夏が嫌いだ。
冷房の効いた屋内から、外で働く人々の汗水で作られた窓の結露を眺め。
一段と自分が快適な空間いると自覚して、
『まもなく、終点 新潟です
信越線、羽越線、白新線、越後線は乗り換えです。
忘れ物がないよう、ご支度ください。
本日もJR東日本をご利用〜』
逆に、次に嫌いなのは春だ。
進学、就職、草花の芽吹、周りが変化する中で自分だけが変わらず、取り残されているような感じがするから。
この思考が盗聴されてるなら、なぜ『逆』と言ったくせに2回も嫌いな季節の話をしたんだ? と思う奴もいるだろ。
『嫌いな夏の話をしたら、次は好きな季節の話だ』そう思ってる考えの逆ってことだよ。
ちなみに俺は全部の季節が嫌いだ。
生前整理みたいなもの寂しげを感じる秋も、寒いばかりの冬もな。
東京でアルバイトまがいの探偵仕事を終え、俺は貯蓄を得た上で上越新幹線の席に座っていた。
窓から見える景色は段々と山に囲まれるにつれ、トンネルが増えていく。
だが、春が嫌いになるのはこれで終わりだろう。
なんせ、初めての高校生活がこれから始まるってんだから。胸を弾むってもんだ。
「それにしても本当にいるのかねぇ、この女の子は」
思い出したようにスマホを取り出し、画像を開く。
そこには家族に囲まれ、どこか緊張している様子で硬い笑顔をした黒髪の美少女。
学校生活のついでに彼女を探し出し、守るって
「心配しなくても大丈夫だよ、お母さん」
前の席から気弱そうな声が聞こえ。
スマホのsimカードを取り出し、半分に折り捨てながら席の合間から前の席を覗く。
白い上着とボーダーの入った紺色のスカートを履いた同じ学生服を身につけた女の子が乗っていて。
ぴょこぴょことハート型の尻尾が顔を覗かせていた。
隣の席を見ると頭まで真っ赤になるまで酒を飲んでる隣のおっさんが「今時のコスプレはすげぇな」と声を漏らしていた。
あの様子だと頭がやられてるだろうし、わざわざ処理しなくても良さそうだな。
ドアがプシューと開き、冷たい風が流れ込んで首筋を刺す。
まだ冬の寒さが抜けきらない春、新幹線で2時間ちょっとの新潟駅。
「新潟……か。
あいも変わらず寒ぃし田舎臭いけど、妙に栄えてる」
駅前のビルはガラス張りでピカピカ、窓の外を見ればマフラー巻いて、スマホ片手に歩く人々。
47都道府県で20箇所しかない政令指定都市、唯一の日本海側の街、新潟市。
授業で稲作で食ってた土地だとか、港町で人が集まったとか、チラッと聞いた覚えがある。
けど、農業や航路じゃなくなった今でも、人が溢れてる理由を聞いても先生は知らないと言うだろう。
「ゔぃぃぃ、新幹線のおかげだろ」
口に出ていたのか。
隣で荷物を下ろしていた酒浸りオッサンが、鼻をすすりながら答えてきた。
「1982年、
「ぶぇー」と汚らしい鳴き声を出し、アルコール臭さが匂ってくる。
よく見ると酒を飲んでいたのか、顔が猿のように赤いし、手に押し潰した缶も持っている。
「そのおかげで故郷は滅びずに済んだってんだから、まったく政治家ってのは良いよな。
そして今度はどうだ? 年寄りを捨てるときた」
酔っ払いと会話したら厄介ごとになるかもしれない、そうよぎったので肩をすくめることで返事をする。
そして前席の母親思いな彼女のため、万が一を考えて目があった隙に『処理』を行う。
「あ、あれ、飲みすぎたか。
記憶がねぇべ……あれっ?! もう気づいたら越後通り過ぎとるやんけ」
お前、越後湯沢で降りる予定だったのか、ごめんだが、それは俺に無関係だぞ。
大慌てで降りるおっさんを眺めながら吐く息は白く、コートの襟を立てて震わせ、俺もまたホームに降り立つ。
「それにしても赤字なのに蜘蛛の糸ならぬ新幹線を伸ばす、それを他の政治家が黙って見逃す。
実に現実的な話だ」
