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十二話 ルリエと一つのベッドで

 朝八時三十分。

 俺は二度寝しようとベッドの中にいた。


「こうやって、お兄ちゃんと寝るのは初めてだね」


「そ、そうだな」


 ……そう、ルリエと一緒に。


 シングルベッドだから狭いと思っていたが、ルリエが小さいから案外、二人でも大丈夫そうだ。


 って、そうじゃない。俺は互いの息が当たるくらいの近い距離にドキドキしていた。


 だって、ルリエからは甘い匂いがするし。

 おかしい、俺と同じシャンプーを使っているはずなのに。

 これが女の子特有の匂いってやつなのか?


 近くで見ると、ルリエって、まつ毛も長いんだな。二重でクリクリしてるし、肌も白くて、まるで人形のように綺麗だ。


 俺がルリエのことをじっくりと見ていると、バチッと目が合う。


 そんなルビー色の瞳から、俺は目を逸らすことが出来ずにいた。


 いつもなら視線を合わせても何も感じないはずなのに。


 いや、少しは思ったりする。けど、いちいち可愛いなどをルリエに言っていたらキリがないとわかっているから言わない。


 毎回のように同じ言葉を使えば、それは価値のないものへと変わってしまう。

 だから、仮に心から思っていたとしても気軽に言わないほうがいい。


 それに、俺はイケメンでも白馬の王子でもないんだし、こっ恥ずかしいセリフなんか吐けるわけがない。


 キザだと思われるのは嫌だし、なにより、そういうのはイケメンだからこそ許されるし、トキめくってもんだろ。


 俺に言われても、ルリエだって嬉しいわけがない。


「ルリエのことはいないものだと思って、お兄ちゃんはゆっくり休んでいいよ」


「……」


 それは無理があるぞ、ルリエ。


 隣にいたら嫌でも視界に入る。別にルリエと寝ることが不快というわけじゃない。


 むしろ、こんな一大イベントは俺の人生で一生に一度体験できるのも奇跡くらいの確率で。


 俺自身こんなことはないと、とうに諦めていたくらいだから。そんな俺に、夢にまで見た展開が今到来とあらば、眠れるものも眠れない。


 普段なら子供に欲情なんか……と思っているところだが、今のルリエは妙に大人っぽく見えるのは気のせいだろうか。


 きっと、俺によるフィルターがかかってるに違いないと自身を言い聞かせていた。

 そう思わないと、俺は間違いなくロリコンになってしまうから。


 もしかしたら、もう既に手遅れの状態まできているかもしれないが。


「私は龍幻がイヤじゃないなら、毎日だってこうして寝たい」


「それは駄目だ」


「どうして? やっぱりイヤ?」


「そういうわけじゃない」


 やはりルリエはわかってない。

 毎日ルリエと一緒に寝るなんて、どうにかならないほうがおかしい。


 男女が同じ屋根の下暮らしてて何も起こらない今だって不思議だというのに。


 ルリエが仮になんとも思っていなくとも、こっちは平常心でいられるほど俺は人間できていない。


「ルリエ。先に教えておくとだな? 男女がこんなことをするのは変なんだぞ。付き合ってる同士がしたらおかしくはないかもしれない。けど、それは何かしら起こっていて、互いに同意の上でっていうか、その……」


 異性と手を繋ぐ以上やったことがない俺がルリエの上に立とうとするのは、上から目線にしても駄目だ。


 本当に何様のつもりなんだ俺は。それもこれもルリエが男女のあれこれに疎いせいだ。


「さっき龍幻は私と寝ることを同意してくれたよ」


「それはそうだが、そうじゃなくてだな……」


「知ってる。そのくらい知ってる」


「え、ルリエ、今なんて?」


「流幻は私を子供だと思い込みすぎ。私だって、いつまでも子供じゃないよ」


 まさかルリエにそれを言われる日がやってくるなんてな。正直、驚きすぎて言葉がでない。


 子供だと思っていたのは事実だ。けれど、それを思っていたのは俺だけ。


 ルリエは一日でも早く、一秒でも早く大人になろうと努力をしていたんだ。


 それなのに俺はいっちょ前に怒ったりして、本当に馬鹿だ。


「私は見習いでもサキュバスなんだよ。それに私の主は龍幻だもん。ここは主じゃなくて獲物って言ったほうがいいかな?

