芯の紙風船を飛ばすため、蒼はシャボン玉を準備していた。
部屋の戸棚の中に仕舞ったシャボン玉の籠を取り出す。
(これが最後の紙風船になるといい。これ以上、紅様が辛い思いをしないといい)
不意に顔をあげた先に、鏡があった。
移り込んだ自分の姿を見詰めて、蒼は絶句した。
庭に走って、先に待っていた紅に飛びついた。
「どうしたの? 蒼、慌ててる?」
「紅様、僕、僕、大きくなってます!」
鏡に映り込んだ自分は、自分とは思えない程に大人びていた。
年齢より幼かった容姿は年齢を飛び越してかなり大人びて見える。
「あぁ、そうだね。霊元が開放されて、本来の年齢まで成長したんだね」
「本来の年齢?」
「理研から来る子たちって、年齢が適当なんだよね。多分、蒼も本当は十五歳より上だと思うよ。その見た目だと、十七~八歳くらいなんじゃないかな? 良かったよね」
「良かった、んですか?」
「嫌なの?」
紅が不思議そうに首を傾げる。
「だって、だって……。紅様は、ショタ好きなんですよね。僕の見た目、もうショタって感じじゃないです」
愕然とする蒼を眺めていた紅が、軽く頭を抱えた。
「それ、ニコに聞いた?」
頷くと溜息を吐かれた。
「ニコと色は半妖だったからさ、妖怪ジョークっていうかね。おじさんが若い子買っちゃってごめんね~みたいな笑い話っていうか。そもそも俺からしたら人間はみんなショタだよ」
そう言われたら、そうなんだろうが。
人間と妖怪だとショタの感覚から違うのだろうか。
「紅様はおいくつ、なんですか?」
聞いていいのかもわからないが、とりあえず聞いてみる。
「千歳くらい……なのかなぁ。ちゃんと数えてないなぁ。年齢って、妖怪はあんまり気にしないから、ざっくりだね。人型の見た目は二十代くらいに見えるようにしてるけど」
そう言われると紅の人型の見た目は二十代前半くらいのように見える。
「前にも話したけど、俺は蒼の魂の色に惚れたの。見た目は気にしてないよ。可愛いとは思ってるけどね」
宥めるように頭を撫でられた。
「そっかぁ、良かったぁ」
心底安心した声が出た。
「俺好みの見た目じゃなくなったって思っただけで、そんなに慌てたの? 可愛いね、蒼。その程度で捨てたりしないから、もう心配しないようにね」
紅がクスリと笑う。
ちょっと嬉しそうに見えた。
「シャボン玉、飛ばそうか」
籠からシャボン液とストローを取り出して、手渡される。
「はい」
「芯のために、空いっぱいに飛ばそうね」
ニコの時は一人分しかなかったシャボン玉のセットは、今日は二つある。
紅に教えてもらった要領で、シャボン玉をたくさん作った。
「芯はさ、来たばかりの頃は反抗的というか、なかなか馴染んでくれなくてね。大体みんな、最初のキスで俺の妖術に酔うんだけど、術が掛かりにくかったんだ」
なるほど、と思った。
一週間、遅れてきた蒼に逃走の話を持ち掛けた態度など思い返せば納得だった。
「でも、芯がいてくれて良かったと思うよ。ニコと色の面倒もよく見てくれたし、蒼の支えにもなったでしょ。芯はお兄ちゃんな子だったよね」
小さくて沢山のシャボン玉を作りながら話す紅の横顔を眺める。
「紅様は、芯をよく見ていたんですね」
「芯だけじゃないよ。ニコも色も、ここに来てくれた子たちは皆、よく見てよく覚えてるよ。俺を生かすために死んでくれた命だからね」
紅が、はっきりとした言葉を使って、ドキリとした。
やっぱりもう、濁した言い方はしないんだと思った。
「もう、理研から子供は買わないんですか?」
