風間が寮長に手紙を手渡した所に、洗面用具を持った蓮がやってきた。少し間があって、蓮が肩を組んだ。
「お前手紙出すような相手いたんだな。なな、彼女か?」
「女性だな。高校に上がってから、文通をするようになった」
「隅に置けねえなあ」
蓮が宛先を見ようとすると、着替えが置かれたカウンターの向こうにいる寮長が手紙をひっこめた。
そこから、特に示し合わせることなく並んで風呂に入った。
「文通って何書くんだよ」
頭を洗いながら蓮が問う。
「通信の秘密は知っているだろ。公務員が他人の手紙の内容を知りたがるのは、よくないぞ」
目を開けながら洗髪できない彼は、風間がどんな顔をしているか、見ることはできない。
「へいへい。わかりましたよ」
不満げに言った彼は、手探りでシャワーのバルブを見つけ、シャンプーを流す。
「でも、なんか意外だぜ。風間って彼女とか作らないイメージだった」
「俺もお前が雪音と懇ろになっているのは、驚いたよ」
「粘土?」
「懇ろだ。男女の仲がいいことを指す」
改めて他者から言葉にされると、蓮としても恥ずかしいものがあった。
「すげー今更なんだけどさ、初対面の時、俺に舌打ちしたよな」
体を洗い始めて、彼は言う。
「雪音の写真見せて、こいつ知らねえか、って。俺が知らないつったら舌打ちだ。感謝の一つくらいするべきだろ」
「それは……すまん。焦っていたんだ。夜海原を先に確保されるわけにはいかなかった」
「壱阡火ってやつか?」
「そうだ」
泡を流し、湯船へ。
「奴の狙いが何なのか……正確な所はまだ掴めていない。だが、おそらく慧渡秋野が近くにいる」
「誰だよ、秋野って」
「俺の叔母に当たる。俺の祖父を脅して妖魔を奪い、姿を晦ました。理由も俺は知らん。それでも、勘がそう言ってる」
「俺難しいことわかんねえけどさ、手伝うよ。多分、風間は話がしたいんだろ?」
話がしたい──それが正しいのか、風間自身にとっても判然としない。しかし、なぜ家を裏切ったのか、というのは問い詰めたかった。どんな答えであっても。
「そうかも、しれないな」
風呂場に、小さな声が響いた。
◆
明くる日。蓮と耶麻は地下水道を歩いていた。
「ほんとにいんのかなあ」
目的は、妖魔の討伐だ。遊びで忍び込んだ小学生三人が帰ってこないため調査した所、少なくとも尋常の動物でない存在が確認された。
だが、蓮は妖魔らしい気配を感じられないでいた。
「薬品で狂暴化したワニとかの方がしっくりくるけどなあ」
「蓮くん、あまりそういうことを言うものではありませんよ。被害者が存在している以上、真剣に取り組むべきです」
「……うっす」
既に蓮は変身している。耶麻も刀を抜いていた。
「何かいます」
耶麻の鋭敏な感覚が、動く物体を捉えた。それは、あまりにも醜かった。
成人男性ほどの背丈をした、紫色の妖魔。腹には三つの顔があり、そのどれもが血の涙を流していた。コーギーのように短い手足を、忙しなく動かしている。
「タスケテ……」
譫言。
「耶麻さん、一撃で決める」
蓮が、霊力パルスで一気に加速して拳を叩き込んだ。悲しくも人でなくなってしまったそれは、大きく後退こそしたものの死ななかった。
ならば、と更なる攻撃を繰り出す。殴り、蹴り、突き飛ばす。だが、死ぬどころか、まともにダメージを受けているかすら怪しかった。
腹の口の一つが開く。何を──と思考する前に光が発せられた。回避は間に合わなかった。
しかし、それと蓮の間に黄色い壁が生まれていた。耶麻はその間に、怪物の背後へ回り、刀で刺した。その光景を前にして、蓮は一つ決意した。
「耶麻さん、石動使うよ」
その言葉を受けて、大人は離れた。
「出力三十パーセント。せめて、これで!」
