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第14話

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 昨日、伊那さんと映画デートを終えて家に帰ると、母さんから根掘り葉掘りとどうだったかと訊かれた。相談相手になってくれているのにそこだけ話さないわけにも行かず、俺も伊那さんもとても楽しんだことを伝えた。

 あと、執事の方に車で送ってくれたことを教えると、「まあ、お礼の電話をしなきゃ!」と良識ある大人の対応をしてくれそうになったが、明日伊那さんの自宅であるマンションに行くからと止めておいた。

 大好きな母親とは言え、年頃の男子として自分の知り合いの前にお出しするのは恥ずかしい。

 そんな母さんは代わりにと今朝、手作りのクッキーを伊那さんと雨乃さんのためのお土産として持たせてくれた。母さんのお菓子作りスキルも折り紙付きなので、雨乃さんはわからないがきっと伊那さんは喜んでくれるだろう。

 そして現在。

 伊那さんが普段利用している駅を出て徒歩五分ほど。最高の立地にあるタワーマンションの前に、俺は黒い傘とお土産のクッキーを両手に立っていた。

 昨日、俺がメッセージで指定した時刻の十分前。実は三十分前には着いていたけど、その辺りをうろうろして時間を潰していた。

 そろそろ行くか。

 意を決して自動扉をくぐる。不審な動きをしないようそそくさと集合住宅用のインターホンで部屋番号を押した。


『はい、鴻です』


 男性の声。雨乃さんだ。


「禍津聖です。伊那さんと会う約束で伺いました」

『すぐに扉を開けますので、どうぞお部屋までいらしてください』


 オートロックで閉まっていた扉が開く。ごくりと一度喉を鳴らしてからエレベーターに向かった。

 そして、上階に位置する伊那さんの部屋の前で、扉横にあるインターホンを鳴らす。すると、すぐに玄関の扉が開かれた。執事らしく黒いスーツに身を包んだ雨乃さんが出迎えてくれる。


