生まれ故郷を離れ、都内の小さな街に住み着きはや6年。大きな問題に直面している。
『うん、滄史ならいい話が書けると思うんだ。チャレンジしてみてもいいんじゃないか』
1Kの賃貸マンションの一室、凹型のデスクに置かれたノートパソコンの画面から男性の声が聴こえてくる。ゆらゆらと揺蕩うような、のんきな声だ。
そして滄史はその声を聞きながら、椅子の上で腕を組み、背を丸めていた。
『期待してるぞ。久我峰先生が描くラブコメ。いや、純愛物語か? 略奪愛っていうのもありだな――』
「無茶言わないでくださいよ。
背を丸めたまま、思わず口をはさむ滄史。ただでさえ恋愛ものが書けないのに、略奪愛だなんて無理に決まっている。
滄史の弱気な発言に、ボイスチャット相手である安達
『お前は私が見込んだ才能なんだ。このくらいわけないさ。それに、小説家として生きたいなら、恋愛ものくらい書けた方がいい。それはお前も分かってるんだろ?』
「……理解はしています」
パソコン画面の前で滄史はむずむずと口を動かす。
久我峰滄史は小説家だ。大きな賞をとったことはないものの、これまでシリーズもののライトノベルを刊行した経験もある。
全7巻に及ぶ本の印税と、担当編集である安達行平を経由しての単発での案件、ウェブ連載している同人小説でのわずかな収入。それらを合算してどうにかこうにか、食いつないでいる現状だ。
ただ、これまで主な収入源だったライトノベルも完結という名の打ち切りとなってしまった。今すぐ収入がゼロになるわけではないが、新しい物語を書かなければならない。
そこで編集者である安達から提案されたのが、ラブコメをメインとした長編だ。
これまで滄史が書いてきた小説は、冒険活劇が主で、時々青春ものも書いたが、いわゆる若い男女の恋愛は描いてこなかった。
理由は単純、書けないからだ。
久我峰滄史は恋愛が分からない。人を好きになって、アプローチをして、上手くいかなくてヤキモキして、心が通じ合って笑いあう――なんてことを周りの友達がしているとき、滄史は小説を書いていた。
小学校の授業中、先生に隠れて小説を書いていた。初めて書いた物語はオリジナリティの欠片もなくて、文章も読むに堪えない出来だった。12歳の時だ。
そこから12年、滄史は未だに小説を書いている。
『来週の金曜日、時間を作ろう。そのときにプロットを何本か見せてくれ』
悩みに悩んでいると、安達がくっきりとした声で『宿題』を出してくる。
今日は火曜日、10日間で恋愛メインの長編を最低でも2本、いや、3本以上仕上げる。本当にできるのだろうか――
「分かりました。作ってきます」
いや、やるしかない。滄史は小説を書かないと生きていけないのだ。
他の生き方なんてない。すでに自分は土俵へと上がってしまった。あとは目の前の相手を叩き伏せること。それ以外に選択肢などない。
焦燥か高揚か。肌がヒリつくのを感じとり、滄史は鼻から息を吸い込んだ。