決意に気付いた水月は、茂吉人形救出後、忠刻を土蔵に閉じ込めた。
茂吉人形が忠刻を解放しなければ、結末はどうなっていただろう。
「茂吉人形はどういう気持ちで親父を土蔵から出したのかな」
「子であるわたしにも、分かりかねますが、説得できないと痛感して、愛娘に思いを遂げさせたくなったのでしょう。あるいは茂吉師の意思が、茂吉師人形を動かしたのか……」
「まあ、どうでもいいか」
遺書をバックパックのポケットに押し込んだ。
気付くと、視線の先に、作務衣を着た茂吉人形の姿が見えた。
古びた作業服を着た老人と一緒に、壁にまとわり付いている蔓を、セッセと引きはがす作業をしている。
老人の背中には見覚えがあった。
こちらを向いて頭を下げたのは、古市人形だった。
睨みつけると、ニッと黄色い歯を見せた。
「そろそろ日が暮れます。屋敷の中に入りませんか。一部屋だけ、使えるようにしてありますから」
日向の言葉に従って屋敷に向かった。
案内されたのは、暖炉があるあの応接室だった。
二人してソファに腰を掛けた。
バックパックから飲料水を取り出し、日向にも分けてやろうと思って手を止めた。
自分だけ乾いた喉を潤す。
「オヤジは、オフクロの、さらなる顔を知っていったいどう思っただろうな」
「残念ながら……今のわたしには分かりません」
日向人形は寂し気に笑みを浮かべた。
「それはともかく」
続けて水をゴクゴク飲み干した。
「オヤジは、キレイな思い出として止まりたいから、生人形にしてくれるなと、オフクロ宛ての遺書に書いたのかな」
「自分とは微妙に違う生人形が、水月先生とセックスするなんて、我慢ならなかったのでしょう」
日向人形は下卑た笑みを浮かべた。
先月塵となった日向人形とは、やはり違っている。
とはいえ、生身の人間も、年月とともに変化し、同じ所に止まることはない。
生人形の変節を咎めることはできない。
「水月先生からも言明されています。生まれ変わった日向潤は、土御門一博さんをお守りします」
「千姫人形は消滅したんだ。オレを何から守るんだ」
「一博さんはこの先もいろいろ、やらかすと思いますよ。だからわたしのような有能な秘書的人物が必要です。あの忠刻さんですら、わたしを手放せなかったのですから」
関係を一から築き直せるかな。
そんな甘ったれた思いがフッと浮かんだときだった。
「!」
暖炉のマントルピースの上に置かれた螺鈿の箱に気付いた。
指の先がビクリと動く。
健太、シュン、花房の顔が浮かんでは消えた。
日向人形が暖炉に近付いて、大事そうに箱を手にした。
「この中の
息が止まる。
「一博さん、シュンさんや健太さんの形見、欲しかったですか」
背骨が凍った。
やはり、目の前にいる日向は生人形なのだ。
人とは違う。
「要るわけないだろ」
冷たい汗を生え際に感じながら、吐き出すように答えた。
日向人形は、形の良い指で蓋を開いた。
「良かった。水月先生の命令で、もう処分しちゃったんです」
空になった箱の中を示しながら、ニヤッと笑った。
「そりゃ、そうだ。一連の事件は闇に葬られたから、何かの拍子で喉仏のコレクションが見つかっちゃまずいからな」
「海に葬りました」
日向の言葉に思い浮かべたのは、暗い波間ではなく、明るい色をした紺碧の海だった。
開け放たれているフランス窓から、二人してバルコニーに出た。
海から上がってくる風が、オレの長めの前髪をなぶる。
日向人形の少し癖のある髪は、ハードにセットされているように、一筋も動いていなかった。
「ところで、第六係はまだ無くなっていないのでしょ」
日向人形は答を知りながら訊ねてきた。
「ああ」
日向が戻れば、警視庁刑事部捜査第一課特命捜査対策室第六係は、警視総監の遺志を受け継ぐという名目で存続できる。
「とりあえず、明日、東京に戻るか」
オレの言葉に日向が目でうなずいた。
夜が来る。
リニューアルされた日向人形と何を話して、どう時間を潰せばいいのか。
今夜は眠れそうもなかった。
翌朝、迎えに来た遊漁船に乗船した。
古市人形が、自分の船で送ると言い張ったが断った。
島はこのまま封印されたように、時の浸食に任せていくのか。
茂吉人形が、壊れた島民の生人形を一体ずつ作り直し、食べもしない農作物を大事に育て、生活を営んでいるフリを続けるのか。
オフクロは、愛した人の終焉の地を再び訪れることはあるのか。
茂吉人形と古市人形が、いかにも名残惜しそうなフリで見送ってくれる。
桟橋の物陰から、見えなくなるまで手を振り続ける。
刺すような光の中で涼しい顔をしている日向の横顔に目を向けた。
汗をかくフリくらいしろよ。
船長が気付いたら変に思うだろ。
有能な管理官のくせに、案外、抜けたところがあると、口元に笑みがわいた。
「まあいいか」
喉仏の辺りから、わけもなく笑いがこみ上げてきた。
弾みが付くと、引き笑いが止まらなくなった。
思い切り口を開けながら、ヒッヒッと笑った。
「どうしたんです? 大口を開けて」
日向人形が首をかしげる。
漂い出す定家葛の花の香りが、ひときわ強まった。
定家葛島の島影が遠ざかっていく。
豆粒ほどだった茂吉人形と古市人形の姿は完全に見えなくなった。
了