和人はダリアの最期を看取ったあと、組織を名乗る男達に連れられて軍用車両を思わせる物々しいワゴンに連れてこられた。
そこで彼は初めて華実の身に起こっていた様々な話を教えられた。
ディストピアと呼ばれる異世界、魂すら弄ぶ超科学、挙げ句魔法の実在まで耳にして、とうてい信じられない気持ちだったが、すでにその一端を目にしたあとでは否定したくても否定できない。
なにも気づけないまま取り返しのつかない結果になったことを改めて痛感して、慟哭したが、時間とともに、いつの間にか涙も乾き、空虚な気持ちに支配される。
そのタイミングを待っていたかのようにドアを開けて、ひとりの少女が車内に乗り込んできた。
年の頃は和人と同じか、少し若いくらいだろうか。着物を着て髪の後ろに大きなリボンをつけている。見るからに大人しそうで大和撫子といった雰囲気があるが、こんな場所に堂々と入ってきた以上、組織とやらの人間だろう。
実際、和人にすべてを説明してくれた大人の女性が、現れた少女に恭しく頭を下げている。
「あとはお任せ下さい」
同じように少女が礼を返すと、元居た女性はそのまま車外へと出て行った。
「はじめまして、笹木さん。わたしは
「じゅじゅ……?」
「呪術――呪い屋ですよ」
「の、呪い屋!?」
思わず声が裏返ってしまった。
殊那はやんわりとした笑みを向けてくる。
「ご安心下さい。あなたに危害を加えようというのではありません」
そう言われても呪いの使い手とやらを前にして安心できるはずもない。身構える和人だが、殊那はまったく気にすることなく目の前の椅子に座る。
「さて、ご存じのこととは思いますが、あなたが見聞きしてしまった事実は、世間においては存在しないことになっています」
そこまで言われれば、さすがに察しがつく。
「く、口封じか!?」
「あなたが選べる道は二つ」
薬指と小指を立てて続ける。
「わたしの呪術によって記憶を封じ、すべてを忘れて生きていくか、口外しないことを約束して、その重苦しい痛みを抱えたまま生きていくかです」
殊那が突きつけてきたその選択は、和人にとっては迷う必要すらないものだった。
「忘れられるわけないだろ!」
ダリア――いや、和人にとっては華実の最後の言葉。それを忘れて、あのニセモノを華実だと思い込んで生きていくなど冗談ではない。
そんなふうに考えていると、殊那の表情が険しいものに変わる。
「あなたの華実さんのことは本当に気の毒だと思います。ですが、今の華実さんも同じく被害者です。もしあなたが、彼女に悪意を向けるようであれば、わたしはあなたの記憶を奪います」
凜とした少女の眼差しに和人は怯んだ。
「けど、どうすりゃいいんだよ、僕は? あいつの身体を奪ったあの女は、その手であいつを殺したんだぞ。それなのに知らないふりして生きていけって言うのかよ」
「あなたの華実さんを殺したのはセレナイトです。今の華実さんは、あなたの華実さんのために命懸けで戦ってきました。それを逆恨みするようであれば、やはりあなたの記憶は封じるしかなさそうですね」
「か、勝手すぎるだろ、そんなの!」
理不尽さを感じて抗議する。
殊那はさらに中指を立てて告げた。
「第三の選択もあります。ここでわたしを殴り倒して逃亡するのです」
真顔で言われて和人は思わず椅子から立ち上がった。
「バカにするな! 女の子を殴れるはずないだろう!」
「あなたが華実さんを責めるのは、わたしを殴ることよりも、よほど罪深いことですよ」
指摘されて和人は横を向く。そのまま相手を見ることなく、わだかまりを押し殺して答えた。
「分かってるよ……」
そう、本当は分かっている。ダリアに宿っていた華実は、自分の肉体を奪った女を憎んでいなかった。
「けど、分かっていてもさ……」
恨めしい気持ちが込み上げてくる。
華実のすべてを奪い、華実の家で誰も彼も騙しながら生きている――そう考えてしまう。
「もう二度と彼女には近づかないことです。あなたにとっても彼女にとっても、それが一番のはずです」
それに和人は答えられなかった。
だが、それでも殊那は立ち上がって背を向けると、そのまま車を出て行ってしまう。
ドアは開いたままになっており、いつでも好きなときに出て行けと言いたげだった。
結局、しばらくしてから立ち上がると、よろよろと頼りない足取りで外へ出る。
眩い陽射しと熱気にさらされて、今が夏だったことを思い出した。
空はバカみたいに青く、蝉の音がやかましく響いている。当たり前の現実を前にすると、すべてが夢だったように感じられた。
だが、車が止めてある場所から工場跡に目を向けると、消火活動はまだ続いている。さすがに火はほとんど消し止められたようだが、それでも消防隊の人々はせわしなく働いている。
込み上げる思いを押し殺せずに顔を歪めて背を向けると、ここから立ち去ろうと足を前に踏み出す。
その途端、草に足を絡め取られてつまずいてしまった。そのまま前のめりに倒れかけるが、横から伸びてきた手が彼の身体を支える。
「大丈夫?」
腕をつかんだまま、心配げに和人を見つめていたのは、他ならぬ今の華実だった。
和人は乱暴に腕をふりほどくが、今度はそのまま後ろに倒れて尻餅をつきかける。それを再び華実に助け起こされて、ひたすら自分が情けなかった。
「ちょっと待ってなさい。誰かに車で送ってもらうから」
そう告げて華実は近くに居た黒服の方へと駆けていく。
愛する人の身体を持つ別の誰か。そんな相手とどう接すれば良いのか、和人にはまるで分からない。
華実は小走りに戻ってくると、睨みつける和人の視線には取り合わず、道の方を指さした。
「向こうに車を回してくれるそうだから、それで帰って」
言いたいことだけ言うと背中を向けて仲間たちのところに歩いていく。
自分もそれに背を向けると、和人は教えられた場所に向かってゆっくりと歩き始めた。
大切な人を失くした夏は、まだ始まったばかりだった。