【Prologue】
テムズ川の岸辺に男が倒れていた。
胸の異様な傷から青白い光が立ち昇り、異能の痕跡を残して霧に滲んで揺らめく。まるで生き物のように蠢く光は、どんな刃物とも異なる痕を刻んでいた。
十九世紀末。
ロンドンの夜は重い静寂で全てを覆い隠す。川面を渡る風が、微かに鉄と焦げた匂いを運んだ。
この街では一般人の中に溶け込んだ異能力者が力を振るうが、監査局の影が彼らを縛り、その冷酷な追跡は能力者を霧の奥へと追い詰めることもあるという。
遠く、街灯の光が霧に溶けるホルボーンの裏通り。石造りの古い住居の一階で、真鍮のプレートが鈍く光る。
「
室内の暖炉の火が揺れ、革張りの椅子に座る男の影を壁に投げかけた。三十四歳の探偵、ジェラルド・ウィットモアは銀の懐中時計を手に呟く。
「霧が騒いでいるな」
窓の外、霧が渦を巻き、まるで街の秘密を隠す帳のように揺れた。かつての約束を呼び覚ますかのように。
霧がその輝きを飲み込み、街の秘密を隠した。
激しいノック音が静寂を破る。
「開いている。どうぞ」
ドアが勢いよく開き、血と泥に濡れた若い男がよろめき入って来た。
「ウィットモアさん、助けてください! 親友が殺されたんです!」
この街の霧はすべてを覆い隠す。
常識も、法も、そして「異能」さえも。
──霧の中から、一つの事件が始まる。