ーーーーーーーーその時、おまえに恋をした。
月曜日の
(あぁ、またかよ)
俺の名前は
(毎朝、毎朝、懲りねぇな)
性に
(くっそ、きめぇ)
相手は
(時間をずらした意味ねぇじゃん)
今朝は朝飯も食わずに家を飛び出し自転車に
(野郎の尻触って何が楽しいのか聞かせてくれよ!)
電車は鉄橋を渡り百メートルあたりで大きくカーブする。遠心力で身体は背後に持って行かれ
(・・・・・ざけんじゃねぇ!)
唇を噛み締め脚を踏ん張ったその時、大きな手のひらが荷物棚を握り温かい腕が俺の体を抱き止めた。
「ちょっと失礼」
「
伊月は俺と
「
「お、おう」
「どうしていつもより早い電車に乗ったんですか?」
「お、おまえに」
「私がどうかしましたか?」
「伊月に助けられるのが嫌なんだよ!」
「どうしてですか」
伊月は俺を見下ろしながら少し悲しげな顔をした。
「だって、恥ずかしいだろ!」
「恥ずかしい、ですか?」
「いつまでも小学生じゃねぇんだし!お前に助けて貰わなくても!」
俺の顔は耳まで真っ赤に色付いた。
「なんだ、そんな事ですか。長谷川さんに嫌われたのかと思いました」
「き、嫌う訳ねぇだろ!」
「・・・長谷川さん」
伊月は
「やっ、やめろよ」
「長谷川さん」
「その呼び方もやめろ!」
伊月は俺の髪に顔を埋めると柔らかな声色で
「
「そっ!そのいやらしい呼び方もやめろ!」
「駄目ですか?」
「ってか、この手を離せ!」
「助けて差し上げたのに酷い言い草ですね」
「離せよ!」
この俺を抱き締めて離さない愚か者は
「離せよ!」
「・・・嫌です」
「は、な、せ!」
中学生の俺はどちらかと言えば成績は下位から数えた方が早かった。伊月の成績は常に上位で生徒会の副会長だった。
「おまえなんで私立の高校行かねぇんだよ!」
「だって長谷川さんが公立高校に進学するって言いましたから」
「進学するんじゃなくで私立に行く頭がねぇんだよ!」
「頭・・・・あるじゃないですか」
「中身の話だよ!」
学期末の懇談でクラスの担任が泣いて説得したが伊月は頑として首を縦に振らず私立高等学校の推薦入学を
そして俺はかなりの
「・・・・これ」
「はぁ」
「これ、大谷くんに渡して欲しいの」
それは
「へいへい、わっかりました」
「お願いね!」
「期待はすんなよ」
「ひどい!渡す前から奈落の底じゃん!」
「あぁ、落ちろ落ちろ」
悪態を吐く俺は百パーセントの確率で頭を叩かれた。
「・・・・・・また・・・・ですか紙が勿体無いですね、森林伐採、地球の環境保全に反していますね」
「一度くらいは返事を書いてやれよ」
「そんな前例を作ったらどうなると思いますか?」
「どうなるんだよ」
「あの子には返事が来た、私には返事が来ないだと
「なんだよ、その
「仲が悪くなるという事ですよ」
「面倒だな」
「そうでしょう?」
「面倒なのはおまえだよ、クソ難しい言葉で喋んな!」
「分かりました」
伊月はラブレターを「南無阿弥陀仏」とお経を唱えながら破いてゴミ箱に捨てた。プレゼントの手作り菓子は「怪しげな物が入っていたら大変なので」と言いまた「南無阿弥陀仏」と唱えながらプラスチックは資源ゴミのペール、クッキーは燃えるゴミのペールに捨てていた。
「伊月、おまえする事がいちいちジジくさいんだよ」
「当然の事をしたまでです」
「じいちゃんの真似かよ」