これはもちろん皮肉だ。
そう、新潟県に住んでいる大抵の人すら知らないんだ。この街が栄えた——本当の理由を。
新潟市内から徒歩15分。
駅から離れると、ガラス張りのビルが並ぶ街道に、古びたブロック塀が苔むした高校がポツンと現れる。
コンクリートの校舎は色褪せ、白線の掠れたグランドには霜が薄く残り、プールのタイルの隙間から枯れた雑草が覗く。
部活の音が体育館から響いてくる以外、なんの変哲もない。
ただ、街灯がやたら多いのは、政令指定都市の意地ってやつか。
「おはようございます」
「あら、おはようございますっ」
早朝の校門には身だしなみをチェックする風紀委員や先生などおらず、理由は言うまでもない。
男女問わず、生徒たちが一人、また一人と凛とした立ち振る舞いで闊歩。
校則違反なんて言葉を誰も知らない、そう思わせるほどにキッチリと着こなした生徒たちが校舎の敷地へ入り。
身だしなみを整えるため、ネクタイやリボンへ手をかけ、緩め。
「ふぅーー、ただでさえ暑苦しいってのに、クソ我慢している時みてぇに冷や汗が出る」
背中がぷっくりと膨れ上がり、手慣れた様子で次々に白い制服の上着を脱ぎ。
穴の空いたYシャツから、大小さまざまな蝙蝠のような羽が広がり。
身体に巻きついたハート型の黒い尻尾が、解放されてうねる。
そう、なんの変哲もない学校で唯一可笑しいもの。それは生徒。
インキュバス、サキュバス。
分かりやすく言うなら、それは太古より夢や現実に現れ。
人間と性行を行い、精気を糧に生きる淫魔と噂されてきた生物。
「ねぇっねぇ、見てよ。
あの子よ、あの子、女の子に魅了もできないインキュバス」
そしてかつて人口が日本一栄えた新潟に残され、人を引き付けるもの。
——それは性欲であり、サキュバスの総本山とも言える学園都市に他ならない。
勘違いしてほしくないのは、俺たちは都市伝説にあるような怪物じゃない。
なんせ生まれ持っての淫魔はいないのだから。
第一次成長期に小さな尻尾や羽が生え始め、今のような第二次成長期で成熟する。
そんな感じに身体的特徴が段階的に発現されるから別の生き物、というよりも人類の新たなる姿と言った方が正しい。
社会に混乱が起きないよう政府指導の元、学校の健康診断で見極め、淫魔の少年少女たちを学校で保護しているんだ。
「噂じゃ入学前試験で普通の女の子に顎クイしたら、ビンタされたんですって」
「まじで? ウっケる〜」
そんなところにいて。
俺は何をしている……されているかと言うと。
敷地に入った途端、左に右に、と名前も知らないサキュバスの女の子たちに蹴飛ばされていた。
男を食い物にするサキュバスと女を食い物にするインキュバス。
普通に考えると相性が良さそうだが…………実態はそうでもない。
どちらも夜の捕食者で、食われた方が弱体化するんだから、少し考えれば相性が良いはずがない。
だからインキュバスだけ、サキュバスだけの淫魔の学校はちゃんとあったらしい。
だけど、そこもまた少子高齢化の波に伴い『共学化』が行われ始めてしまった。
その結果が、これだ。
「サキュバスの癖してさ、魅了がめっちゃ短いとか出来ないぽんこつ良いよなぁ」
「クソ分かるわぁっ! ギャップ萌えで逆に襲ったりな」
弱い女の淫魔なら、まだ男性の需要があって生きていくのに苦労しなかったと思う。
けれど、弱い男の淫魔なんてものに女性は興味を示さない。
それどころか日頃の鬱憤を、力では劣っていた男に対する劣等感から解放され。
力を振るってみたい対象にしかならなかった。
「……はぁ」
社会ならまだ良かったが、ここは学園。
成績表が序列としての側面も現れ『弱者』と評価された『下等生物』に靡く女性なんていない。
そして俺は初日の検査で女に魅了が全く出来ないとバレて以降、ストレス解消の道具と化した。