芯に「最後」と話した紅の言葉が蒼は気になっていた。
「蒼が俺の番になってくれれば、俺には食事が必要なくなる。番にならなくても、蒼の霊力だけで充分足りる。今までみたいに買う必要は、無くなるね」
意味深な言い回しに聞こえて、蒼は紅を見上げた。
「理研にいるより、ここの方が幸せなんじゃないかって、蒼は思った?」
蒼は、ゆっくり頷いた。
紅はきっと辛い思いを抱え込むんだろう。そんな思いはしてほしくない。
だが、理研の子供は紅の元に居た方が良い暮らしをして楽に死ねる。救えない命なら、ある意味で幸せだ。
「理研が環境として良くない場所だってのは、何となく知ってるけどね。心を操られて、喰われるのを嬉しいと感じながら死ぬのは、あんまり自然とは言えないよね」
まるで自分の行為を嘲るような自虐的な言葉だ。
紅の言葉は妖怪よりむしろ人に寄った言葉だと思った。
「紅様は、人買いを止めたかったんですか? だから僕を買ったんですか?」
寿命が近い子供を買い取っていた紅が、霊元を持つ個体を求めたのは、そういうことだろうと思った。
霊元を持つ個体が長生きなのは、理研の子供たちも感覚で知っている。
紅が、シャボン玉を吹く。
小さなシャボン玉が連なって沢山吹き出た。
空に昇っていくシャボン玉はまるで、今まで紅が喰ってきた子供たちの魂に見えた。
「一緒に暮らしてるとね、どうしても可愛くなるんだ。喰わないと死ぬから喰うし、子供の魂は美味いんだよ。けどやっぱり、いなくなっちゃうと悲しいからね。いなくならなくて美味しい子が欲しかった」
紅の手が蒼に伸びる。
顎を掴まえて、唇を重ねた。
ちゅっと音をさせて、顔が離れた。
「……情が移る前に、買ったらすぐに喰っちゃえば良かったんです。一緒に暮らしたりするから、悲しくなるんです。紅様の馬鹿ぁ」
紅が屈んで、蒼の頭を撫でた。
「馬鹿って酷いなぁ。どうして、蒼が泣くの?」
紅が蒼を胸に抱く。
涙を拭きながら抱き付いた。
「紅様の心が痛くて辛いのに、紅様は笑うから。ずっと痛かったくせに、ずっと繰り返してきたから。紅様は優しくて痛い。自分を大事にしない紅様は馬鹿です。僕は一生いなくならないで、紅様のご飯になって、一生、好きでいます」
もう二度と、紅の心が痛まないように。
傍にいて、紅がくれるのと同じ優しさを渡し続けたい。
蒼は紅の首に腕を回して、ぎゅっと抱き締めた。
「俺の気持ちを一緒に感じてくれた子は、蒼が初めてだよ」
紅の大きな手が蒼の髪をゆっくり撫でた。
「僕は只、紅様の妖術に掛かっていなかったから」
初日とその後に一度、軽く妖術を掛けられたあとは、紅は蒼に妖術を掛けなかった。
「妖術をかける必要がなかった蒼が、こんなに良い子で可愛くて、霊力も多くて、使いこなしたら天才で、しかも番になってくれるって、奇跡みたいな幸運だよね」
紅が蒼の髪に口付ける。
蒼は紅を抱く腕を強めた。
「だから、これが最後の紙風船。芯の魂の欠片を冥府に送ってあげよう」
紅が懐から紙風船を取り出した。
腕を解いて、少し離れる。
紙風船に息を吹き込むと、芯の魂の欠片が流れ込んだ。
「蒼、シャボン玉、もっとたくさん飛ばしてね」
頷いて、蒼はシャボン玉を飛ばした。
芯の魂を抱えて膨らんだ紙風船を、紅が空へ飛ばす。
フワフワと浮き上がった紙風船が、シャボン玉と一緒に空高くに昇っていく。
「ありがとう、芯。芯がくれた大切な想い、絶対に忘れない。約束、叶えて見せるから」
呟くと、紅が蒼の手を握った。
蒼は紅と手を繋いで、紙風船が見えなくなるまで、見送り続けていた。