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第5話「本田」

 ◆◆◆


 ──ああ、クソ。


 佐原の奴も御堂の奴も、本当に気に食わねえ。


 俺は帰り道を歩きながら、今日のことを思い返して苛立ちを募らせていた。


 佐原はいつだって御堂ばかり庇いやがるし、御堂は御堂で味噌っカスだ。


 無能力者なんてただの寄生虫じゃねえんか。


 バケモン共から世界を守ってるのは才能がある連中だ。


 無能力者は才能があるやつらの血を吸って生きてる寄生虫だ。


 どうして俺のほうが悪者扱いなんだよ。


「くそが……」


 イライラを吐き出すように呟きながら歩いていると、ふと周囲の景色が薄暗く沈んでいることに気づく。


 時計を確認すると、まだ夕方だというのにやけに暗い。


 ──まさか


「異常領域か……? 冗談じゃねえぞ、マジで」


 俺は舌打ちをして周囲を見回した。


 いつもの通学路がまるで別の世界みたいに薄暗く変貌している。


 心底不愉快だ。


 その時だった。


 ──「腕……せんか……?」


 か細い女の声が路地の奥から響いた。


 振り向くと、薄闇の中に白い影がぼんやりと立っている。


 よく見ると若い女だ。


 白いワンピースを着ていて、左腕が肩口からスパッと消えている。


「あぁ?」


 俺は眉をしかめて、明らかに怪異と分かるその女を睨みつける。


 片腕の女はもう一度、弱々しい声を投げかけてきた。


「腕、落としてませんか……?」


「けっ……うぜえんだよ」


 俺は足元に転がっていた空き缶を念動力で浮かせ、そのまま一気に加速させて女の顔面に叩きつけた。


 たかが缶。


 されど缶だ。


 その辺のブロック塀なんて軽くぶち抜けるくらいの勢いをつけてやった。


 ゴン、という鈍い音が響き、女は顔を仰け反らせて苦しげなうめき声を漏らす。


 その姿を見て、俺は思わず嗤った。


 実際、俺は怪異に出くわすのは初めての事じゃない。


 連中は確かに薄気味悪いが、こちらが強気で出てやればビビって消える。


 異能が珍しかった時代はそういうのも中々難しかったらしいけどな。


 なにせ連中は、ゲーム風に言うと物理攻撃が効かない。


 というか、同じ土俵に立たないと攻撃したって無駄だ。


 同じ土俵っていうのは、要するに俺がやってるような異能による攻撃だ。


「はっ、ざまあねぇな。消えろよ、クソ怪異が」


 だがその瞬間──女がゆっくりと頭を上げる。


 ぼさぼさに乱れた黒髪の奥から、ぞっとするほど冷たい目が俺を睨みつけていた。


「腕ぇぇぇええ!!!」


 女が絶叫し、俺に向かって猛然と突進してきた。


 視界がぶれた。


 一瞬の間、俺の体は完全に凍りついたように動かない。


「──っ!」


 痛みはなかった。


 ただ違和感だけが腕から伝わってくる。


 視線をゆっくり下げていくと、そこにあるはずの俺の腕が、もうなかった。


「……え?」


 俺の口から出たのは、間の抜けた声だけだった。


 ◆


 朝のホームルームは、いつも通りのざわめきの中で始まった。


 僕は昨日の異常領域での出来事が頭から離れず、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 教壇に立った牧村先生は、普段より少しだけ険しい顔をしている。


「諸君、おはよう。今日は最初に確認したいことがある。昨日の放課後から、本田が自宅に戻っていないらしい。誰か本田と連絡を取った者はいないか?」


 教室が一瞬ざわつき、その後静かになった。


 僕の心臓が、いやに大きく鼓動を打つ。


「警察にはすでに届が出されている。ただ、昨夜は学区内で異常領域が発生した。もしかしたら本田もそれに巻き込まれた可能性がある。もし心当たりがある者がいたら、すぐに申し出てくれ」


 先生の言葉が僕の胸を鋭く刺す。


 ──本田が巻き込まれた? 


 昨日の帰り道、あの異常領域で出会った鳥の女の人を思い出す。


 あのとき僕を救ってくれたお姉さん。


 でも、お姉さんが来る前に、あの怪異が他にも誰かを襲っていたのかもしれない。


 ふと、僕は視線を感じて教室を見回す。


 眞原井さんが、ちらりと僕の方を見ていた。


 僕が彼女に気づいた途端、彼女は視線を逸らし、何事もなかったかのように教科書を開いた。


 ──何か……疑うような目だったな


 胸の奥がもやもやと重くなる。


 僕が考え込んでいる間にも、教室では小声で囁き合う声が広がっていた。


「本田、異常領域に巻き込まれたってマジかよ……」


「最近、この辺りでも多いよね」


 祐が僕に耳打ちしてきた。


「なあ、聖。昨日の帰り道、お前何も変なことなかったよな?」


 僕は少し慌てて首を振った。


「いや、何も……普通に帰っただけだよ」


 祐は少し心配そうな顔をしつつも、「そうか」と呟いて自分の席に戻っていった。


 その時、再び眞原井さんが僕の方を見ている気配を感じた。


 僕が彼女の方を見ようとすると、すぐに彼女の視線は逸れてしまう。


 まるで、何かを探るような慎重な眼差しだった。


 ──どうして僕をそんなに気にするんだろう? 


 僕には何の力もない。


 昨日のことだって、お姉さんが助けてくれなかったら今頃僕も……。


 僕は唇を噛みしめて視線を窓の外へと戻す。


 ──本田、無事だといいけど。


 本田の事はあまり好きじゃない。


 でも彼が異常領域の犠牲になるなんて、想像したくなかった。あの恐怖は味わった者にしかわからないだろう。



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