第十八話
•───⋅ 私は貴方に生かされました ⋅───•
耀の肌をなぞる朱炎の指先に、わずかに震えがあった。
それは微細なぶれ。指先に伝わる温度の揺れや思考の陰りのようなもの。
耀は目を細めながら朱炎を見つめたが、今度は朱炎が視線を逸らした。
耀の心に波紋が広がる。
朱炎の指に触れてみた。指先が静かに重なり、朱炎が耀の手を握り返す。
力強いが迷いを含んだ手の温度。
(ああ、そうか。朱炎様は……)
不安、なのだ。
支配者として君臨する存在であり弱さを見せない。彼はきっと、孤独を抱えている。
出会った当初はその荒々しい言葉や攻撃的な態度に恐ろしさを覚えたが、今こうして触れ合ってみると彼の心の奥に根深い孤独が垣間見える。
他人に期待せず、誰も寄せつけない者だけが持つ、微細な間合い、視線の揺れ、言葉の温度差。
(……朱炎様から逃げるとでも? いや)
逃げるなど、あるわけがない。
朱炎の掌から逃れる理由など耀にはなかった。
それどころか、自らの身体に、魂に、傷跡を刻んでほしいとさえ思っている。
消えない傷跡。朱炎のものであるという証。そんな目に見える何かがほしい。
そしてきっと朱炎もまた、欲しているはず。
彼の荒れ狂う魂の奥底には誰にも触れられない、癒されることのない空虚が沈んでいる。
では、何を与えればいいのか。
耀は答えを探し続けていた。
「朱炎様」
――求めてみようか。朱炎の欲を擽るように。
「朱炎様」
「なんだ」
「ください」
「……何をだ」
「私を縛るものを」
朱炎の目が耀を見返す。
鋭く、美しく、獣のような双眸。
その奥にわずかに濁りが差すのは疑念か、あるいは期待か。耀にとって、もはやどちらでも構わなかった。
「逃げない」や「全てを捧げる」と言った言葉では軽薄すぎて、きっと朱炎には響かないと思っている。
ならば。
誰も朱炎に出来ない事を、自分がやる――それが耀の答え。
耀は朱炎を見据え、答えを待つ。
沈黙が落ちたのち、
「……考えておく」
と、朱炎は口角を吊り上げた。
彼が発した言葉とは裏腹に、朱炎の体温がほんの少し上がるのを耀は感じ取っていた。
(やはり……)
朱炎の喉仏がわずかに上下する。
耀は何も言わなかった。だが内心では冷静に反応を読み取っている。
言葉を超えた感情の機微――それを見逃すことはない。
(朱炎様は悦んでいる。そしてそれを私に悟られたくない)
ならば――今この瞬間、主導権を握るのは自分だ。
耀は身を乗り出した。
朱炎の反応を確かめるように丁寧に距離を詰め、ためらいなく唇を奪った。
迷いのない動作で。
朱炎の睫毛がわずかに揺れ、驚きが伝わってくる。
耀は一片の羞恥も持たなかった。
この行動の理由は、ひとつ。
生かされたから。
――ならば、責任を取っていただきます。
そんな思念を込めて唇を重ねた。
ゆっくりと瞼を開くと、朱炎の赤い瞳が揺れていた。
――お供いたします。最後の刻まで。
朱炎の胸に手を置き、その鼓動の重さを受け止めながら、告げる。
「私は……貴方に、生かされました」
終