「こんにちは、禍津様。ご足労頂きありがとうございました」

「いえ、お気遣いなく。あっ、これ、昨日お借りした傘と、家まで送って頂いたお礼です。俺の母親が作ったクッキーで恐縮ですが……」

「ほう、クッキー」


 雨乃さんのメガネが光った、気がした。


「それは私への〝礼〟ということでよろしいですか? もちろんお嬢様にもお出ししますが、私が口にしても?」

「えっと、お嫌いでなければ雨乃さんにも食べてもらえたら母も喜ぶと思います」

「ありがとうございます。私、菓子には目がなく。特に、クッキーやタルトが好物でして」


 見た目と仕事柄に反して意外な好みが次々と出てくる男性だ。失礼ながら可愛らしいとも思ってしまう。とてもじゃないけど口にはできないが。


「どうぞお入りください。お嬢様もお待ちです」

「はい、失礼します」


 通された先のリビングの広さや充実した家具に目をひっくり返す。大きな窓から見える景色は街や海を一望でき、改めて住む世界の違う人の家に来てしまったと実感した。

 さらにその奥にある扉に、雨乃さんがノックをする。


「お嬢様、禍津様がお見えになられました」

「入ってもらって」


 執事らしい仕草で扉を開くと、俺に中へ入るようにと手で促された。

 それに従い、伊那さんの自室らしい部屋に足を踏み入れる。


「いらっしゃい。どうぞ、そこの椅子にでも座って頂戴」


 意外とシンプルな部屋であった。ベッドや勉強机。漫画が詰め込まれた本棚に一人で楽しむには丁度良さそうな大きさのテレビが一台。目につくのはそれぐらいだろうか。

 いや、棚の上には昨日伊那さんと一緒に観た映画のパンフレットが飾られている。


「雨乃、私は禍津君と話があるから、あなたは自分の部屋に戻っていていいわよ」

「お言葉ですがお嬢様。お若い男女を二人っきりにさせるわけにはいきません」

「はあ……」


 伊那さんのため息。融通の効かない保護者に呆れたと言う感じだ。


「私が良いと言っているのだからそうしなさい」

「しかし、禍津様のお母様からクッキーを頂いております。お茶の用意を致しますが」

「あー……、それは頂かないと悪いわね……。じゃあ、リビングでいつでもお茶ができる準備だけしておいて。こっちは気にしなくて良いから」

「かしこまりました」


 妥協案が決定し、雨乃さんは部屋の扉を静かに閉めた。

 伊那さんの自室で二人っきりの状況が出来上がる。


「どうぞ、遠慮なく座って。私はここで話を聞くから」

「では、失礼して……」


 ベッドに腰掛ける彼女と向かい合うように椅子を引いてから座った。

 少しの間だけ、昨日は楽しかったなど談笑をする。これから話す本題に向けての準備運動かのように。

 そして、先ほどまで笑みを浮かべていた伊那さんからその表情は消える。


「それで『結果』は?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 ずっと、本当にずっと、何を話せば彼女が生きてくれるか考えていた。


