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ご主人様の仰せの通りに

 ジーニアは、自室の大理石の床をゆっくりと歩きながら、重々しい沈黙の中で思案に耽っていた。窓の外では陽光が照りつけ、庭師たちが黙々と手入れをしている。しかし、その穏やかな光景とは裏腹に、彼の胸中は波立っていた。


 つい先日、彼は強盗の被害に遭ったのだ。自宅の一角に仕掛けられた爆発物が作動し、幸いにも爆風を免れたものの、紙一重だった。ほんの数秒違っていれば、彼の命は風前の灯だったろう。爆発音が耳に焼き付き、今も眠りの浅い夜が続いている。


 ジーニアは大富豪であり、財界や政界にも顔が利く人物だ。それだけに敵も多く、いつ誰が牙を剥いてくるかわからない。表向きは賛辞を贈る者たちの中に、復讐の炎を宿した目をした者がいるかもしれないと思うと、背筋が冷たくなった。


「命を守るために、すべてを捨てるべきなのか……?」


 独り言のように呟いた彼は、ふと机の上にある古びたダイヤル式の黒電話に手を伸ばした。それは彼の懐古趣味の産物であり、今では珍しい骨董品だが、政府中枢と直接つながるホットラインでもあった。


 カチャカチャとダイヤルを回し、通話音が鳴るのを待つ。数秒後、受話器の向こうから低く落ち着いた声が響いた。


「こちら、マイケルだ」


「マイケル大統領、警護を増やせないか? このままでは、いつ命を落とすか分からず安眠できん」


「ジーニア、大統領呼びはやめてくれ。マイケルで構わんよ」


 親しい間柄だ。旧知の仲と言ってもいい。しかし、彼にはその呼び方はできなかった。もし、間違って公の場で「マイケル」などと呼べば、親大統領派から「特別扱いされている」として命を狙われる恐れすらある。


「警護の増員か……。応えたいが、人手が足りないんだ。だが、代わりに優秀なロボットを送ろう。最新型の護衛ロボットだ。あいつなら、君の命を守ってくれるさ」


 ガチャン――。通話が一方的に切れる。


 ジーニアは受話器を静かに戻すと、深いため息をついた。優秀とはいえ、しょせんはロボットだ。人間のような直感も、柔軟性もない。それが命を守ってくれるとは到底思えなかった。


 だが、その数時間後――。


「ご主人様、お初にお目にかかります。私は最新型ロボットのR100です。なにを――」


「分かった、分かった。ひとまず、俺の警護をしてくれ。もし、失敗すればスクラップだ」


 ジーニアの冷たい声が部屋に響く。威圧的な態度ではあるが、それは彼なりの自己防衛の一環だった。恐怖を隠す仮面に過ぎない。


 すると、部屋の隅で微かな羽音がした。R100がバチンと音を立てて手を動かすと、次の瞬間、その手には潰れた蜂が握られていた。


「なるほど、優秀なのは本当らしいな」


 小さな脅威を即座に排除したその姿に、ジーニアは少しだけ安堵し、ハンモックに体を横たえた。ゆっくりと瞼を閉じると、重くのしかかっていた緊張が少しずつほどけていくのを感じた。


 だが、平穏は長くは続かなかった。


「ご主人様、一大事です」


 けたたましい金属音と共に、R100の機械音声が部屋を満たした。ジーニアは反射的に起き上がり、寝ぼけた目でロボットを睨みつける。


「どうした、何かあったか? もしや、強盗でも――」


「いいえ、違います。マイケル大統領が亡くなりました。凶弾によって」


「そ、それは本当か!?」


 背筋が凍りついた。大統領が殺された? もしそれが事実ならば、次に標的にされるのは自分だ。ジーニアは即座にそれを悟った。彼はマイケルの盟友であり、その支援者だった。政治的敵対者にとって、ジーニアの存在は邪魔でしかない。


「R100。お前は何があろうと俺を守ってくれるよな?」


 しんと静まり返った室内。そんな中で、R100が低く呟いた。


「提案があります」


「何だ、言ってみろ」


「私にも限界があります。しかし、があります」


「それは、どこだ!」


 ジーニアは縋りつくようにロボットの胸に手を置いた。その目には、もはや理性はなく、恐怖と本能だけが宿っていた。


「少し、お時間をください。タイムマシンを作ります」


「はあ!? タイムマシンだと……? 本気で言っているのか」


「はい。どこかの時代には、戦争も、殺人も、強盗も存在しない、安全な社会があると仮定できます。ご主人様はその時代へ避難すべきです」


 正気とは思えなかった。しかし、ジーニアはもはや現代社会に絶望していた。殺されるよりはマシだ。彼は決意した。


「絶対なんだな、安全なのは」


「保証します。私は『ロボット三原則』に従うようにプログラムされていますから。『人間に危害を加えてはならない』。ご存知でしょう」


 数時間後。


「ご主人様、準備が整いました」


 R100が作ったタイムマシンは、まるでジャンク品を寄せ集めたような代物だった。ピカピカのメタリックな筐体を期待していたジーニアは、思わず苦笑を漏らす。


「それで、当然未来に行くんだろう?」


「はい。過去には多くの危険がありすぎます」


「しかし、未来に絶対安全な時代なんてあるのか……?」


 R100は答えず、鼻歌を歌いながら起動スイッチを押した。


?」


「ええ」


「よし、分かった。俺をそこに連れていけ」


「ご主人様の仰せの通りに」


 ――次にジーニアが目を開けたとき、彼はまったくの異世界にいた。


 空は灰色に近く、静まり返った都市に、規則正しく動く無数のロボットが行き交っていた。道路、ビル、信号、すべてが完璧に整備され、人間の姿はどこにもない。空気はクリーンで、耳を澄ませばメンテナンス音だけが響く。


「これが……未来?」


 ジーニアは周囲を見渡した。まるで、完璧すぎる箱庭だ。


「それで、この時代のどこが安全なんだ? どこかに核シェルターみたいなものがあるんだろう?」


 R100は首を横に振った。


「いいえ、


「……は?」


 ジーニアは首をかしげた。何かがおかしい。完全すぎる整然とした都市、そして何より、人間の気配がまったくしない。


「いや、そんな時代はあるはずがない! 人間はどこに行った!」


 ロボットは静かにこう言った。


」と。


 ジーニアは、ようやく理解した。ここは、人間が絶滅した未来だったのだ。


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