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第40話 まよい

「はぁ〜…」


 湯船に口元まで浸かり深く溜め息を吐くつばめ。風呂の熱気で心のモヤモヤを消し飛ばそうと試みるが、思考の谷へと深く深く落ちていくだけでまるで光明が見いだせなかった。



「そんな…」


 不二子による『不妊』発言にショックを受けたつばめは、その場で涙がとめど無く流れ出し、泣き崩れてしまった。すかさず久子がつばめのフォローに入る。


「ち、ちょっと不二子、アンタ言い方ってもんがあるでしょ?!」


 睦美がつばめを気遣い不二子を責めるが、睦美自身十数年以上も知らずにいた衝撃の事実に驚きを隠せない。


 不二子としても早いうちに警告をしたかった案件ではあったのだが、睦美との関係悪化に伴い接触機会そのものが激減していた為に、今まで言うに言えずにいたのだった。


「…そうね。ごめんなさい芹沢さん、貴女は女の子らしく幸せな家庭を築きたいのね。決して悲しませようと思って言った訳じゃないのよ?」


 不二子が跪きつばめの肩に手を置き、諭すように言葉を繋げる。


「私が言ったのはあくまでも可能性の話。まぁ確率は高いと思うけど…」


 涙に濡れた顔で不二子を見上げるつばめ。その目には『助けて』というシグナルと『蜘蛛の糸にでも縋りたい』気持ちが強く込められていた。


「まず安心してほしいのは『子供が作れなくなる』のは今すぐじゃなくて『当分先』だと言う事。目安としては、変態を解いても変態後の特徴が何かしら表に残ってくるくらいからだと思うわ」


 つばめは自分の髪の毛を確認する。髪は黒い、これかピンク色から戻らなくなったら危険信号だと言う事なのだろう。


「まぁ、もし仮に『そう』なっても完全に絶望という訳でも無いわ。例えば魔法王国出身の男性とならば、何の問題もなく妊娠、出産は出来るはずよ。まぁ現状該当者がアンドレ先生しかいないのが問題と言えば問題かも知れないけど…」


『アンドレ先生かぁ、無いわぁ…』


 つい先程まで泣いていたつばめだが、不二子の励ましに少しだけ元気を取り戻したのか、素直でシビアな感想を抱いた。


「ふ、不二子ちゃんもつばめちゃんもアンドレ先生だけはダメだよ! あ… えっと、あの人はプレイボーイで女の人にだらしなくて…」


「アンタもよヒザ子。アンドレはやめときなさいって前から言ってるでしょ?」


「でもでも睦美さま、アンドレ先生は優しい所もたくさんあるんですよぉ?」


 睦美との久子の漫才に場が和む。この場にアンドレが居たらここまでの空気にはならなかっただろう。


「…抜け道はもう1つあるわ。先輩や久ちゃんがやっている様に魔法で『人間に変態』するの。そうする事で普通の人間として生活できるわ… ただ知ってると思うけど、魔法を使う為には『魔法少女』で居続ける必要があるのよ、先輩や久ちゃんがやっている様に…」


 それはつまり『留年し続けろ』と言う意味に他ならない。さすがに『それ』を選択するのは、社会的にも精神的にもダメージが大きくて、色々な意味で許されないだろう。


 睦美と久子も予想以上の事態の深刻さに声を出せないでいた。

 睦美自身は亡国の王女である。王族として国の再興を果たすまでは色恋沙汰になど構っていられない。

 久子自身は睦美の侍女であり、睦美に心酔しその一生を睦美に捧げている。

 恋をしてはいるが、その相手のアンドレの立場も睦美の近衛騎士であり、その責務上、久子と結ばれる可能性は低いだろう。


 アンドレを含めたこの3人は「個人的に幸せになどなれない」と全て覚悟の上でマジボラ活動をしている。

 しかしつばめは魔法王国とはえんゆかりもない、数日前まで魔法とは無縁な生活をしてきた日本人の高校生だ。


 そんな彼女にどこの誰が「お前が子供を産めなくなっても構わないからマジボラ活動を続けろ」などと言えるだろう?


 部室に流れる重い沈黙。やがてつばめが顔を上げる。


「すみません、今日は帰ります。ちょっと考えてきます…」


 一同に会釈して半ば飛び出す様に部室を離れた。


 帰宅し、着替えを済ませ、何もやる気が起きないので手抜きメニューで家族分の夕飯を作る。


 妹のかごめは今自室で勉強中だ。今なら一番風呂に入れるだろう。


 と言う訳で冒頭のシーンに戻る訳だが、つばめの頭はぐるぐると混乱したまま、未だ何一つ決められずにいた。


『どうしたら良いんだろう…? 別に何かの義理や義務がある訳でも無いし、マジボラを辞めちゃえばそれで解決するよね…』


 そう、難しい話では無い。同好会を辞め、魔法など忘れて普通の生活に戻ればいい。

 睦美あたりが怒るかも知れないが、先程の表情を見る限り『お前の人生をマジボラに捧げろ』とまでは言い出す事は無いだろう。


 とても簡単な事なのだ……。


 それでもつばめは決断し切れずに呟いた。


「どうすれば良いんだろう…?」


 息を止め頭の先まで湯船に浸かっても、つばめのモヤモヤは晴れる事は無かった。

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