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異能戴冠 序

 風間が寮長に手紙を手渡した所に、洗面用具を持った蓮がやってきた。少し間があって、蓮が肩を組んだ。


「お前手紙出すような相手いたんだな。なな、彼女か?」

「女性だな。高校に上がってから、文通をするようになった」

「隅に置けねえなあ」


 蓮が宛先を見ようとすると、着替えが置かれたカウンターの向こうにいる寮長が手紙をひっこめた。


 そこから、特に示し合わせることなく並んで風呂に入った。


「文通って何書くんだよ」


 頭を洗いながら蓮が問う。


「通信の秘密は知っているだろ。公務員が他人の手紙の内容を知りたがるのは、よくないぞ」


 目を開けながら洗髪できない彼は、風間がどんな顔をしているか、見ることはできない。


「へいへい。わかりましたよ」


 不満げに言った彼は、手探りでシャワーのバルブを見つけ、シャンプーを流す。


「でも、なんか意外だぜ。風間って彼女とか作らないイメージだった」

「俺もお前が雪音と懇ろになっているのは、驚いたよ」

「粘土?」

「懇ろだ。男女の仲がいいことを指す」


 改めて他者から言葉にされると、蓮としても恥ずかしいものがあった。


「すげー今更なんだけどさ、初対面の時、俺に舌打ちしたよな」


 体を洗い始めて、彼は言う。


「雪音の写真見せて、こいつ知らねえか、って。俺が知らないつったら舌打ちだ。感謝の一つくらいするべきだろ」

「それは……すまん。焦っていたんだ。夜海原を先に確保されるわけにはいかなかった」

「壱阡火ってやつか?」

「そうだ」


 泡を流し、湯船へ。


「奴の狙いが何なのか……正確な所はまだ掴めていない。だが、おそらく慧渡秋野が近くにいる」

「誰だよ、秋野って」

「俺の叔母に当たる。俺の祖父を脅して妖魔を奪い、姿を晦ました。理由も俺は知らん。それでも、勘がそう言ってる」

「俺難しいことわかんねえけどさ、手伝うよ。多分、風間は話がしたいんだろ?」


 話がしたい──それが正しいのか、風間自身にとっても判然としない。しかし、なぜ家を裏切ったのか、というのは問い詰めたかった。どんな答えであっても。


「そうかも、しれないな」


 風呂場に、小さな声が響いた。





 明くる日。蓮と耶麻は地下水道を歩いていた。


「ほんとにいんのかなあ」


 目的は、妖魔の討伐だ。遊びで忍び込んだ小学生三人が帰ってこないため調査した所、少なくとも尋常の動物でない存在が確認された。


 だが、蓮は妖魔らしい気配を感じられないでいた。


「薬品で狂暴化したワニとかの方がしっくりくるけどなあ」

「蓮くん、あまりそういうことを言うものではありませんよ。被害者が存在している以上、真剣に取り組むべきです」

「……うっす」


 既に蓮は変身している。耶麻も刀を抜いていた。


「何かいます」


 耶麻の鋭敏な感覚が、動く物体を捉えた。それは、あまりにも醜かった。


 成人男性ほどの背丈をした、紫色の妖魔。腹には三つの顔があり、そのどれもが血の涙を流していた。コーギーのように短い手足を、忙しなく動かしている。


「タスケテ……」


 譫言。


「耶麻さん、一撃で決める」


 蓮が、霊力パルスで一気に加速して拳を叩き込んだ。悲しくも人でなくなってしまったそれは、大きく後退こそしたものの死ななかった。


 ならば、と更なる攻撃を繰り出す。殴り、蹴り、突き飛ばす。だが、死ぬどころか、まともにダメージを受けているかすら怪しかった。


 腹の口の一つが開く。何を──と思考する前に光が発せられた。回避は間に合わなかった。


 しかし、それと蓮の間に黄色い壁が生まれていた。耶麻はその間に、怪物の背後へ回り、刀で刺した。その光景を前にして、蓮は一つ決意した。


「耶麻さん、石動使うよ」


 その言葉を受けて、大人は離れた。


「出力三十パーセント。せめて、これで!」


