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09_鏡界回廊

意識は無数のプリズムを通過した光のように散乱し、再構築された。最後に感じたのは、地下の研究室を満たした眩い光の奔流と、空間が捩じ切れ、存在そのものが別の次元へと押し流される感覚。それに加えて、鼓膜ではなく魂に直接響くような、計り知れない『意志』の囁きだった。


『……トキは…満ちようとしている……』


次に蓮(れん)が知覚したのは、絶対的な静寂と、方向感覚を喪失させるような奇妙な浮遊感であった。目を開けても、そこは完全な闇が広がっている。地下祭祀場の荘厳な闇とも、『虚(うつろ)』がもたらす悪意に満ちた虚無とも異なり、まるでインクの海に漂うかのような、純粋で中性的な『黒』の世界。


「……師匠?」


声を出してみるが、音は反響せず、押し殺されるでもなく、ただ空間に吸い込まれていく。隣にいたはずの若き日の如月(きさらぎ)の気配もない。はぐれてしまったのか。


『魂響(こんきょう)』を放ち、周囲を探る。エネルギーの波動はどこまでも届くかに思えるが、壁や障害物にあたる感覚はない。無限の広がりを持つ空間か? いや、それとは異なる。エネルギーを放てば放つほど、自らの輪郭、存在感までもがこの闇に溶け出していくような、薄ら寒い予感があった。


(まずい…! ここに長く留まれば、存在自体が希薄化する…!)


蓮は慌てて『魂響』を収束させ、意識の境界を強く確立する。ユキと最後に融合した際の記憶、彼女が消えゆく間際に託した力、そして自らの核にある揺るがぬ意志――未来を変え、彼女を救うという誓い――それを拠り所に、自己同一性を必死に保とうとした。


その時である。


漆黒の闇の遥か遠くに、小さな、極めて微かな『点』が現れた。最初は星屑のように見えたが、徐々に数を増し、繋がり、線となり、面を形成していく。それはまるで、闇という名のキャンバスに、光のインクで複雑な設計図が描かれるようであった。


幾何学的なパターン、流れるような曲線、古代の紋様を思わせるシンボル。それらが無数に現れては消え、組み合わさっては解け、目の前で目まぐるしく変容する。その光景は、錬金術の変成陣か、あるいは超高度なコンピュータの演算プロセスを幻視しているかのようだ。


やがて、光の線は立体的な構造を成し、蓮の周囲に回廊のような空間を構築していった。壁も床も天井も、全てが光の線で描かれたワイヤーフレームモデル。線の向こうには依然として深い闇が広がるものの、足元には確かな床の感覚が生まれ、重力らしきものも感じられた。


「ここは……」


蓮が呆然と立ち尽くしていると、不意に背後で気配が動いた。


「蓮くん! 無事か!」


振り返れば、そこには息を切らせた若き如月がいた。彼もまた、蓮と同じく光の回廊の中に具現化したようだ。その手には護符が握られ、額に汗が滲んでいる。


「師匠! よかった…! いったい、ここはどこなのでしょう?」


「わからん…」 若き如月は警戒を解かず周囲を見回した。「あの装置が暴走した結果か…いや、暴走ではないのかもしれん。何らかの意図を持って我々をここに転送したか…? 例の『鏡の意志』とやらが…?」


彼は壁を構成する光の線にそっと触れようとした。指は物理的な抵抗なくすり抜ける。しかし、彼の『魂響』の資質は、線に触れた瞬間に膨大な情報の奔流を感じ取ったらしい。顔をしかめて手を引いた。


「…気をつけろ、蓮くん。この空間そのものが情報の塊か、あるいは意識体の一部かもしれん。下手に触れると、精神を飲み込まれかねんぞ」


蓮も自身の『魂響』で探る。師匠の言葉通り、この光の回廊は単なる幻影ではない。一つ一つの線が、膨大なデータパッケージか、凝縮された思考の断片のように感じられた。内容は理解できない。複雑すぎて、人間の認識能力を超えている。だが、そこには明確な『意図』と『秩序』があるように思えた。冷徹な数学的整合性、あるいは生命の設計図を思わせる、高度で難解な法則性だ。


