快気祝いと称してかなちゃんに呼び出されたのはキッカイ町の海側である
なんでも予約の取れない店として一部では有名な店らしく、かなちゃんがここを予約したのも半年前だったとか。
……ってあれ? なんか辻褄が合わない気がするけど??
まあ、どの料理もすごく美味しかったからいいか。
そして、そのまま二軒目、三軒目とはしごをしていき、気が付いた時にはかなちゃんはすっかり出来上がっていた。
「こーづかちゃん、本っ当に無茶はしちゃダメだよ?」
酔っ払ったかなちゃんが何度目かの同じセリフを口にして私を抱きしめる。
本当の本当に私のケガのことを心配してくれていたみたいだ。
「わかってますって! さすがにこれだけ痛い目に遭ったらもうやりませんよ~」
私も何度目かの同じ返事をして、残っていたしめ鯖と日本酒を一気に流し込んだ。
頭がポーっとふわーっとして気持ちいい。
けど今何時だろう?
何気なくスマホの画面を覗いて、しまったと思った。
「かなちゃん! 大変です! 日付変わってる!!」
ぼんやりしているかなちゃんにスマホを見せるけれど、かなちゃんもぽやっとしていてふんふんとご機嫌な相槌を打つだけだった。
今月はケガのせいで入院したり手術を受けたりいろいろと出費が多いから、せめて往復の交通費を浮かせるためにバス移動にしようと思ったのに……。
最終バスはもう二時間以上前に行ってしまったらしい。
「諦めてタクシーでも使いますかぁ……」
「じゃぁあたひあつかん~」
そうと決まればもう一杯。
ろれつが回らなくなっているかなちゃんの代わりに私が注文をし終えた時、お店のドアが開いた。
この時間にも新しいお客さんが来るんだなぁ、と思って入り口の方へ視線を向けると、そこに立っていたのはスーツ姿の男の人だった。
その人は私たちが座るカウンター席にまっすぐ向かってくる。
常連さんだろうか?
「
男の人は半分寝かかっているかなちゃんの肩をポンポンと叩いて起こそうとする。
「……え? 知り合い?」
私はこんな人知らないけど?
きょとんとしながら男の人を見ていると彼と目が合った。
「あ、もしかして歌那依と一緒に来てた方ですか?」
「そうですけど……」
「
「はい」
私が答えると、男の人は急に頭を下げた。
「歌那依がお世話になってます。僕は兄の
なーんだ。かなちゃんのお兄さんか!
彼氏かと思って焦っちゃった。
「妹の帰りが遅かったので探しに来たんですよ」
「そうだったんですね」
「こんなになるまで呑むなんて……。バッグにGPSを忍ばせておいて本当によかった」
叶哉さんは呆れたように声を漏らしながら、かなちゃんを席から立たせてひょいとおんぶしてしまう。
……って、GPS? 今GPSって言った???
状況がまだ飲み込めていない私の前に叶哉さんは一万円札を二枚置いた。
「食事代です。残りは帰りのタクシー代にでもしてください」
ぺこりと頭を下げて、叶哉さんはかなちゃんを背負ったまま店を出て行ってしまう。
一人取り残された私は、二人ぶんの熱燗と格闘することが運命付られてしまったのだった。
「……うへぇ、呑みすぎた……。酔い醒ましに歩くとしますかぁ」
声に出すことで自分を鼓舞したのはいいものの、歩きなれないパンプスのせいでかかと周辺が痛い。
こりゃあ完璧な靴擦れができてるなぁと内心笑いながら夜の街を闊歩する。
この辺りから自宅のある
さすがにその距離は無理があるし、せっかく叶哉さんがタクシー代をくれたのだからケチケチせずにタクシーを見つけたらすぐに乗ろう。
そう決めて歩き出すと、すぐにタクシーの屋根に付いているランプが見えた。
絶好のチャンスを逃すまいと全身を使って手を振って運転手さんにアピールする。
タクシーは歩道に寄せて止まってくれた。
が、開いたのはドアではなく窓だった。
「お客さん、相乗りでいいなら乗ってください」
私がコクリと頷くと車道側のドアが開いた。
そちらから乗れということらしい。
「どちらまで?」
「岡志奈西三丁目、キッカハイツまでお願いします」
私が答えると運転手さんは一瞬ギョッとしたように見えた。
けれどすぐに前に向き直ってしまったので真偽はわからない。
相乗り相手はどんな人だろうか、と隣に視線を向けた。
――誰もいない。
これから乗ってくるのだろうか?
不思議に思って隣をぼんやり眺めていると、とあることに気がついた。
隣のシートがへこんでいるのだ。
ちょうど、人が一人座っているような形で。
私は見てはいけないものを見たような気持ちになってそっと目線を逸らした。
運転手さんは無口な人らしく、こちらに話しかけてくる様子がない。
私は私で、疲れた頭では見えない隣の乗客にどう対応するべきか判断ができずにいた。
気まずい雰囲気の車内に、オールナイトニッポンの音声が虚しく響いている。
喋っているのは名前を聞いたことがある芸人さんのようだった。
声の質感や言い回しからどんな人だっただろうかと記憶を探るけれど、顔は思い出せない。
目を瞑って眠った振りをしながら聞くともなしにラジオを聞いていた。
タクシーは夜の街を滑るように駆け抜け、あっという間に岡志奈に入った。
「お待たせしました。着きましたよ」
車が緩やかにブレーキを掛けて止まる。
ちょっと古びた薄黄色の二階建てのアパート。
二階の真ん中にある木井さんの部屋にはまだ明かりがついていた。
「二五三〇円だけど、相乗りで我慢してもらったんで二五〇〇円にしておきますよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
運転手さんの厚意に甘えて財布の中を探る。
百円玉が一、二、三、四……五枚。
暗い車内でどうにか見つけ出して料金トレーに載せようとして、そこにすでに一五〇〇円が置いてあることに気が付いた。
「一〇〇〇円でいいそうですよ」
運転手さんの言葉で、同乗者もここで降りるのだと知る。
行き先を告げた時に運転手さんが驚いた顔をしたのはこのせいだったんだろう。
私は代金を支払ってタクシーを降りた。
夜道に響くふたつの靴音。
影はひとつ。
見えない誰かは私の数歩前を歩いている。
コツコツコツとアパートの階段を上って、私は二階へ。足音は三階へ。
私が自分の部屋へ入ってすぐ、真上の部屋のドアが開く音がした。
「あー」
真上の人、音はするけど姿を見ないと思ったら
納得納得。
ふんふんと頷きながらカバンの中に手を入れると、手にコツンと何かが当たる。
メガネの存在をすっかり忘れていた。
「もしかして、メガネをかけてたら視えたのかなぁ」
まあ、またいつか会えるでしょう。
まだ見ぬ上階の住人に思いを馳せながら私は靴擦れの手当てをすることにした。