この家は伊月のじいちゃんの家だ。伊月の両親は小学校一年生の時事故で亡くなった。そんな経緯もあり伊月はじいちゃんと暮らす事になった。
「お祖父さん」
「おう」
「そうかもしれませんね」
「言葉遣いもジジくさいんだよ!」
「そうですか?」
「私じゃなくて俺、俺って言ってみろよ!」
「お」
「俺!」
「お・・・・・・・れ」
伊月は俺まで照れ臭くなりそうな表情で顔を真っ赤にした。
「んかぁーーーーーーーー!やっぱいいわ!似合わねぇ!」
「でしょう?」
「にしてもこんなジジくさい奴のどこが良いんだか」
「ジジィ、ジジィと酷いですね」
この年寄りじみた男がなぜここまで女子生徒に人気があるのか。それは第一にこのルックスだ。身長は186センチメートルで程よい筋肉質。髪は薄茶で緩いウエーブを描き、前髪に隠された
(男の俺でもドキッとするよな)
しかも身のこなしや仕草が上品で、掃き溜めに鶴という例えは今の伊月に
(じゃあ俺は掃き溜めって事かよ)
ドキッとする反面イラッとする事もある。
(ちぇっ)
そこでおもむろに立ち上がった伊月は「ジュースを飲みますか?それともコーヒー?紅茶?コーラもありますよ」とコンビニエンスストア並みの品揃えで微笑んだ。
「あ、じゃあアイスコーヒー」
「分かりました。ちょっと待っていて下さいね」
「急がねぇし」
「はい」
伊月の部屋は柔らかな木材とリネンの布で包まれていた。黒いアイアンフレームで揃えたインダストリアな俺の部屋とは真逆だ。木の香りがするベッドにもたれ掛かり何気に手を動かすと指先に何かが触れた。
(・・・・・ん?)
腰を屈めてベッドの下を覗いて見ると四角い箱が見えた。
(なんだこれ?)
(あいつも仙人みたいな顔してやっぱ観てんのかな)
アダルトビデオのDVDが入っているかと思い
「なんだ、これ」
それはじいちゃんと遊びに行った海で拾ったシーグラス、縁の欠けたビー玉、アイスキャンディーの当たり棒、瓶の王冠の
「カラスかよ」
そこで階段を登る
「あれ?どうしました?」
「なにがだよ」
「気が乱れていますね」
「おまえ、ジジイの次は霊能力者かよ!」
「そんな訳ないでしょう」
伊月は口元を緩めグラスをローテーブルに置いた。
「お、さんきゅ」
「どうぞ」
その時、伊月の指が触れ俺は弾かれた様に手を引っ込めた。グラスのアイスコーヒーがローテーブルに
「あっ!わ、悪ぃ!」
「良いんですよ」
伊月は熱を帯びた瞳で俺の右手を握り人差し指をその唇に
「・・・・・!」
俺の
(な、なんだ?今の・・・)
「おおい、伊月!陸斗が来とるんか!」
じいちゃんの声で伊月の身体から潮が引くように何かが消えた。
「はい!お邪魔してます!」
「夕飯、栗ご飯や!食べてけ!」
「あ、じ・・・じいちゃんありがとう!」
「なんもなんも、遠慮せんでええ、ゆっくりしてけ!」
振り向くと伊月は何事もなかったかの様にオレンジジュースを飲んでいた。
「い、伊月、今の・・・・」
「なんですか?」
「な、なんでもねぇ」
「じゃあ宿題を片付けてしまいましょう」
「・・・・あっ!いけね、ノート忘れたわ」
「じゃあ私のノート、新しい物がありますから使って下さい」
「悪ぃな、明日金払うわ」
一瞬の間。
「陸斗さん、身体で払って頂いても良いですよ?」
「なに、肉体労働ってやつ?」
「そうとも言いますね」
「マジかよ」
「冗談ですよ」
伊月の横顔からは感情を読み取る事が出来なかった。