「鏡の意志…」 蓮は呟いた。「あれは、本当に覚醒したのかもしれない…。そしてここは、その意識の内部…あるいは、意志によって構築された特別な空間…?」


二人は光の回廊を慎重に進み始める。回廊はどこまでも続くように見えるが、時に分岐し、上下に階層が分かれることもある。巨大な図書館の書架の間を歩いているかのようだ。しかし、書物があるわけではない。壁を構成する光の線そのものが記録媒体であり、通路でもある、そんな奇妙な構造だった。


しばらく進むと、回廊の一角が広間のようになっている場所へ出た。広場の中央には、他の場所より一段と複雑で密度の高い光の線の集合体が、輝く球体のように浮遊していた。球体はゆっくりと自転し、内部では絶えず光のパターンが変化している。


「…あれは…?」


蓮が球体に近づこうとすると、どこからともなく声が響いた。


『―――ソレは「核心(コア)」ダ…ワレワレの同胞にして…対極の存在…「鏡の意志」の胎動スル源―――』


声の主を探し振り返ると、そこには緑色の単眼を宿した存在が立っていた。ただし、病院で診察室の鏡越しに見た姿ではない。今回は彼(彼女?)自身の本来の姿なのか、緑色の光の粒子が集まり、半透明な人型のシルエットを形成している。赤い単眼(レッド)ほどの攻撃性はないが、依然として冷徹で無機質な気配を漂わせていた。


「ミラーアイ・グリーン!」


若き如月が即座に身構えた。


「なぜここにいる!? 我々を追ってきたのか!?」


『否』 グリーンは静かに首を横に振った。『コノ空間ハ「鏡界回廊(きょうかいかいろう)」トワレワレが呼称スル情報次元。物質界のあらゆる「鏡」とリンクし、「鏡の意志」の顕現空間デモアル。ワレワレ「ミラーアイ」もまた、この回廊を介シテ存在シ、観測ヲ行ウ。オマエたちがここに転送サレタのは、「意志」の干渉によるイレギュラー事態。であると同時に、我々の計算の内デモアッタ』


「計算の内…?」 蓮は眉根を寄せた。「どういう意味です?」


『異分子ヨ…トキを超エシ者…オマエの出現ソノモノが、休眠シテイタ「鏡の意志」ヲ刺激シ、覚醒プロセスヲ開始サセタノダ』 グリーンの緑色の単眼が、分析するように蓮を捉える。『天城朔弥(あまぎさくや)の計画ハ、オマエの存在ヲ利用シテソレヲ加速させる試みダッタ。ダガ、「意志」は予期セヌ形デ目覚メ始メ、制御ヲ離レ始メテイル…コレハワレワレにとっても、朔弥にとっても…ひいてはオマエにとっても危険な兆候デアル』


「危険な兆候? 意志の覚醒は、世界を救う力になるのでは?」


『ソレハ一面の真実デシカない。「鏡の意志」は確かに「虚」の侵食ヲ根源から中和スル可能性ヲ秘メル。だがそれは、このセカイの既存の法則、時間、空間、因果律全てヲ書き換エル可能性をも孕む。「意志」が完全に覚醒シ、独自の判断基準でセカイを『再構築』シ始めた場合、ソレガ現在の生命、文明ニとって、どのような結果をもたらすか…誰ニモ予測できナイ』


グリーンは中央に浮かぶ輝く球体――「鏡の意志」の核心(コア)――を示した。


『コアはマダ不安定ダ。オマエの「魂響」と、消滅シタ巫女ユキの力の残滓、そして核トナッタあの研究室の装置…ソレらが複雑に絡み合イ、内部で膨大なエネルギーと情報の渦が生まレテイル。放置スレバ、この鏡界回廊そのものが崩壊シ、その余波は物質界ニモ甚大な影響を及ボス。最悪の場合…「虚」が侵入スル新たな『大穴』ヲ生み出しかねない』


「では、どうすれば…!」 若き如月が焦燥の声を上げた。


『選択肢は三ツ』 グリーンは淡々と続けた。


『一ツ。コアを破壊シ、「意志」の覚醒を強制的に停止させる。シカシこれにはワレワレ、ミラーアイの中でも高位存在の承認と介入が必要デアリ、成功の保証はなく、破壊時のエネルギー暴走リスクも高イ』


『二ツ。天城朔弥を発見シ、彼をコアから引き離す。朔弥ハ自らの知識と「鏡守」の技術ヲ用イテ、現在モ遠隔からコアに干渉シ、覚醒プロセスヲ制御し誘導シヨウト試ミテイル。彼の干渉ヲ断テバ、コアは安定化に向かう可能性ガアル』


