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第22話「日常⑮(聖、その他)」


 ◆


 病室の天井には、染みがあった。

 水漏れか何かの跡だろう。不規則な形が、見ているうちに色んなものに見えてくる。

 犬とか、雲とか、悦子さんの作る謎料理とか。


「……暇だなぁ」


 呟いても返事はない。

 当たり前だ──個室だし。

 体を起こそうとすると、鉛みたいな倦怠感が全身を押さえつける。

 まるで重力が三倍くらいになったみたいだ。

 暇は暇なのだけれど、動く気にもなれないのだ。


 ──また寝よう


 それしかすることがない。

 瞼を閉じると、すぐに意識が沈んでいく。

 ここ数日はずっと調子だ。起きては寝て、寝ては起きて。

 時間の感覚も曖昧になってきた。


 そしてうとうとしていると──


 ノックの音で目が覚めた。


「入っていいか?」


 裕の声だ。

 お見舞いに来てくれたんだろう。

 僕が入院して一週間くらいたつけれど、これまでに何度か来てくれている。


「うん……」


 ドアが開いて、裕が顔を覗かせた。

 手にはコンビニの袋を持っている。


「よう、生きてるか?」

「かろうじて」


 苦笑しながら答える。


 裕は椅子を引いて、ベッドの横に座った。


「これ、差し入れ」


 ニヤニヤしながら袋から雑誌を取り出す。

 表紙には水着姿の女性が──いや、下着だこれ。


「……なにこれ」

「いいだろ? 病院生活の清涼剤だぜ」


 得意げに言う裕。


「こういうのって、持ち込んでいいの?」

「バレなきゃいいんだよ」


 そう言いながら、ベッドの横の引き出しに雑誌を滑り込ませる。


「ナースが来たらすぐ隠せ」

「いや、そういう問題じゃ……」

「細かいこと気にすんなって」


 裕はあっけらかんとしている。


「つーか、お前も年頃なんだからさ」

「年頃って……」

「彼女とかいないの?」


 唐突な質問に戸惑う。


「いないけど」

「マジで? もったいねぇ」


 裕が大げさに肩をすくめる。


「俺なんか彼女に振り回されっぱなしだぜ」

「ノロケ?」

「違ぇよ。この前なんかさ──」


 裕が彼女との日常を語り始める。

 デートの待ち合わせに三十分遅刻されたとか、プレゼント選びで丸一日付き合わされたとか。

 聞いていて微笑ましい。


「でも楽しそうじゃん」

「まあな」

 裕が照れたように頭をかく。


「お前も早く彼女作れよ」

「そのうちね」


 適当に流す。


「つーか、クラスの女子とか狙い目じゃね?」

「急に何?」

「だってお前、最近有名人じゃん。河童から生還した男」


 ああ、そういえば──


「モテ期来るかもよ?」

「来ないって」


 僕は苦笑する。


 でも裕は真面目な顔で続ける。


「いや、マジで。女子って強い男好きだし」

「僕、全然強くないし」

「生き残ったんだから強いだろ」


 なんだその理論。


「まあ、とりあえずその雑誌で勉強しとけ」

「何を勉強するんだよ……」


 呆れながらも、なんだか楽しい。

 こういう馬鹿話も悪くない。


 ◆


 裕が帰った後、一、二時間くらいしてから──


「失礼しますわ」


 ノックと同時に声がした。

 アリスだ。


「どうぞ」


 ドアが開いて、制服姿のアリスが入ってきた。

 手には革装の立派な本を持っている。


「お加減はいかがですか?」

「ぼちぼち……かな」


 アリスは椅子に座って、持ってきた本を差し出した。


「これ、差し入れですわ」


 受け取ってみると、ずっしりと重い。

 表紙には金文字で『HOLY BIBLE』と書かれている。


「聖書……?」

「ええ。病院で暇でしょうから」


 いや、暇だけど。

 聖書って暇つぶしに読むものなのか? 


「あの、アリス……」

「なんですか?」

「これ、全部英語なんだけど」

「あら、英語の勉強にもなって一石二鳥ですわね」


 にこやかに言うアリス。

 いや、そういう問題じゃ──


「でも、ありがとう」


 結局お礼を言う。

 気持ちが嬉しいし。


「ところで」


 アリスが何か言いかけた時、引き出しが少し開いているのに気づいたらしい。


「これは……」


 中から雑誌の端が見えている。

 女性の太ももあたりが──


「……」

「……」


 気まずい沈黙。


 アリスがゆっくりと僕を見る。

 その目がジト目になっていく。


「男の子ですから、咎めませんけれど……」


 声が冷たい。


「いや、これは裕が勝手に──」

「言い訳は見苦しいですわよ」


 ぐうの音も出ない。


「まあ」


 アリスは咳払いをして話題を変えた。


「健全な証拠ということで」


 健全……なのか? 


