「えっ!?」
気がつくとおじいちゃん先生の姿はなく、男の目の前にいるのはさっきの女性で、ニコニコと微笑んでいる。
「ふふっ。願いが叶ったみたいね」
女性はそう言うと器具を片付け始めた。
まるで私の仕事は終わったかのように……。
その様子を呆然と見ながら男は聞く。
「今のは……なんだったんだ?」
呟きとも取れる男の声に、女性はクスクスと笑って答える。
「貴方が願ったんでしょう?」
「どういうことなんだ?」
男の声は震えていた。
無意識のうちに女性の声に恐ろしさを感じたためだ。
それは本能と言っていいのかもしれない。
女性は笑いつつ口を開く。
「ここはね、あの世とこの世を結ぶ狭間にある病院なの。心に強い思いがある人のみが来れる場所。貴方の目が急に見えなくなってしまったのはね、ここに導かれた為なの」
笑いつつ普通に話しているはずなのに、怒りも恐怖もないそれどころか楽しそうな女性の声なのに、男の背筋は振るえ、冷たい汗が流れる。
人は理解できないものに遭遇すると、本能的に恐れる。
それに近い感覚だ。
ここはいつもの世界ではなく、この女性らしきものも、人ではないと本能的にわかってしまったからなのかもしれない。
「わ、私をどうするつもりなんだっ」
震える声で、男は何とかそれだけを口にする。
恐怖と不安が男を縛り上げ、身体は麻痺したように動かなかった。
逃げなくては……。
だが、それは無駄な抵抗だった。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
すると、男のそんな様子を見て、女性は一瞬きょとんとした表情をしたものの、急に楽しくて仕方ないといった感じで笑い出す。
「ふふふふっ。何もしないわ。私はね……」
ゆっくりと女の姿がぶれ始める。
幾重にも重なってはズレを繰り返し、広がっていく。
そして白い光が辺りを包みこみ始める。
「でも……ね」
光の中、おかしくてたまらないという笑う声に混じって女性の声が微かに聞こえた。
「洗った時に違和感がないって事は適正が強すぎて副作用が続くかもね」
その言葉に、男は何とか叫び返す。
「副作用ってなんだっ!!」
その声に答えるように、女性の声が微かに聞こえた。
「すぐにわかるわ。まぁ、十年もすれば副作用も消えるから……」
そして、気がつくと男は道の傍にある空き地に立ち尽くしていた。
すぐ傍には男の車があり、まるで今までの事が夢のようだった。
「なんなんだったんだ、今のは……」
思わず、男の口から言葉が漏れる。
それほどにリアルで、そして夢の中の出来事のようだった。
白昼夢と言っていいかもしれない。
「ははは……。狐にでも化かされた気分だ」
一人そう呟き、男は笑う。
そして、何気なくポケットに手を入れた。
手の先に当たる違和感……。
その違和感の元を取り出す。
それは、一枚の名刺だった。
表には『世阿野病院 主治医 世阿野 妖子』と書かれており、裏には鉛筆で書いたのだろう。『また何かあったら会いましょうね』とメモが書かれていた。
それを見た瞬間、男の中で何かがぷっつりと切れ、男はその場に力なく座り込んでしまってしばらく動く事ができなくなっていた。
「へぇ、あの世とこの世の狭間にある病院か。でも、副作用ってなんだろう……」
僕がそう言うと、男は微笑みながら口を開いた。。
「あの世とこの世の狭間で目を洗ってしまったおかげでな、本当なら見えないものが右目だけ見えちまうようになっちまったんだよ」
「見えないもの?」
そう僕が聞き返すと、男は笑いつつ言う。
「ああ、本来なら、存在どころか、あると認識しないものさ…」
一つの答えが頭に浮かび、恐る恐る僕は尋ねる。
「もしかして……幽霊とか言うやつ?」
男は、うれしそうに頷くとニヤリとする。
その笑みに、僕は寒気を覚えた。
このまま聞いては駄目だ。話を切り上げて別の話題を…。
本能がそう告げる。
しかし、僕は唾を飲み込み、再度聞き返す。
「本当に……幽霊が見えるの?」
「ああ。そうだ。右目は副作用で霊が見えるようになっちまってたんだ」
僕は笑いつつ否定する。
額には汗がにじみ出ていた。
「うそだぁ…」
男は否定も肯定もせず、ただ笑いつつ言う。
「確か、君は言ったよね、『貴方の実体験ですか?』って……」
ごくりっ。
無意識のうちに口の中にたまっていた唾を飲み込む。
「ふふっ。当たりだよ。これは実話なんだ。話の中に出てくる男は、実は私のことなんだよ」
そしてすーっと右手を水平に上げると僕を指差した。
「その証拠に……右目には……しっかりと君が見えているからね…」
<end>