カッ、と眩い閃光が地下水道を満たした。数秒後、それが退いていくと、残酷に飛散した体液と小さな破片が露になった。
せめて弔ってやろう、と思った彼の耳に、拍手の音が入る。
「いやー、成長したんだ」
中性的な、不思議な空気を纏った女が奥から現れる。美晴が妖魔に作り変えられる直前に見た、あの顔。
「煮卵ふぐりか?」
「覚えててくれたんだ。嬉しいね」
耶麻は蓮を止めようとした。だが、少年はもう動いていた。霊力の籠った拳が、加速を受けてふぐりの顔に突き刺さる。
「痛いじゃないか!」
予想以上のスピードに変形が追い付かなかった彼女は、折れた歯を吐き出した。大きく後方に跳躍し、掌の穴から低級妖魔──かつて人だったものの残り滓を飛ばす。
それらを叩き落としながら、蓮は前に、とにかく前に進んだ。脹脛で霊力を爆ぜさせて、距離を詰める。
渾身の拳が、ふぐりの胴にめり込む。霊力を送り込もうとした蓮だが、その前に彼女の体が歪んで、液体に手を突っ込んだかのような感触に変わる。
「残念だけど、用事があるんだ! それじゃ!」
ぬるりと離れたふぐりは、青白い、半透明の壁を残して下水道に消えた。それを打っても、崩れない。
「畜生!」
腹の底から叫びながら、蓮は何度も壁を殴った。罅一つ入らない。
「クソが……!」
「蓮くん。地上から追わせます。一旦退きましょう」
拳を震わせる少年の肩を叩いた耶麻は、この言葉が届いていないことを確信する。その上で、じっくりと待った。
数分もして諦めた蓮が、耶麻の顔を見上げる。
「車に戻りますよ。変身はそのままで」
蓮は、先程の敵の正体を察してしまっていた。行方不明になっていた、三人の小学生。また、人を殺した。
「煮卵ふぐり、用事があるって言ってたよな」
「方便……かもしれませんが、慧渡秋野の存在もあります。人を妖魔に変える者と、その妖魔を操る者。相性は間違いなくいい」
「なんだってんだ……」
◆
そこからかなり北に進んで、山中のダム付近。小さな小屋があり、その中に三人が集まっていた。
「ふぐり、遅かったね」
人相を識別できない、黒スーツの男。壱阡火だ。
「遊んでたらバレちゃって。ごめんごめん」
「思ったよりはまともな範疇の遅刻ですよ。ねえ? 壱阡火様」
「それもそうか。では、計画について話そう」
小屋の真ん中にあるテーブルに、壱阡火がM市中心部の地図を広げる。
「この計画の軸は、鳳躍の排除だ。そのための
腰背部から短刀を外し、見せる。
「躍の霊力は無限だ。霊脈と繋がっているからね。でも、霊脈接続者の魂は、その代償として霊力を生み出さない。だから、霊脈との繋がりを断つこれで刺せば、自分では治療もできずに死ぬことになる」
仕舞う。
「一つ問題があるとすれば、それが極めて困難、ということだ。常に霊力探知を怠らず、背後に回った程度では容易に対処できてしまう」
「飽和攻撃、ということですね?」
秋野の一言を受けて、彼は頷いた。
「ふぐりが作った大量の妖魔で消耗させる。特上級の用意はできたんだろう?」
「問題ないよ。地下に格納してる」
「特上級三体を使って追い詰める。もちろん私も参加するよ。霊力は無限でも、体力は有限だからね。霊力探知もできなくなった頃に……グサリ、だ」
「ねね、死ぬ直前に妖魔にして、蓮にぶつけてやろうよ」
壱阡火が笑い出す。
「面白いね。でも、そんな余裕は多分ないと思うよ。だから、ふぐりには非能力者を適当に妖魔に変えて、攪乱してくれ」
「あいあいさー! ああ、楽しみだ……」
ふぐりは手を何度も開き、閉じてを繰り返す。
「私は、躍を追い詰めるための妖魔を操作。ですね?」
「用意した特上級は知性があるからねえ……君は家のことを決着させるといい。羽吉を長生きさせる意味もないからね」
壱阡火が仕組む、儀式。その名は『異能戴冠』──。