「正直に話します……」

「うん、どうぞ……」


 伊那さんとしては、自分が不死者であると告げられると思っているのだろう。

 だが、


「すみません。『不死者特有の動作』があると言うのは嘘なんです」

「えっ……?」


 目を大きく見開いた彼女。次の瞬間には、立ち上がって叫んでいた。


「どういうことよ! 私はあなたを信じていたのに! どうして……、どうしてそんな嘘を吐いたのよ!」


 隣のリビングに居るはずの雨乃さんに丸聞こえな声量だ。それだけ、俺は彼女の想いを裏切ってしまった。

 徐々に伊那さんの目には昨日流していた涙とはまた別の涙が流れ始める。

 しかし、俺は問いには答えず言葉を続ける。


「もうひとつ、隠していたことがあります」

「……これ以上何よ」

「俺は、不死殺しの使いじゃなくて……、不死殺し本人なんです」


 禍津家の秘匿。いや、不死殺しにとって最も隠匿しなければいけないことを、俺はバラした。

 伊那さんの顔は涙に濡れているが、ぽかーんとした表情で俺を見つめている。


「それも……、嘘じゃないの……?」

「本当のことです。証明は、できませんが」


 俺の吐露に、伊那さんは再び唇を噛んで力の限り叫ぶ。


「証明なんてすぐにできるじゃない! ここに〝不死者〟が居るんだから!」


 その想いに俺は応えず、彼女の顔をじっと見ていた。

 そして、俺が何もしてくれないと悟った伊那さんは、膝から崩れ落ちて両手で顔を覆い咽び泣く。


「なんで……! なんで殺してくれないのよ……! 私がどんな思いをしているか……! あなたが一番知っているくせに……!」


 心の奥底から吐き出される言葉。何も間違っていない。


「殺してよ……。お願いだから……。私に、これ以上……、辛い思いをさせないで……」


 彼女が自身を不死者であると知ってから約二ヶ月。

 彼女は毎日、毎時間、毎秒と怯えていた。自分自身に。

 何よりも誰も傷つけたくないという彼女の意志。それは物理的にだけでなく、自分が世間に不死者だと知られることによって、鴻家という家族にも迷惑をかけてしまうとも。

 ――だから、一刻も早く殺して欲しいと彼女は願う。


「伊那さん」

「…………」


 返事はない。嗚咽だけが俺の耳に届いていた。

 それから、十数秒ほど待ってから俺は言葉を続ける。


「今から告白しようと思います」

「……まだ、隠していることがある、の?」


 伊那さんが顔を上げて俺を見た。昨日と同じ泣き顔なのに、その顔に、俺の胸は締めつけられる。


「これが、最後です」

「……言って」


 彼女の許可が下りる。下りなくても言うつもりではあったが。


「俺は、伊那さんのことが好きです」

「えっ……?」


 先ほどまでとはまた別の方向から予想を裏切られた、という表情を彼女は見せる。


「それが、殺さない理由です」


 様々な人に相談してきた話を、ついに俺は本人に告げた。

 人生初の告白だ。

 もっと相手の返事にドキドキしたりするのかも、と思っていたが、実際はそんな気持ちにはならなかった。

 ただ、素直になれたことで肩の荷が降りた気分だ。意外と俺は自分勝手な奴なのかもしれない。


「…………」


 伊那さんは黙ったまま立ち上がり、濡れた顔を拭くこともせずに再びベッドに腰掛けた。俺と同じ目線の高さで向かい合う。


「……好きな人の言うことなら、叶えてあげるのが、普通じゃないの……?」

「いえ、俺は普通じゃないですから。なにせ、不死殺しなので」


 普段から普通の人生を願っていた俺だが、この時ばかりはそういう生き方はできないという事実を利用した。臨機応変、と前向きに捉えることにしよう。


「そうね……。あなたも……、私も……、普通じゃない……」


『不死殺し』と『不死者』。

 置かれている立場は違えど、普通じゃないと言うのは同じだ。


「じゃあ、それを告白したあなた――、禍津君はどうしたいの……?」


 赤く目を腫らしているけど、大人びた美人な彼女の姿がそこにあった。

 俺は答える。


「俺と付き合ってください。そして、伊那さんを守ります」

「……そう」


 イエスともノーとも言わず、伊那さんは俯いた。

 そうしてやっと服の袖で自分の涙で濡れた顔を拭き、ゆっくりとまたその目が俺に向けられる。

 先ほどまでの全てに悲観していた目とは違った。


「こういう時って……、すぐにお返事した方が良いのかしら?」

「で、できれば」

「そうよね、漫画やアニメでもそうだもの。私がこのタイミングでその体験をするとは思わなかったけど……」


 どうやら伊那さんは落ち着いてくれたらしい。そうなると、先ほどまでドキドキしないと言っていた気持ちが嘘であったかのように、心臓の鼓動が早くなり始めた。


「……本当に、守ってくれる?」

「もちろんです」


 いじらしく言う彼女に俺は反射的に頷いた。


「じゃあ、付き合ってあげるわよ……。って言うとツンデレみたいね……。えーと……」

「あー……、いえ、伊那さんはツンデレで良いかと……」

「えっ⁉ 私ってツンデレなの⁉」

「うっ、うーん……、クーデレ?」

「とりあえずはカテゴライズされてしまうのね……」


『付き合ってあげる』という返事をもらえた。

 しかし、そこをあまり触れすぎることに気恥ずかしさを覚え、互いにそれとなく話を逸らしていく。

 これは年頃の男女にとって〝普通〟なのかもしれない。


 ♢


 伊那さんの目の腫れも収まり、二人してリビングに戻る。と、同時に、玄関の扉が閉まった音が鳴った。

 何だろうとそちらの方向に目を遣ると、雨乃さんが紙袋を片手に現れる。


「おや、もうお話は終えられたのですか? 申し訳ありません。茶葉を切らしていることに気づかず、調達に出かけていたためまだお茶の準備ができていません」


 どうやら、伊那さんが叫んだ時には雨乃さんはこの部屋に居なかったらしい。顔には出さないようにホッと胸を撫で下ろす。


「はあ……、まあいいわ。さっさと準備して頂戴。禍津君のお母様が作ったクッキーを早く食べたいもの」

「そうですね、私も早く口にしたいです」

「えっ、あなたも一緒に食べる気?」

「いけませんか?」


 イメージではお嬢様がお茶を楽しんでいる間、執事はそばに控えているだけのはずだが、雨乃さんは一緒にお茶を、と言うよりクッキーが食べたいらしい。


「ほんと、あなたって頑固と言うか一途と言うか。好きなもののことになるとそうなんだから……。まあ、好きにしなさい」


 そのまま伊那さんにも当てはまりそうな性格分析を、ため息交じりに頑固らしい執事言った。

 仕える主の言葉に雨乃さんは微笑む。


「では、すぐにご用意致します」

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