「それより、退院はいつ頃になりそうですか?」


 話題を変えてくれたことに感謝しつつ答える。


「来週には出られるかも」

「それは良かったですわ」


 アリスが微笑む。


「学校のみんなも心配してますから」

「そうなの?」

「ええ。御堂君は最近色々巻き込まれていますから」


 自慢じゃないけれど、僕はクラスでは空気の様な存在だ。

 だから皆が気にかけてくれているっていうのは正直いって嬉しい。

 けれど、心配をかけるっていう形はちょっとね。

 なんというか、もっとこう、胸を張れる事で有名──有名? なんだか違う気がするけれど、まあ、有名になりたい。


 そうして他愛もない話をしているうちに、面会時間が終わりに近づいてきた。


「それでは、お大事に」


 アリスが立ち上がる。


「聖書、ちゃんと読んでくださいね」

「が、頑張ってみる……」


「あと」


 ドアの前で振り返る。


「そういう雑誌は、もう少し上手に隠した方がよろしいですわよ」


 最後にもう一度ジト目を向けて、アリスは出て行った。

 ……恥ずかしい。


 ◆


 次の日の午後。


「やあ、御堂君」


 のんびりした声と共に、福々先輩が現れた。


「先輩、わざわざすみません」


「いやいや、たまたま近くに来たからね」


 そう言いながら、持ってきた紙袋をテーブルに置く。


「差し入れ。病院って暇でしょ?」


 中を覗くと、漫画が何冊か入っていた。


「わぁ、ありがとうございます」

「最新刊もあるよ」


 人気シリーズの最新刊が入っている。

 これは嬉しい。


「先輩も読みます?」

「いや、僕はもう読んだから」


 そう言って椅子に座る福々先輩。


「そういえば」


 先輩が急に真顔になる。


「祟部長、最近ずっと休んでるんだよね」


「え?」


 思わず声が出る。


「もう四、五日かな。連絡も取れないし」


 祟部長が……? 


「何かあったんですか?」

「分からない。でもまあ、あの人のことだから大丈夫だと思うけど。これまでにも何度かあったからね、急に雲隠れしちゃったりするの」


 福々先輩はあっけらかんとしている。

 でも僕は少し不安になった。

 都庁から邪気が出てるとか言ってたし、もしかして──


「心配しても仕方ないよ」


 福々先輩が僕の表情を見て言う。


「それより君は早く元気になることだね」

「……はい」


 確かにその通りだ。

 今の僕に出来ることなんて何もない。


 ◆


 その翌日。


「聖くーん!」


 病室のドアが勢いよく開いた。

 相沢さんだ。

 金髪を揺らしながら、ずかずかと入ってくる。


「生きてる?」

「なんとか……」

「顔色悪っ。まあいいや。はい、これ」


 ファッション雑誌を差し出してくる。


「え?」

「暇でしょ? これ先月号だけど」


 表紙にはキラキラした女性モデルが写っている。


「いいんですか?」

「もう読んだし。つーか、男子も読んだ方がいいよ」

「なんで?」

「女子の好みとか分かるじゃん」


 なるほど……? 

 理屈は分かる。

 でもなぜ今──まあいいか。


 相沢さんはベッドの端に腰掛ける

 。

「つーかさ、聖くんモテそうなのにもったいないよね」

「え?」


 突然の話題に戸惑う。


「だって優しいし、真面目だし」

「それだけじゃモテないでしょ」

「いやいや、需要あるって」


 相沢さんが断言する。


「実際、クラスの子で聖くんのこと気にしてる子いるし」


「……本当に?」

「教えないけどね〜」


 意地悪な笑顔。


「ヒントは?」

「んー、黒髪ロングの子」


 それだけじゃ分からない。

 クラスに黒髪ロングの女子なんて何人もいる。


「もうちょっとヒント」

「ダメ〜。自分で考えな」


 相沢さんは楽しそうだ。


「じゃ、また来るね」


 相沢さんは立ち上がる。


「雑誌、参考にしなよ〜」


 ひらひらと手を振って出て行った。


 ……黒髪ロングの子、か。

 誰だろう。


 ◆


 それから数日が過ぎた。


 朝起きると少し体が軽い。

 あの鉛のような倦怠感が少しずつ薄れてきている。


「おはよう」


 茂さんが病室に入ってきた。

 手には──和傘だ。あの、黒い和傘。


「おはようございます」


 ベッドの上で体を起こす。

 もう普通に動けるようになった。


「調子はどうだ?」

「だいぶ良くなりました」

「そうか」


 茂さんは安堵の表情を見せる。

 でも、どこか真剣な表情も混じっている。


「聖、話がある」


 茂さんの声が、いつになく重い。


「今回のことも含めて、お前に伝えなければならないことがある」


 空気が変わった。

 僕は背筋を伸ばす。


「お前には異能がある」


 茂さんがはっきりと言った。


「え……?」


 心臓が跳ね上がる。

 異能? 僕に? 


