「お、オマエらも道連れにして死んでやる!
オレにはもう、失うものなんてないんだ!」
ほんの数刻前まで上司だった男がつばを飛ばして怒鳴り、ナイフを振り回す。
それをこんな状況だというのに冷めた頭で見ていた。
こんなことをしていったい、なにになるというんだろう?
どうせじきに警察に踏み込まれ、制圧される。
場合によっては射殺なんてこともありえるかもしれない。
素直に罪を認めていれば上層部も少しは穏便に事を運んでくれたかもしれないし、ヤケになって罪に罪を重ねるなど悪手でしかない。
「お、オレは本気なんだからな!」
余裕のない様子でまた元上司が喚き、激しく幻滅した。
知的でスマート、結婚すればよきマイホームパパになるだろうという印象の彼だったが、ここまで短絡的だったとは。
いまさらながら、別れて正解だった。
どうでもいいが、どこで得た知識か知らないが後ろ手に親指同士を結束バンドで縛られ、肩がだるくなってきた。
五十肩で腕が後ろに回らないと嘆いていた支店長も同じ姿勢なので彼の肩が心配だ。
さっきから「ううっ」とかつらそうに呻いている。
まあ、人質なんかになってもこうやって冷静に分析なんてしているから、可愛くない女だと言われるんだろうけれど。
不意に電話が鳴り、元上司の身体が怯えたようにびくりと大きく跳ねた。
「おい、
出ろ」
彼に高圧的に命じられ、カチンときた。
あなたから私を捨てたくせに、いまだに自分の所有物かなにかと思っているんですか。
ここまで最低な男だったとは、つくづく自分の男を見る目のなさを悲観した。
「あのー、これでは取れないですが」
従う気などさらさらないので、揶揄うように背中の後ろで固定されている手を上げ下げする。
「ちっ」
舌打ちをし、元上司は私のところへ来て強引に腕を引っ張った。
おかげで結束バンドが親指に食い込み、激しく痛む。
「痛い!
痛いんですけど!」
「うるさい!」
彼の怒号とともに平手打ちが私の頬に飛んだ。
衝撃でごろりと転がってしまった私を無理矢理、彼は電話の前に立たせた。
「指示以外のことを喋ったら、殺すからな」
後ろから抱きしめるようにし、元上司がナイフを私の喉へと当てる。
これにはさすがの私もすーっと背筋が冷えた。
彼が受話器を取り、私の耳もとへと当てる。
『もしもし』
電話の向こうから聞こえてきたのは、私の大好きなお兄ちゃんの声だった。