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第29話 エピローグへと

 決意に気付いた水月は、茂吉人形救出後、忠刻を土蔵に閉じ込めた。

 茂吉人形が忠刻を解放しなければ、結末はどうなっていただろう。


「茂吉人形はどういう気持ちで親父を土蔵から出したのかな」


「子であるわたしにも、分かりかねますが、説得できないと痛感して、愛娘に思いを遂げさせたくなったのでしょう。あるいは茂吉師の意思が、茂吉師人形を動かしたのか……」


「まあ、どうでもいいか」

 遺書をバックパックのポケットに押し込んだ。




 気付くと、視線の先に、作務衣を着た茂吉人形の姿が見えた。

 古びた作業服を着た老人と一緒に、壁にまとわり付いている蔓を、セッセと引きはがす作業をしている。

 老人の背中には見覚えがあった。


 こちらを向いて頭を下げたのは、古市人形だった。

 睨みつけると、ニッと黄色い歯を見せた。



「そろそろ日が暮れます。屋敷の中に入りませんか。一部屋だけ、使えるようにしてありますから」

 日向の言葉に従って屋敷に向かった。



 案内されたのは、暖炉があるあの応接室だった。

 二人してソファに腰を掛けた。


 バックパックから飲料水を取り出し、日向にも分けてやろうと思って手を止めた。

 自分だけ乾いた喉を潤す。 


「オヤジは、オフクロの、さらなる顔を知っていったいどう思っただろうな」


「残念ながら……今のわたしには分かりません」

 日向人形は寂し気に笑みを浮かべた。


「それはともかく」

 続けて水をゴクゴク飲み干した。

「オヤジは、キレイな思い出として止まりたいから、生人形にしてくれるなと、オフクロ宛ての遺書に書いたのかな」


「自分とは微妙に違う生人形が、水月先生とセックスするなんて、我慢ならなかったのでしょう」

 日向人形は下卑た笑みを浮かべた。


 先月塵となった日向人形とは、やはり違っている。

 とはいえ、生身の人間も、年月とともに変化し、同じ所に止まることはない。

 生人形の変節を咎めることはできない。


「水月先生からも言明されています。生まれ変わった日向潤は、土御門一博さんをお守りします」


「千姫人形は消滅したんだ。オレを何から守るんだ」


「一博さんはこの先もいろいろ、やらかすと思いますよ。だからわたしのような有能な秘書的人物が必要です。あの忠刻さんですら、わたしを手放せなかったのですから」

 眉だけクイッと上げてみせた。



 関係を一から築き直せるかな。

 そんな甘ったれた思いがフッと浮かんだときだった。


「!」

 暖炉のマントルピースの上に置かれた螺鈿の箱に気付いた。

 指の先がビクリと動く。


 健太、シュン、花房の顔が浮かんでは消えた。


 日向人形が暖炉に近付いて、大事そうに箱を手にした。


「この中のですが……」


 息が止まる。


「一博さん、シュンさんや健太さんの形見、欲しかったですか」


 背骨が凍った。

 やはり、目の前にいる日向は生人形なのだ。

 人とは違う。


「要るわけないだろ」

 冷たい汗を生え際に感じながら、吐き出すように答えた。


 日向人形は、形の良い指で蓋を開いた。


「良かった。水月先生の命令で、もう処分しちゃったんです」

 空になった箱の中を示しながら、ニヤッと笑った。


「そりゃ、そうだ。一連の事件は闇に葬られたから、何かの拍子で喉仏のコレクションが見つかっちゃまずいからな」


「海に葬りました」

 日向の言葉に思い浮かべたのは、暗い波間ではなく、明るい色をした紺碧の海だった。




 開け放たれているフランス窓から、二人してバルコニーに出た。

 海から上がってくる風が、オレの長めの前髪をなぶる。

 日向人形の少し癖のある髪は、ハードにセットされているように、一筋も動いていなかった。


「ところで、第六係はまだ無くなっていないのでしょ」

 日向人形は答を知りながら訊ねてきた。


「ああ」

 日向が戻れば、警視庁刑事部捜査第一課特命捜査対策室第六係は、警視総監の遺志を受け継ぐという名目で存続できる。


「とりあえず、明日、東京に戻るか」

 オレの言葉に日向が目でうなずいた。




 夜が来る。

 リニューアルされた日向人形と何を話して、どう時間を潰せばいいのか。

 今夜は眠れそうもなかった。










 翌朝、迎えに来た遊漁船に乗船した。

 古市人形が、自分の船で送ると言い張ったが断った。


 島はこのまま封印されたように、時の浸食に任せていくのか。


 茂吉人形が、壊れた島民の生人形を一体ずつ作り直し、食べもしない農作物を大事に育て、生活を営んでいるフリを続けるのか。


 オフクロは、愛した人の終焉の地を再び訪れることはあるのか。



 茂吉人形と古市人形が、いかにも名残惜しそうなフリで見送ってくれる。

 桟橋の物陰から、見えなくなるまで手を振り続ける。



 刺すような光の中で涼しい顔をしている日向の横顔に目を向けた。


 汗をかくフリくらいしろよ。

 船長が気付いたら変に思うだろ。

 有能な管理官のくせに、案外、抜けたところがあると、口元に笑みがわいた。



「まあいいか」

 喉仏の辺りから、わけもなく笑いがこみ上げてきた。

 弾みが付くと、引き笑いが止まらなくなった。 


 思い切り口を開けながら、ヒッヒッと笑った。



「どうしたんです? 大口を開けて」

 日向人形が首をかしげる。


 漂い出す定家葛の花の香りが、ひときわ強まった。




 定家葛島の島影が遠ざかっていく。

 豆粒ほどだった茂吉人形と古市人形の姿は完全に見えなくなった。 




                            了

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