「正確には、霊媒体質だ」


 茂さんは続ける。


「お前は怪異を引き寄せ、時には力を貸して貰う事が出来る。あの傘もそうだ。付喪神に気に入られたな」


 頭が真っ白になる。

 僕に、異能が──


「じゃあ、僕も……!」


 思わず身を乗り出す。

 裕みたいに火を出したり、アリスみたいに戦ったりできるのか。


 でも茂さんの表情は厳しいままだった。


「浮かれるな」


 ピシャリと言われて、僕は縮こまる。


「いいか、よく聞け。霊媒体質というのは、他の異能とは違う」


 茂さんは言葉を選びながら続ける。


「交渉次第では、確かに力を貸してもらえるかもしれない。だが──」


 一呼吸置く。


「制御を誤れば喰われるぞ」


 ぞくり、と背筋が凍る。


「喰われる……?」

「文字通りだ。魂を、精神を、存在そのものを奪われる」


 茂さんの目は真剣そのものだった。


「だから絶対に、勝手に自分の力を試そうとするな。いいな」

「は、はい……」


 声が震える。

 嬉しさと恐怖が、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っている。


 茂さんは傘を指差した。


「この傘も、お前が無意識に引き寄せたモノの一つだ。今回はたまたま上手くいったが──」


 言葉を切る。


「次も同じようにいくとは限らない」


 僕はようやく自分に異能があると分かった。

 ずっと欲しかった力。

 でも同時に、それがどれほど危険なものかも理解した。


「複雑な気持ちだろう」


 茂さんが少し表情を和らげる。


「だが正しく学べば、制御することも可能だ」

「本当ですか?」

「ああ。ただし、独学は厳禁だ。必ず指導者の下で学ぶこと。まあその辺は手配するよ。あの同級生の眞原井さんも協力してくれる言っているし。知っているか? 彼女は高名な祓い師の娘なんだぞ」


 茂さんは立ち上がった。


「とりあえず、この傘はお前のそばに置いておく。既に繋がりができているからな」


 そして、アドバイスをくれた。


「道具──といってはなんだがな、付喪神というのは手をかければかけるほど、持ち主との繋がりが強くなる。手入れをしっかりしろ」

「分かりました」

「繋がりが強くなれば、制御もしやすくなる。同じことがあっても、今度は倒れたりしないかもしれない」


 茂さんは部屋を出る前に、もう一度振り返った。


「聖、嬉しい気持ちは分かる。だが命に関わることだ。慎重にな」

「……はい」


 僕は深く頷いた。


 ◆


 午後。


 茂さんの言葉が頭の中でぐるぐる回っている。

 異能がある。

 霊媒体質。

 魔を引き寄せ、宿す力。

 でも、下手をすれば喰われる。


 複雑だ。

 本当に複雑な気持ちだ。


 でも──


 傘を見つめる。

 まずは、この子との繋がりを深めることから始めよう。


 僕は傘の手入れを始めた。

 ティッシュで表面の埃を払い、骨組みの部分を軽く拭く。

 黒い和紙に朱色の模様。

 改めて見ると、本当に綺麗な傘だ。


「よろしくね」


 小さく呟いてみる。

 傘は答えない。

 当たり前だ。

 でも、なんとなく温かい感じがする。


 丁寧に、ゆっくりと拭いていく。

 竹の骨組みも一本一本確認する。

 傷んでいるところはない。

 最後に、持ち手の部分を磨く。


「よし、終わり」


 満足して、傘をドアの横に立てかける。


 ベッドに腰を下ろして、ふぅと一息。

 窓の外を見ると、もう夕方だった。


 その時だった。


 ぞくり。


 急に寒気がした。


 ──部屋の中に、誰かいる気がする


 慌てて部屋を見回す。


 そして──


 傘を置いた場所に、少年が立っていた。


「!」


 あの時の少年だ。

 おかっぱ頭、古臭い着物、中性的な顔立ち。

 改めて見ると、とても美しい少年だった。


 ドアが開いた音はしなかった。

 つまり──


 ──傘の


 でも、茂さんの言葉を思い出す。

 霊媒体質。魔を引き寄せる力。

 これもその一つなのか。


 僕は息を止めて、じっと少年を見つめた。

 少年も僕を見つめ返す。


 沈黙が続く。


 やがて、少年の口が開いた。


「ねえ、お兄さん」


 少年特有の高い声。

 表情は呆れたような顔だった。


「少しは鍛えたら?」


 それだけ言って、少年は煙のように消えた。


 僕はしばらく呆然としていた。

 そして、自分の体を見下ろす。

 確かに貧弱だった。

 例えば裕なんて、お腹がきれいに六つに割れているのだが──僕はぺたんこだ。


 むっ、と腹筋に力を入れてみるが──

 ふ、と意識が遠のいた。


 力んだせいで貧血気味になったんだろう。

 弱い、弱すぎる。

 ずっと横になりっぱなしというのも差し引いても、余りにもひょろい。


 僕は枕に顔を埋めて、心の中で──


 ──鍛えよう


 と心に決めた。

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