり弱くなったりの波を繰り返しながら、安定していくんだろう。

 ニコは既に安定して紅を好いている様子だ。


「ダメだよ、芯。ご飯はちゃんと食べないとね。俺とはまた明日、遊ぼう」


 紅が芯に口付ける。

 何かを流し込んでいるように見えた。

 芯が紅から、すっと離れて席に着いた。


「いただきま~す」


 ニコが嬉しそうに肉を頬張っている。


「うわぁ、うめぇ……」


 我に返った様子の芯が感動して肉にがっついていた。


「紅様は、食事はされないんですか?」


 何気なく問うと、紅が頷いた。


「人と同じ食事は、俺には必要ないからね。俺は君たちが食べてる姿を見ているのが好きなんだ」


 それはそうだなと思った。

 紅にとって、食事は蒼たちだ。

 ニコと芯を続けて喰って、きっと腹は満たされているんだろう。


(そっか、紅様にとって、僕達って、この肉と同じなんだ)


 人間が当然のように牛や豚を食うように、妖怪は人を喰う。

 そう考えたら、あんなに食べてみたかった牛肉の味が、よくわからなかった。


 食事を終えると、紅に部屋に来るように声をかけられた。

 今日は芯たちと同じ部屋ではなく、紅の部屋で寝るらしい。


(二人も喰ったのに、まだ食い足りないのかな。生気だけじゃ、あんまりお腹いっぱいにならないのかな)


 不安に思いながら、紅の部屋の前で声をかける。


「紅様、蒼です。参りました」

「中へ、どうぞ」


 声に従い、襖を開く。

 天蓋のような蚊帳の中に大きな布団が敷いてあった。


「蒼は、今宵は俺と寝ようね」


 どこか嬉しそうに笑んで、紅が手を伸ばす。


(え……。一晩中、喰われるの? 疲れたり辛かったり、しないといいな)


 不安に思いながら、紅の手を握る。

 強く引かれて、布団に引き摺り込まれた。

 倒れ込んだ蒼の体を、紅の広い胸が受け止めた。


「待ちきれなくて、強く手を引き過ぎた。ごめんね」


 蒼を胸に抱いて、紅の指が蒼の頬をなぞる。


(美味しいお肉、食べさせてもらったし。僕の望み、本当に叶えてくれたわけだから)


 わからないなりに、美味しいお肉だと思って食べた。

 昼に出したリクエストを夕飯で叶えてくれた。


 喰われる覚悟をして、蒼は目を閉じた。


「蒼。ねぇ、蒼。もう眠い?」


 紅の指が、誘うように頬を撫でる。


「いいえ、まだ全然、起きていられます」


 体に、どんどん力が入って硬くなる。


「もしかして、喰われる心の準備してる?」


 目をきつく瞑ったまま頷く。

 紅が笑みを零した。


「じゃぁ、ご期待に応えて、蒼を喰うね」


 ドキリ、として肩に力が入った。

 唇に柔らかくて温かいものが触れる。

 舌が入り込んできて、蒼の舌を絡めとった。


(ぁ……、きもちぃ……)


 紅の舌が蒼の舌を絡めとりながら、霊力を吸い上げているのがわかる。

 胸の奥の方から熱い何かが膨らんで、流れ出ていく。

 その感覚が、やけに気持ちがいい。

 頬が熱くなって、腹の奥が疼いてくる。


「くれない、さま……。からだ、あつい、きもちぃ……」


 自分から紅の唇に吸い付く。

 気が付いたら抱き付いていた。


「はぁ……、蒼、美味しい……。これ以上、食べたら、俺が狂いそう」


 名残惜しそうに唇を離した紅が、火照った顔で蒼を見下ろした。


「可愛いよ、蒼。少し霊力を吸い上げただけで、そんなに顔を蕩けさせて。それとも、俺の妖力にあてられた?」


 蒼の頭の後ろに手を回して、抱き締める。

 紅の熱を全身で感じて、余計に気持ちよくなる。


(あったかい。こんな温かさ、知らない。安心して、眠くなる)


 顔を上げて、紅の首筋に口付けた。


「好き、です。これも、紅様の妖術、ですか?」


 抱き締めてくれる腕も、髪を好いてくれる指も総てが気持ち良くて愛おしい。

 もっと紅を愛したくなる。


「そうだよ。今はまだ、俺の妖力にあてられてるだけ。それは蒼の本当の気持ちじゃないよ」


 本当の気持ちじゃない、と言われて、悲しい気持ちになった。


「僕は、紅様をもっと、好きになりたい、のに……」


 紅の胸に顔を埋める。

 抱き締めてくれる腕が嬉しい。


「蒼の本当の気持ちで、その言葉を言ってくれたら、俺も嬉しいよ」


 唇を塞がれて、言葉が発せない。


(紅様は、どうしてそんなに、僕に愛してほしいんだろう。そういえば、聞いてないや)


 昼餉の時は、何となく誤魔化されてしまったような気がする。

 深く重なった唇が解けて、ようやく息ができた。


「紅様は、僕が好き、ですか?」


 頭がくらくらして、質問を間違えた。

「どうして好きになってほしいのか」と問いたかったのに。

 紅が、蒼の顔を指で撫でながら、笑んだ。


「好きだよ。綺麗な髪も、透き通った瞳も、濃密な霊力も、大好きだ。性格も、今はまだ多分だけど、すごく好き。だからもっと、蒼を知りたい。蒼に触れたいよ」


 理研生まれの被験体は生殖活動を円滑にするため、美形で生まれる。

 美形というよりは好かれやすい容姿に生まれてくるのだ。

 しかしそれは、人間を相手に想定されたプログラムだ。


(少子化対策の被験体って、妖怪にも効果あるのかな。フェロモンも多少は出てると思うけど)


 少子化対策の被験体は、ほとんどの個体がフェロモンを発して生殖対象を誘う。

 男なら精子をいじられている場合が多い。

 蒼の精子も、性交した相手が蒼に好意を持つように細工されている。


(僕はbugだから、優秀な生殖能なんかないのに)


 紅が好きだと言ってくれる理由が、いまいちよくわからない。


(美味しそうだから好き、とか、そういうことかな)


 蒼は紅に向かって腕を伸ばした。


「僕はきっと、紅様を好きになると思います。妖力や妖術じゃなくても、僕は貴方に、ぎゅってしてもらえるのが、とても嬉しいから」


 誰かに抱いてもらって、肌の温もりを感じるのが、こんなに気持ちが良くて安心するなんて、知らなかった。

 紅の腕の中で、ずっと抱き締められていたい。

 大きな背中に腕を伸ばして、紅に抱き付いた。

 温かさが胸にまで沁みて、ウトウトと眠くなる。


 紅の指が蒼の目尻をなぞった。


「それなら、ぎゅっとしたまま、眠ろうか。おやすみ、蒼」


 大きくて優しい温もりに包まれて、蒼は初めて安心して眠りについた。

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