私は私なりに頑張ってるんだよ。それとも、お兄ちゃんは私が子供のままのほうがいい?」


「……そんなことあるわけないだろ。ごめんな、さっきは変なこといったりして」


 ルリエがこんなにも頑張っていたなんて知らなかった。


 俺がいない間にルリエは勉強してたんだな。それは俺が思ってる以上に大変で困ることもあっただろう。


 今はルリエを叱るんじゃない、褒めるべきなんだ。それが主としての俺の役目。


「ルリエ、俺のためにありがとな」


「どういたしまして。でも、抱き枕の代わりとして私を使っていいって言ったのはホントだよ。今はサキュバスの課題よりも純粋にお兄ちゃんが心配なんだもん」


「っ……」


 俺の親もこんな感じで俺が一人暮らしをするときに送り出したんだろうか。


 不安でいつも心配でたまらない、そんな気持ちで。今の俺と同じなんだろうな。


 けれど、子供は親が思っているよりも早く成長するし両親が知らないところでは、意外と大人なんだということを俺はルリエを通して知った。


「龍幻どうして泣いてるの? どこか痛い?」


「いや……大丈夫だ。ルリエ、俺は今から寝るから側にいてくれないか?」


「うん、いいよ。私、龍幻が寝るまで頭を撫でてあげるね」


 頭を優しく撫でられる。すごく安心する。


 なんだろう、急激に眠気に襲われる。

 俺、疲れてたのか。


 これはサキュバスとしての力なのか、それともルリエにより癒やしの力なのか。


 そのどちらかが正解なのかは言うまでもないだろう。


☆ ☆ ☆


「俺、いつの間に寝ていたんだ。って、もう11時!?」


 ルリエが隣にいるから寝れないとか言ってた奴はどこの誰だ。


 普段ならお腹空いたとか言ってきて俺を起こしに来るルリエが声をかけなかったから、思ったよりも寝てしまっていた。


 久しぶりにゆっくり休めた気がする。


 ……あれ? せっかく女の子と寝たのに何もせず、普通に寝てしまった。

 俺は自らチャンスを棒に振ったんじゃないだろうか。


 それとも覚えていないだけで、実はルリエに手を出している……なんて、俺に限ってそんなことをするとは思えないが念のため、あとでルリエに聞いてみよう。


 ……そういえば、ルリエがいない。

 抱き枕にしていいと言っていたから、てっきりあのまま寝たとばかり。


 ごうんごうん。

 ……これって洗濯機の音か?


 今日の分はまだ回していないはず。隣にしては音がうるさいし、なんだか近くで聞こえる。


 ガタガタガタガタ。


 次の瞬間、明らかにヤバい音がした。


 ま、まさか……。


 俺は、ベッドからバッ! と起き上がり洗面所に向かう。


「ルリエ、大丈夫か!?」


「龍幻、ど、どうしよう。洗剤が……泡が止まらないのっ」


 ルリエは半泣きで、その場にペタりと座り込んでいた。どうすればいいかわからないとパニック状態だった。


「泡? って……今すぐ止めろ!」


 俺はストップのスイッチを押した。


 ピー。


「ルリエ、これで大丈夫だ」


「これで洗濯機、攻撃してこない?」


「してこない。だから安心しろ、なっ?」


「うん」


 と、言ったものの、床は洗剤まみれで散らかっている。これは片付けが大変そうだ。


「なぁ、ルリエ。なんで洗濯機を回したんだ?」


「龍幻の役に少しでも役に立ちたくて……」


「洗濯はどのくらい入れたんだ?」


「……そこにあるやつをいっぱい」


「いっぱいって全部か!?」


「そう。そしたら綺麗になると思って」


 さっきは色気があるとか成長したんだなって関心して褒めたばかりだってのに。


 これはデジャブだ。今のは以前のダークマターを彷彿とさせた。


 最近の俺が疲れてるのを察してか、ルリエは家事を手伝おうとしたに違いない。けれど、やはりルリエには家事スキルはないようだ。


 いくら人間界について勉強したとはいえ、たった数日で劇的に良くなるはずもない。


 これは、もはや才能といっていいレベルなのかもしれない。ちなみに、この場合の才能は決して褒めてるとか、いい意味で使っていない。


 洗剤を大量に入れたら綺麗になると考えが浮かぶ時点で根本的に間違ってるんだよな。

 一体、どこでこんなことを覚えてきたんだ?


 もしや、ルリエの家庭は実は金持ちだったりするのか? 家にはメイドが何人もいて、家事を一切したことがないとか。


 それなら多少、納得いくところもあるが、それにしたってこれは酷すぎる。


「ごめんなさい、龍幻。私、逆に龍幻に負担をかけてるよね」


「いや、そんなことは……」


 ない。と、はっきり言えなかった。


 何をやるにしても不器用……ここまでいくと不器用を超えてる。それでも、ルリエは俺のために何かしようと頑張っている。

 それは凄く伝わるんだけどな。


「私、龍幻のためなら何でもしたいの。本当は料理も掃除とかも……でも、頭では理解してても、いざ行動すると思うように出来なくて」


「そんなに落ち込む必要はない。俺だって出来ないことの一つや二つくらいあるぞ」


「本当に? 龍幻にもあるの?」


「あぁ、ある。……それに俺だけじゃない。誰しも出来ないことはあるし、それこそ今のルリエと同じ考えを持つ奴はたくさんいる。

だからこそ自分が出来ることをして、互いのことを支え合うんだ。パートナーとはそういうものだぞ、ルリエ」


 今の俺は、ちゃんと正論を言えているだろうか。


 ルリエを正しく教育出来ているか、そんな衝動に駆られる。しかし、恋人がいたことない俺が何故こんなにも熱く語れるのか不思議だ。


 ルリエと数日暮らしたことによって、俺も少しは成長したってことか? そう思うことにするか。


「だから、ここは俺に任せてくれ。床に散らばった洗剤で滑ると危険だから、ルリエはリビングで待っててくれないか?」


「うん、そうする!」


 どうやら、いつものルリエに戻ったようだ。


 落ち込んでいるルリエも子猫みたいで可愛いとは思うが、やはりルリエには笑った顔のほうがいい。


 ルリエはリビングのほうに行き、俺は片付けを始めた。


「あれ?」


 俺は、ふと洗面台の鏡を見た。


 ……なんでヒビが入ってるんだ?


 朝起きてから、顔を洗ってたときは割れてなかったんだが。


 縁起が悪いとか聞くし、今日にでも大家に連絡してみるか。それから黙々と床を掃除していた。


 鏡にヒビが入っていた原因がまさか✕✕にあるなんて、このときの俺は知る由もない。

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