「何か言えよー、つまんないな」
実にならない救いを求めることは、1回目で止めた。
「昨日までは謝ってたのに反抗的じゃない?」
身に覚えのない罪を謝ることは、2回目で止めた。
「っはぁ……? ちょっとあんた何して——」
3回目、魅力で戦うことを諦め、淫魔である俺は醜悪を武器にすることにした。
そこら辺のやつに比べれば、俺は大人だったから。
大人は汚い、ということをガキに思い知らせなければならない。
「ねぇ…………なに笑ってんの? 近づいてきてるけど、違うよね?」
指を鼻へと突っ込む。
それだけ。
それだけでまだまだ虐め足りない、邪悪な笑みを浮かべていた女の子たちの顔が曇り。
一歩進むたび、うろたえ、たじろぐ姿に面白くなって笑ってしまう。
淫魔のスクールカースト。
それはきっと普通の人間が通う学校よりも魅了が高いか、容姿が優れていてモテるか、それらのステータスが重要だよな。
「知っての通り、俺はもう有名人だ」
汚物を見るような眼差しで、俺の出方を伺ってくるサキュバスたち。
「ここで大声を出し、さらに注目を集めて指を君たちにつけたところで失うものなんてねぇ」
そして意図が伝わったところで、追い討ちをかけるために指を回転させて、もっと深く探る。
「そんな時、こんなことを一緒やってくれる仲間なんだから、きっと離れないし、虐めないよな?」
少しの沈黙、それと推し量るような疑いの目を向け合うサキュバスたち。
「ねぇ? あんた何か重要なことを忘れてない?」
けれど、考えていた思惑とは違い。
しばらくすると彼女たちは吹き出したかのように笑い。
そして鼻へ指を入れたままの俺を小馬鹿に歪んだ顔を向け。
離れるどころか、じりじりと距離を詰め。
気がつけば、退路を塞ぐように取り囲まれた。
「私たちは淫魔、インキュバスだろうと能力に差があれば魅了できんだよ」
手のひら1個分、ガチ恋距離ぐらいに見つめられ。
網膜の外側がピンク色を帯び、小さなハート模様の魔法陣が浮かび上がる。
「貴方の性液を貰うぐらいなら、そこいらのイケメンの方がマシだから遊んであげてるってのに。
ちょっと図にノリすぎじゃない?」
中央のデカいハート型模様が発光し、エネルギー供給しているのが、『分かりやすい』ぐらい見える。
魅了で大切なのは相手の魔力防御力だが、好意などの意志が弱いことでも掛かってしまう。
っあ……不味いかもしれない、そう思考がよぎった時には遅かった。
「……ッ」
硬くなった股間から足、手、頭と徐々に動きが鈍くなる。
うぉーっ、すっげぇッ。
初めて魅了にかかったけど全身が勃起したみたいにピクピクしか動かせないし、可動域が狭まってやがる。
ピンっと空中にボールペンが飛び、コロコロ、と目の前の地面に転がる。
「あら、ごめんなさい。ペンが落ちちゃった、拾って?」
くるくると髪を指で巻き、いじめっ子リーダーは邪悪な笑みを浮かべる。
有無を言うこともできず、身体が勝手にしゃがみ込んでペンを拾ってしまう。
「ねぇ、こんな大衆の門前で股間を膨らませる、セクハラだと思わない? それで刺したらどうかな」
「ッえ? ちょっと、待ってくれって、その、冗談だろ……? なに言って……」
ッ、ここは学校だぞ?
冗談だろぉ?
周囲に学生も多い真昼間に股間をとか、頭おか——
周囲の取り巻きも動揺する中で、俺の手はゆっくりと股間のジッパーにかかる。
「ッぐっ……ぐぐぅ」
足掻こうと力を込めても無駄でしかなく、ピキピキとペンは割れ。
指の隙間からインクの混ざったドス黒い血が流れ落ち。
俺の身体は無慈悲にカチっ、とペン先を出し、息子を取り出そうとし始める。
あ…………詰んだ、入学早々で笑い物にされる。
全身が股間とか、馬鹿なこと言わなきゃ良かった。