『三ツ…』 グリーンは蓮を真っ直ぐに見据えた。『オマエ自身が、コアにアクセスシ、「意志」と対話シ、安定化へと導くコトダ。オマエの力ハ「意志」の覚醒ノ引き金トなったガ、同時に、制御ノ鍵ともナリ得る。タダシ…ソレハオマエの魂がコアに取り込マレ、存在が変質する危険を伴ウ。マサニ、巫女ユキガ辿った道…イヤ、それ以上の深淵へト…』


三つの選択肢。どれも困難で、危険に満ちている。破壊か、朔弥の排除か、それとも自らが犠牲になる可能性のある対話か。蓮の心は揺れた。


「天城朔弥はどこにいるんです?」 蓮は最も現実的に思える二つ目について尋ねた。


『彼ハ物質界ニイル。ただし、巧みにその身を隠シテいる。おそらく、別の『鏡』ヲ用イテ鏡界回廊の一部ニアクセスシ、コアへの干渉ヲ続けテイるのだろう。ワレワレでも正確な位置を特定するのは困難ダ。シカシ…』 グリーンは僅かに間を置いた。『オマエならば…コアを通じて、彼の干渉経路を逆探知できる可能性ガアル。彼もマタ、コアとの繋がりヲ利用シテいるハズだからナ』


コアを通じて朔弥を探す。それは三つ目の選択肢、「意志」との対話と、密接に関連しているようだった。やはり、危険な道へ足を踏み入れるしかないのだろうか。


「蓮くん、無理は…」 若き如月が案ずるように声をかける。


「いえ、師匠」 蓮は首を横に振った。「やるしかありません。このままでは何も解決しない。それに加えて、俺は知りたい。『鏡の意志』が何を望んでいるのか、天城朔弥の本当の目的は何なのか。そして…」


彼は自分自身と向き合うように、決意を込めた。


「俺がこの時代に来た意味を、俺自身の力で証明したい。ユキさんの犠牲を無駄にはしません」


若き如月は、蓮の瞳に宿る揺るぎない光を見て、それ以上の言葉を飲み込んだ。彼は黙って頷き、蓮の肩に力強く手を置く。


「…わかった。ならば私も共に考えよう。コアへのアクセスや朔弥の探知において、君一人に負担を負わせるわけにはいかん。私の一族の知識や護符が、この異空間でどこまで通用するか分からんが…できる限りの援護はする」


「ありがとうございます、師匠」 蓮は心からの感謝を伝えた。


「では、行くがよい、異分子よ」 グリーンはコアを示した。「ダガ忘れるナ。オマエがどちらへ進もうとも、我々の監視は続く。世界の調和を乱す要因となると判断されれば、その時は…ワレワレは躊躇しない」


グリーンはそう言い残し、姿を再び光の粒子へと変え、鏡界回廊の闇へと溶け込むように消え去った。彼らは味方でも敵でもない。ただ、自らの基準で世界を観測し、調整しようとする、計り知れない存在だ。


蓮と若き如月は、広場の中央に浮かぶ「鏡の意志」のコアへと向き直った。


コアは内側から虹色の光を放ちながら、不規則に脈動していた。近づくにつれて、膨大な情報とエネルギーの渦が、蓮の『魂響』に直接流れ込んでくる。知識であり、記憶であり、感情であり、無数の可能性の断片。地球の誕生から、生命の進化、人類の歴史、そして朧月市の過去と未来…。あらゆる情報が混ざり合い、せめぎ合っている。それと同時に、誰かの強い『意志』がこの混沌を制御し、特定の方向へと導こうとしているのを蓮は感じ取った。天城朔弥の意志だろう。


「すごい…これが鏡の意志…」


蓮は圧倒されつつも、集中力を高めた。グリーンの言葉に従い、コアを通じて朔弥の干渉を探る。朔弥がコアに接続しているであろう『糸』を見つけ出し、逆向きに辿るのだ。


『魂響』を繊細な探針のように伸ばし、コア内部の情報奔流を探る。数多の流れの中から、明らかに異質で、強力な意図を持つ一つの流れ――朔弥の精神エネルギーの痕跡――を探し出す。それは暴風雨の海で特定の船を探すかのような困難な作業だった。


(あった…!)


