あの時は思ってもいなかった。
先生とあんなことをしてしまうなんて……
高校2年生の4月、新しいクラスの担任の先生は私が憧れていた龍崎先生だった。30代ぐらいの男の先生で眼鏡の奥の黒い瞳が透き通るように綺麗な人。声も渋くて素敵。
だけどそう思っているのは私だけかもしれない。きっと眼鏡の奥まで誰も見ないだろうから。短い髪も清潔感がある。みんなはダサいって言うけれど黒髪の短髪に眼鏡って……誠実さでは最強だと思うんだよね。
「そんなの中身が誠実とは限らないよ? さゆみ」
親友の絵里が言う。彼女とは1年から一緒で私、春川さゆみが龍崎先生を好きなことも知っている。
「ねぇ絵里、電撃が走るってわかる? 私は龍崎先生を一目見てそれを感じたの! 奇跡だよ」
「はぁ……ミーハーだね」
「どうすればいいの? 数学、頑張ったら私のこと見てくれると思う?」
龍崎先生は数学担当だ。数学というだけで格好いいと思うのは私だけだろうか。
「せいぜい頑張りなよ。さゆみはモテるのにどうしてそっちに行くんだろう。もったいない」
「え? だって同年代の男子には何も感じないんだもん」
「さゆみはロングヘアだし甘めのキュート顔。男子に大人気だよ?」
絵里はそう言うが私にはそういった自覚はない。「可愛い」と周りに言われても「ありがとう」って言って話が終わる。そこでもっと嬉しそうに反応して話を広げるべきだ、と絵里に言われるが……何を話すの?
それよりも龍崎先生の渋い声を聞いていたい。好きな食べ物や好きな映画、好きな動物が実は猫だったらギャップでさらにキュンとしてしまうだろう。
ということで、私は数学で少しでも分からなければ先生のところに質問しに行った。毎回行くのでちょっとは私のこと……意識してくれるといいなぁ。
放課後は時間があるので少しだけ雑談できる。
「せ……先生って……好きな食べ物は何ですか?」
「え? フフ……そんなの聞かれたの初めてだな。カレーかな」
ああ……王道のカレー……いい。カレー好きに悪い人はいない。
「春川さんは何が好きなんだ?」
「え……えーと……私もカレーが好きです」
「お、一緒だな」
先生がニッと笑った。その瞬間、私は心を奪われてしまう。私だけに見せるその笑顔……じっと見つめ合ってしまう私たち。カレーの話だけでロマンチックになるのは……先生がいるからだよ? なんてね。
※※※
そういった感じで時々話す仲になった私たち。2学期には修学旅行で京都に行った。修学旅行の夜といえば、部屋で恋バナをするといった楽しみがある。そしてそこでクラスの誰かと誰かが付き合っているという情報も入ってくる。
私のことは絵里以外は知らないので、みんなに色々聞かれるが適当に流している。やがて私以外の全員が眠った。昔から初めての場所、なかなか寝れないんだよね。そう思いながら、私はこっそり上着を着て外に出る。
空を見上げると星が一面に広がっていた。そして遠くの方で街並みの明かりが微かに揺れて幻想的だ。このあたりは街から離れていて静かな夜に鈴虫の声も聞こえてくる。風がひんやりと身体に触れて余計に目が冴えてきてしまう。
「龍崎先生と一緒にいられたらいいのに」と私は呟く。
すると背後からあの渋い声が聞こえた。
「春川さん?」
「龍崎先生……!」
まさか本当に会えるなんて。先生は夜の見回りらしい。男子部屋の場所が遠いので夜には会えないと思ってた。どうしよう……心臓の音が聞こえちゃいそう……
「ここで何しているんだ?」
「ね……眠れなくて……私は……初めての場所が……苦手で……」
しどろもどろになりながら話す。恥ずかしいな……小さな子どもみたい。だけど先生は笑って話す。
「俺も似たようなものかもな」
「え……」
星空の下、夜風で私の髪がなびく。その髪に先生の手が優しく触れた。肌寒いはずなのに……先生を見ているだけで心の底から温かいものが湧き出てきそう。しばらく時が止まったように見つめ合う私たち。先生の手が髪から私の頬に移動する。
やがて先生の顔が近づいてきて唇が重なった。少し冷たい口元だけど徐々に体温を感じて、胸の奥が熱くなる。
「寝れないなら……俺の部屋に来る?」
「はい……」
そのまま先生の手に引かれて男子部屋の棟へ向かい、廊下の一番奥の部屋に入った。先生の手が大きくてしっかり握られているので緊張する。
布団の上に一緒に座ると先生がまた私の髪を撫でる。それだけでこんなにドキドキしちゃうなんて。見つめ合いながら顔を近づけられる。目を閉じると先ほどよりも唇の冷たさがましになっていた。しばらくしてから唇を離す。先生の顔がこんなに近いなんて……
「ねぇ先生の目、見せて?」と言いながら私はゆっくり眼鏡を外す。直接見る貴方の瞳は美しくてまつ毛も長い。まるでその瞳に吸い込まれるように、私から先生にキスをした。
「んんっ……」
先生が優しくチュッ……チュッと私の唇にキスをする。キスってこんなに情熱的なものだったっけ……と思いながら甘い時間が過ぎてゆく。先生の手が私の背中を包み込み温かくて心地よくて、うまく言葉で表せないけど何というか……ずっとこうしていたい。
私は先生の胸元に耳を当てて彼の鼓動を感じる。先生もドキドキしているみたい。そりゃそうだよね、生徒と先生なんだもの。修学旅行の夜にこんな事をしていたら道徳的には良くないだろう。
だけどそれが余計に私たちを近づける。いけないことをしているからこそ、お互い興奮して止まらなくなってしまう。