 カッ、と眩い閃光が地下水道を満たした。数秒後、それが退いていくと、残酷に飛散した体液と小さな破片が露になった。


 せめて弔ってやろう、と思った彼の耳に、拍手の音が入る。


「いやー、成長したんだ」


 中性的な、不思議な空気を纏った女が奥から現れる。美晴が妖魔に作り変えられる直前に見た、あの顔。


「煮卵ふぐりか?」

「覚えててくれたんだ。嬉しいね」


 耶麻は蓮を止めようとした。だが、少年はもう動いていた。霊力の籠った拳が、加速を受けてふぐりの顔に突き刺さる。


「痛いじゃないか!」


 予想以上のスピードに変形が追い付かなかった彼女は、折れた歯を吐き出した。大きく後方に跳躍し、掌の穴から低級妖魔──かつて人だったものの残り滓を飛ばす。


 それらを叩き落としながら、蓮は前に、とにかく前に進んだ。脹脛で霊力を爆ぜさせて、距離を詰める。


 渾身の拳が、ふぐりの胴にめり込む。霊力を送り込もうとした蓮だが、その前に彼女の体が歪んで、液体に手を突っ込んだかのような感触に変わる。


「残念だけど、用事があるんだ! それじゃ!」


 ぬるりと離れたふぐりは、青白い、半透明の壁を残して下水道に消えた。それを打っても、崩れない。


「畜生!」


 腹の底から叫びながら、蓮は何度も壁を殴った。罅一つ入らない。


「クソが……!」

「蓮くん。地上から追わせます。一旦退きましょう」


 拳を震わせる少年の肩を叩いた耶麻は、この言葉が届いていないことを確信する。その上で、じっくりと待った。


 数分もして諦めた蓮が、耶麻の顔を見上げる。


「車に戻りますよ。変身はそのままで」


 蓮は、先程の敵の正体を察してしまっていた。行方不明になっていた、三人の小学生。また、人を殺した。


「煮卵ふぐり、用事があるって言ってたよな」

「方便……かもしれませんが、慧渡秋野の存在もあります。人を妖魔に変える者と、その妖魔を操る者。相性は間違いなくいい」

「なんだってんだ……」





 そこからかなり北に進んで、山中のダム付近。小さな小屋があり、その中に三人が集まっていた。


「ふぐり、遅かったね」


 人相を識別できない、黒スーツの男。壱阡火だ。


「遊んでたらバレちゃって。ごめんごめん」

「思ったよりはまともな範疇の遅刻ですよ。ねえ? 壱阡火様」

「それもそうか。では、計画について話そう」


 小屋の真ん中にあるテーブルに、壱阡火がM市中心部の地図を広げる。


「この計画の軸は、鳳躍の排除だ。そのための呪天怨地じゅてんえんちも用意できた」


 腰背部から短刀を外し、見せる。


「躍の霊力は無限だ。霊脈と繋がっているからね。でも、霊脈接続者の魂は、その代償として霊力を生み出さない。だから、霊脈との繋がりを断つこれで刺せば、自分では治療もできずに死ぬことになる」


 仕舞う。


「一つ問題があるとすれば、それが極めて困難、ということだ。常に霊力探知を怠らず、背後に回った程度では容易に対処できてしまう」

「飽和攻撃、ということですね?」


 秋野の一言を受けて、彼は頷いた。


「ふぐりが作った大量の妖魔で消耗させる。特上級の用意はできたんだろう?」

「問題ないよ。地下に格納してる」

「特上級三体を使って追い詰める。もちろん私も参加するよ。霊力は無限でも、体力は有限だからね。霊力探知もできなくなった頃に……グサリ、だ」

「ねね、死ぬ直前に妖魔にして、蓮にぶつけてやろうよ」


 壱阡火が笑い出す。


「面白いね。でも、そんな余裕は多分ないと思うよ。だから、ふぐりには非能力者を適当に妖魔に変えて、攪乱してくれ」

「あいあいさー! ああ、楽しみだ……」


 ふぐりは手を何度も開き、閉じてを繰り返す。


「私は、躍を追い詰めるための妖魔を操作。ですね?」

「用意した特上級は知性があるからねえ……君は家のことを決着させるといい。羽吉を長生きさせる意味もないからね」


 壱阡火が仕組む、儀式。その名は『異能戴冠』──。


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