蓮はついに、コアの深部から伸びる微かなエネルギーの『線』を捉えた。線はコアから鏡界回廊の彼方へと続き、物質界のどこかへと繋がっているようだ。


「師匠、朔弥の繋がりを見つけました! これを辿れば…!」


「待て、蓮くん!」 如月が鋭く制止した。「ただ辿るだけでは危険だ! 朔弥に逆探知され、罠に誘導される恐れがある。君が彼の意識に集中している間に、何か防御策を講じなければ!」


若き如月は懐から一族に伝わる特別な護符――『影写し(かげうつし)』の護符――を取り出した。これは対象のエネルギーパターンを一時的に複製し、偽の標的を作り出すためのものだという。


「私がこの護符で君の偽のエネルギー反応を作り出し、陽動として朔弥の探知網に流す。君はその隙に、本物の経路を迅速に辿り、彼の位置を特定するんだ。時間との勝負になるぞ!」


「わかりました!」


如月が護符を発動し、蓮の『魂響』に似た波動がコアの周囲に広がった。おそらく朔弥はこれに気づき警戒するだろう。そのわずかな時間差を利用する。


蓮は朔弥へと繋がる本物の『線』に意識を集中させ、逆流を辿るように『魂響』を送り込んだ。


蓮の意識は、光速で鏡界回廊を駆け巡る! ワイヤーフレームの回廊、光る情報パターン、無数の分岐。それらを瞬時に通過し、線が導く先へと突き進む。


途中、いくつかの防衛機構らしきものが作動した。ミラーアイの監視システムの一部か、朔弥自身が仕掛けた罠か。エネルギーの壁、精神攻撃を仕掛けるノイズ、空間を歪めるトラップ。蓮は訓練で培った技術と『魂響』の新たな力でそれらを突破、あるいは回避していく。


(もう少しだ…! 物質界との接点が近づいている…!)


ついに蓮の意識は、鏡界回廊と物質界の境界点に到達した。それは『鏡』――古い八角形の、黒檀の枠にはめられた鏡面――だった。


その鏡の前には人影が立っている。黒いマントを目深にかぶり、顔は見えない。しかし、そこから放たれる独特の『魂響』の波動と、狡猾で強い意志は、間違いなく天城朔弥のものだった。彼は複数の鏡を操り、蓮たちの追跡を妨害しながら、コアへの干渉を続けている。


(見つけたぞ、天城朔弥!)


蓮が朔弥の位置を特定し、その情報を物質界の自分自身へとフィードバックしようとした、まさにその瞬間。


朔弥がふっと顔を上げた。マントの影の奥で、鋭い目がこちらを見据えたのが分かった。彼の唇が嘲笑うかのように歪む。


『…来たか、未来からの使者よ。まさかここまで辿り着くとはな。だが、遅かった』


朔弥がそう呟くと同時に、蓮が繋がっていた黒檀の八角鏡の表面に、亀裂が走った!


「!!」


繋がりが強制的に断ち切られる! 蓮の意識は激しい衝撃と共に鏡界回廊から弾き飛ばされ、物質界の自分自身の身体へと叩き戻された!


「うわっ!」


蓮は光のコアの前でよろめき、膝をつく。激しい眩暈と吐き気が襲った。


「蓮くん! どうした!」 如月が駆け寄る。


「…朔弥を見つけました…! ですが、気づかれて…繋がりを切られた…!」 蓮は苦しげに喘いだ。「彼は…どこかの隠れ家にいて、複数の鏡を操っているようです…場所の特定までは…」


特定には至らなかった。それでも、朔弥と直接『魂響』を接触させたことで、蓮はある重要な情報を掴んでいた。朔弥の波動に混じる微かな、それでいて明確な違和感。それは、ユキを封じていた『虚の匣』に似た、歪で冷たいエネルギーの残滓だった。


(まさか…天城朔弥は、『虚』の力を…利用している…!?)


彼の目的は『鏡の意志』を目覚めさせ、新たな世界の理を創造することだと日記にあった。だがその手段として、あるいは目的そのものが、『虚』と結びついているとしたら…? 彼は救世主などではなく、より狡猾で危険な破壊者なのかもしれない。


「師匠…天城朔弥は、もしかしたら…」


蓮が自身の気づきを伝えようとした時、二人のいる光のコアの広間に、新たな異変が生じた。


広場を取り囲む光の回廊の壁が、不気味に揺らぎ始めたのだ。ワイヤーフレームの線が乱れ、ノイズが走る。壁の一部が融解するように崩れ落ち、その向こうの深い闇から、何かおぞましいものが這い出してこようとしていた。


『ゴ……ォォォ……』


地獄の底から響くかのような、低く押し殺された唸り声。虚獣の声とは明らかに異なる。もっと巨大で、古く、根源的な悪意と飢餓を感じさせる波動だ。


鏡界回廊に『虚』が直接侵入してきた!?