「さゆみちゃん」
ふいに名前、プラスちゃん付けで呼ばれて頬が赤くなっていうのを感じた。
「せんせ……」
お互い「好き」とも何とも言わずにただ抱き合っているだけであるが、私にとっては同年代の男子と普通のお付き合いをするよりもずっとときめきを感じられる。
「俺のこと……1年の時からずっと見てただろう?」
先生が私の目を見てニヤっと笑う。
「え! 分かってたの……?」
「さゆみちゃんみたいな可愛いくて素直な子……忘れられるわけがないだろう?」
先生が私のこと可愛いくて素直だって……嬉しすぎる。クラスの人数も多いし他のクラスの生徒にも指導しているので、自分のことをここまで認識されているとは思っていなかった。頑張って喋りには行っていたけれど。
「わ、私も先生のこと……素敵だなって思ってて」
恥ずかしくてうまく言えない私の姿を微笑ましそうに見つめる先生。
「おいで」と言われ、私を抱いて先生はさらにキスを繰り返す。先生の筋肉質な身体が自分の肌に染み渡り、熱を帯びる。厚い胸板に顔を寄せて先生の香りをずっと堪能してたい。
「ねぇ……名前で呼んでほしいな……君の可愛い声で」
「タ……タケル先生……」
私がそう呼ぶと先生は照れながら囁く。
「……すごくドキドキした。さゆみちゃんにそう呼ばれるの」
先生もよっぽど嬉しかったのか、私をぎゅっと抱き寄せて頭をポンポンとしてくれる。先生に触れられる全ての場所がピクン、ピクンと反応してしまう。
そのまま2人で愛を確かめ合うように触れ合っていた時であった。私は身体中に電撃が走ったような気がしたのだ。先生を一目見た時の電撃よりももっと身体をゾクゾクさせるような、快楽で気持ち良くなれるような電撃だ。一気に力が抜けてしまい、先生と一緒の布団に入る。静かな夜の中お互いの吐息だけが聞こえ、時々口付けを交わす。
「さゆみちゃん、眠れそうかな」
先生の筋肉に抱かれて幸せを感じながら、私は眠りに落ちた。途中で頬にチュッとされていたようだ。
翌朝、まだ誰も起きていない時に私は先生に女子部屋の棟まで送ってもらった。
※※※
それからというもの、私は恥ずかしくてタケル先生と目を合わせられなかった。授業が終わっても特に質問しに行くことがなくなったため、絵里に不思議がられた。
「もう……いいの……」と言って私は勉強に何とか集中しようとした。先生も特に私に話しかけるようなことはなかった。もう……私のことはいいのかな。
お互いどうすることも出来ないまま、高校3年生になりタケル先生は担任ではなくなった。受験勉強でそれどころでもなく忙しい日々が続く。それでも私は時々ベッドの上で先生を思い浮かべながら眠りにつく。
こういうのをすれ違いというのだろうか。そもそも先生と生徒でこんな関係は許されないことだろうけど。
タケル先生を想いつつも、私は目の前の勉強に集中していた。季節は過ぎ行き、受験シーズンとなる。
そして私は無事に大学に合格できた。タケル先生のことを思い出すこともあったが、まずは大学のことを考えてどうにか頑張った。先生……私、頑張ったよ……見ててくれた……?
※※※
今日は卒業式だ。ちらっと教員の席を見るとスーツをビシッと決めたタケル先生がいる。あの服の下の厚い胸板を想像してドキドキしてくる。ふと目が合ったが思わず逸らしてしまった。
高校2年生の修学旅行のあの夜から今日まで……先生は私のこと、どう思っていたのだろうか。まだ先生の心の中に私はいるのでしょうか……?
式典が終わりクラスのみんなで写真を撮ったり、泣きながら抱き合ったりお喋りをしながら下校の時間となった。タケル先生を探していると、中庭で先生方が同級生たちと写真を撮っていた。近くに行き、みんなが帰っていくのを確認してから私はタケル先生に声をかけた。
「タケル先生……」
「さゆみちゃん……」
「あ……一緒に写真撮ってもらっていいですか」
「もちろん」
写真を撮ってから私は先生の胸に飛び込んだ。
「タケル先生……私、頑張ったよ……先生に会いたかったけど受験勉強を頑張ったの」
「うん……よく頑張ったな。あれから何も話せなくてごめん」
「いいの……だって先生と生徒だもん。でも今日で私は卒業なの。先生……私はどうしたらいい……?」
お願い……先生……
「俺もどうしたらいいのか迷ってたけど……」
そう言って先生が私の耳元で囁く。
「今から……うちに来る?」
私はコクリと頷いた。
こっそりと校門を出て先生と一緒にお家へ向かう。あるマンションの一室。ここが先生の部屋……男性の1人暮らしっぽい少し散らかった部屋だけど、先生の匂いがして胸の奥でトクントクンと音がなる。
「さゆみちゃん……やっと2人きりだね」
タケル先生がガバッと私を抱き締めた。ああ……この筋肉質の腕にずっと抱かれたかった……
「タケル先生……私……好きです。先生のこと……ずっと好きでした」
「俺も……さゆみちゃんのこと……ずっと好きだった。陰ながら受験、応援していたんだ」
「嬉しい……」
私達は唇を重ねた。そしてあの夜から今日までの時間を埋めるように愛し合った。
タケル先生と肌を重ねながら、私達は幸せを噛み締めていた。全身がほてって貴方をこんなにも強く感じる。タケル先生に深いキスをされると私は顔を赤らめて、そのまま彼の胸に顔を埋めた。2人だけの温かい時間がゆっくりと過ぎてゆくのが愛おしい。
これからは私達……ずっと一緒だね……
終わり