四ノ宮が“人形の仮面”を視認した瞬間、反射のように身体が前へと走っていた。
「……根津さんの仇!!」
叫びとともに、彼は隊列から一人だけ飛び出す。
「待て、四ノ宮!」
荒井の制止の声が飛ぶが――遅かった。
夜の帳が落ち、仮面の奥の深紅の瞳が、微かに光をたたえる。
その刹那。
闇に紛れるように、響華の影が疾走した。
「……速い」
荒井が短く呟いたときには、すでに響華は地面を蹴っていた。
その動きは風のようだった。
左手の刃が地を払うように走り、右手の剣が鋭く、荒井の首を狙って振り抜かれる。
「来るぞ!」
荒井が叫ぶよりも早く、穿鋼が唸る。
腕に装着された杭型のレヴナントが爆音とともに飛び出し、響華の一撃を紙一重で受け止めた。
ガンッ――!
火花が散る。その直後、背後から四ノ宮が迫る。
「根津さんの仇……!」
その叫びとともに振り下ろされた大剣が、地を裂くような衝撃とともに響華を捉えようとする。
だが――
すでに、彼女の姿はそこになかった。
「“速さ”だけは、負けないからね」
耳元で響く少女の囁き。四ノ宮が反射的に身をひねった刹那、頬を掠めるように斬撃が走る。
返すように、荒井が杭を突き出す。
だが、響華はすでにそれを見切っていた。着地と同時に膝を沈ませ、刃を盾のように構えて突進する。
「ちょこまかと……!」
怒気を含んだ声とともに、四ノ宮の大剣が火花を散らす。
だが、それすらも舞うように躱していく響華の足は止まらない。
「なんで……私達が、こんな目に遭うのよ!!」
叫びとともに、響華の二刀が二人の間を縫うように連撃を放つ。
その剣閃には、怒りと悲しみが込められていた。
斬撃、跳躍、回転――
目にも止まらぬ速さで繰り出される攻撃に、荒井と四ノ宮は防戦一方となる。
「お前らが“正義”? だったら、なんで柚葉さんを殺したのよ!!」
その名を叫ぶと同時に、響華の背後で血が膨張し――
バン、バン、バンッ――!
血の弾丸が連続して荒井を襲う。
穿鋼が唸り、激しい火花を上げて弾丸を叩き落とす。
その間に――
「見えた!」
響華が瞬時に四ノ宮の背後へと回り、喉元を狙って刃を突き出す。
しかし――
「……浅いな」
四ノ宮の声が、刃を凍らせるように冷たく響く。
響華の剣は、防刃加工を施されたレヴナントスーツの下で止められた。
手に伝わる“止まった感触”――それは鉄ではなく、氷のようだった。
衝撃よりも、その“冷たさ”が、響華の動きを一瞬奪った。
次の瞬間、腹部に膝蹴りが突き刺さる。
「ッ――ぐはっ……!」
響華の体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
「立てよ、“吸血鬼”。口ばっかりで終わるなよ」
荒井が、無感情に穿鋼を構える。
だが、響華の体はふらつきながらも立ち上がる。
膝が震え、呼吸は荒く、仮面の内側で苦痛に歪んだ息が漏れる。
「……なんで……吸血鬼ってだけで……」
唇から血が零れ落ちる。
「お前は、もう人間じゃない。“ただの化け物”だ」
四ノ宮の目は冷酷だった。
「根津さんの背中……あの人の命を、あんたが喰らった。だから俺は、お前を殺す。それだけだ」
大剣が振り下ろされる。響華は転がるようにしてそれをかわす――が、
「逃がさない」
今度は荒井が、横から穿鋼を突き出した。
横腹を掠めた衝撃が、響華の身体を弾き飛ばす。
転がりながら地面を滑る。
体勢を立て直すことすらできず、そのまま膝をついた。
「ハァ……ハァ……!」
両手をついて立ち上がろうとするが、肩が震えている。
それでも――
「……ねえ、教えてよ」
仮面の奥から、かすれた声が漏れる。
「なんで……吸血鬼ってだけで、こんな目に遭わなきゃいけないの……?」
歯を食いしばる音が、微かに漏れた。
感情をこらえるたびに、奥歯の軋む音が胸の奥にまで響いていた。
その問いに、答える者はいなかった。
ただ、穿鋼と大剣が再び、彼女を仕留めるために振り下ろされようとしていた。
それでも、響華は立ち上がった。
「……ほんと、クソみたいな世界だな」
追撃の刃が響華に迫ったその瞬間――
夜空を裂いて、黒い影が舞い堕ちた。
第3区を見下ろす、高層ビルの屋上。
砕けた街の喧騒が、遠く夜風に乗って届いてくる。
――悲鳴。怒号。焼け焦げた金属の匂い。
その中に、かつて守りたかったものがある。
《Yume》。
芳村さん。
響華。
そして、“人としての僕”。
それらが、また壊れていく音がする。
「……こんなはずじゃ、なかったんだ」
祐という名を持ち、人として立ちたかった。
誰かを救いたかった。
でも――手を伸ばしても、届かなかった。
優しさだけでは、守れないものがある。
正しさだけでは、救えない命がある。
それを、俺は……いや、“僕”は、痛いほどに知っていた。
ポケットから取り出した仮面を、しばらく見つめる。
漆黒の面に走る、一筋の紅。
それはまるで、祈るような怒り。
泣きたかったけれど泣けなかった、あの日の涙の跡。
「もう……“僕”じゃ、意味がないんだ」
静かに、そう呟いた瞬間。
僕の中で、何かが確かに“終わった”。
祐という名の、優しすぎた亡霊に、別れを告げる。
弱さも、迷いも、優しさも――全部抱えたままでいい。
ただ、それを超える“意志”を持てばいい。
だから、僕は選ぶ。
「これが……僕の、選択だ」
仮面を顔にあてがう。
“仮面”ではなく、“覚悟”として。
冷たい面が肌に触れると、迷いも痛みも、すべてが音を立てて静かに崩れていく。
夜の風が頬を撫でる。
だがもう、それに目を細める“僕”はどこにもいない。
ゆっくりと、ビルの縁へと歩く。
足元に広がるのは、闇。
その下には、戦場と――壊されかけた大切な居場所。
「……あぁ、そうか」
低く、そして静かに、僕は呟いた。
「僕?……違うな」
言葉とともに、夜へと身を投じる。
「――俺は、“
それは墜落じゃない。
過去を断ち切って、未来へ踏み出す、跳躍だった。
まだ終わらせない。
まだ、守れるものがある。
俺にはその力がある――だから、行く。
もう“祐”ではない。
ここから先は、“エンド”が生きる。
夜が俺を迎え入れるように広がった。