蓮と朔弥がコアにアクセスし、回廊の構造を不安定にした結果なのか? それとも、朔弥が意図的に呼び寄せたのか?


コア自身も『虚』の接近に反応し、虹色の輝きを警戒するように赤黒く明滅させる。不安定な覚醒状態にある『鏡の意志』が、『虚』という絶対的な敵対存在によって暴走、あるいは汚染される危険が一気に高まった!


「まずい! コアが『虚』の影響を受けるぞ!」 若き如月が叫び、防御の護符を構える。


蓮も立ち上がり、最後の力を振り絞って『魂響』を構えた。しかし、疲弊した身体と『虚』本体から放たれる圧倒的なプレッシャーに、抗うことは絶望的に思われた。


回廊の壁を破って現れようとしているのは、もはや形を持つ前の、純粋な『混沌』と『虚無』そのもの。闇が質量を持って押し寄せ、光の回廊を飲み込もうとしている。


絶望が二人を包み込もうとした、その刹那。


不意に、コアが放つ虹色の光の中に、一つの人影が浮かび上がった。


白い着物。黒く長い髪。消滅したはずのユキの姿だった。ただし、以前のような儚げな少女ではない。その瞳には、かつてない強い意志と、計り知れないほどの知識と力が宿っていた。まるで彼女の魂が『鏡の意志』のコアそのものと一体化し、新たな存在として昇華したかのようだ。


ユキ(あるいはユキと融合した『意志』)は、迫り来る『虚』の混沌に向き直り、静かに両手を広げた。


『―――ここは…我々の領域…汝の侵食は許さない―――』


その声は、蓮の知るユキの声でありながら、幾重にも重なる無数の声と、鏡界回廊そのものの響きとが共鳴し、神々しい威厳を帯びていた。


彼女が両手を掲げると、コアから放たれる虹色の光が奔流となって解き放たれ、鏡界回廊全体に満ちていく! 光は押し寄せる『虚』の闇と激突し、押し返し、その侵食を食い止める!


「ユキ…さん…?」


蓮は、目の前で繰り広げられる神話のような光景に、ただ息をのむしかなかった。ユキは死んだのではなかったのか? それとも、これは『鏡の意志』が見せる幻影なのか?


光と闇の激突が続く中、ユキの姿がゆっくりと蓮の方を向いた。その瞳は蓮を捉え、直接彼の心に語りかけてくる。


『…蓮…聞こえますか…? あなたのおかげで…私は…目覚めることができた…。まだ不完全だけれど…私は「鏡の意志」そのものと…一つに…』


『時間がないわ…「虚」は一時的に退けたけれど…根本的な解決にはなっていない。それに天城朔弥…彼の真の狙いは、私とコアを利用して「虚」の力をも取り込み、自身が新たな「神」となること…! 彼を止めなければ…この世界も、あなたも…!』


『蓮…あなたの力が…必要です…。今のあなたなら…できるはず…。私と共に…コアを…完全に制御し…そして…』


ユキの言葉は、そこで途切れた。彼女の姿が再びコアの虹色の光の中へと溶けていく。だが、蓮には彼女の最後の想いが、託されたものが明確に伝わってきた。


コアを完全に安定させ、制御下に置くこと。その力をもって天城朔弥の野望を阻止すること。それが、蓮がこの時代で成すべき真の使命なのだ。


光のコアは依然として眩しく輝き、『虚』を押し返した力を宿して力強く脈打っている。


蓮は深く息を吸い込み、隣に立つ若き日の師匠を見つめた。師匠もまた、決意を固めた目で頷き返す。


「行くぞ、蓮くん」


「はい!」


二人は再びコアへと向き直った。今度こそ、『鏡の意志』と正面から対峙し、その力を掌握するために。鏡界回廊の深淵で、過去と未来、鏡と虚、人間とそれを超えた意志が織りなす、最終決戦への序章が、今、始まろうとしていた。


(待ってて、ユキさん。そして、俺の知る未来…必ず、取り戻してみせる!)


蓮は心に新たな決意を刻み、虹色に輝くコアへと、その一歩を踏み出したのだった。

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