「うっ……ぐ……」
井上さんが捕まる瞬間まで、俺は何もできなかった。気づいた時には、もう吸血竜はそこにいた。
やつはそのまま
「ひぐっ」
牙が皮膚へ食い込み、そこからじわりと血が
「くそっ! やめろ!」
そう声を上げるが、天井に張り付いた吸血竜に俺のスコップは届かない。どうしようかと思っていた時、あいつが先に動いた。
「キシャァアア!」
咆哮と共に、空気が張り裂ける音が突き抜ける。次の瞬間には俺は宙を舞っていて、遅れて"ああ吹き飛ばされたんだ"と理解した。
「カハッ……」
地面へ激突した衝撃で、肺から空気が押し出される。仰向けに倒れた俺の上に、覆い被さるように吸血竜が降り立った。
そして、鋭い爪を振り上げる。
「マリオネット!」
口に咥えられた井上さんが、か細い声でスキルを発動する。僅かにエコーのかかったその宣言がダンジョンへ木霊した。
次の瞬間……ダンジョンの天井、床、壁からエーテルの糸が伸び、吸血竜の四肢を拘束する。
「井……上さん」
俺は、最後まで手放さなかったスコップを再び強く握りしめた。気力を振り
「キシシシシ!」
吸血竜が口角をあげて不快な鳴き声をあげる。次の瞬間、井上さんが作り出したエーテルの糸は簡単に引きちぎられた。
「ぐわぁあ!」
その衝撃だけで、俺は再び吹き飛ばされる。
「あ、諦めて……たまるかぁ!」
それでも俺は、スコップを杖のようにしてなんとか立ち上がった。俺は、佐久間と約束したんだ。
井上さんを守るって。
「おい、どこ見てやがる……」
吸血竜は急に俺から興味を失ったように、後ろを向いてしまう。こいつに逃げられたら、俺じゃ追うことはできない。
「こっちを、こっちをむけぇええ!」
吸血竜は面倒そうに尻尾を振り回し、俺は再び吹き飛ばされる。俺は地面に這いつくばり、それでも立ちあがろうともがく。
「竜成……くん」
その時、吸血竜の口に咥えられた井上さんと目があった。
「た……す……」
井上さんが、俺を見つけて苦しそうに口を開いた。血を吐きながら、か細くそこまで言って、首を振る。
「逃げ……て!」
「い、嫌だ……!」
痛みで動かない体を無理やり持ち上げ、俺は首を大きく左右へと振った。どうして、今なんだ。
どうして俺たちなんだ!
「俺は……! 佐久間に託されたんだ!!」
絶対に諦めない。
諦めてなるものか!
「何か、何かこの状況を打開する方法は──」
叫びながら、無我夢中で考える。でも、思考がまとまらない。全身の痛みと目の前の現実が、俺の頭を押し潰していく。
そんな時だった。井上さんが、静かに俺を見つめる。そして、優しく、微笑んだ。
「リモート、マ……リオ……ネット!」
その声は消え入りそうにか細く、けれど……どんな叫び声よりも鮮明に俺の胸へ届いた。
「おい、なんで……っ!」
井上さんがくれた、俺の人形が青い光を放つ。そこから現れた無数の糸が、俺の全身を優しく包み込んで自由を奪った。
「りゅ……う、せい。大好き、だったよ」
「おい、やめろ、嘘だろ? なんでだよ!」
俺の叫びと思いとは裏腹に、体は立ち上がり、出口への通路を走り出す。さっき吹き飛ばされた時に、偶然にも出口へつながる通路のすぐ近くへ吹き飛ばされていた。
吸血竜は、ダンジョンの奥へと消えていく。
「やめろ! やめてくれ! 俺はまだ戦える!! 井上さん、絶対、たす、たすけ……!」
感情が込み上げて言葉がうまく出ない。それでも、体はひたすら出口を目指し続ける。
その時、俺は一瞬だけ、吸血竜の口に咥えられた井上さんの瞳が俺の方をはっきりと捉えているのに気がついた。
「い、井上さん……っ!」
その表情は苦悶に歪んでいたが、目は死んでいない。意識がはっきりと残っていることだけは間違いなかった。
「(まだ、生きてる……! )」
その光景が、俺の心に小さな希望の光を灯す。
「絶対に……」
俺は走りながら、スコップを強く握った。
「絶対に、助けるからな!!」
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
俺は、走り続ける。そしてすぐに、ダンジョンの出口へと差し掛かった。本当に、出口はすぐそこだったんだ。
「た、助けてください!」
叫びながら、俺は出口へと駆け込む。目の前には、動画で見た特殊部隊の様な服をきた大人達が何かの準備をしていた。
「君は……、生存者か」
──助かった!
安堵から一気に全身から力が抜ける。
俺はその場に崩れ落ちた。
「す、すぐそこに、まだ仲間がいるんです! でも、ドラゴンに……!」
俺は必死で男の腕を掴み、強く訴えた。
だが、男の表情は変わらない。
「お願いします! 早く、早くしないと!」
周囲を見渡すが、特殊部担の隊員たちはなんの反応も示さない。それどころか、バリケードを作り始めた。
「な、何しているんですか!? これじゃ中の人たちが……っ!」
その瞬間、背後から肩を掴まれる。
身動きが取れなくされた。
「よくここまで来れた。大したものだ、頑張ったな」
その声には、同情も共感もなく、ただ淡々とした、事務的な響きしか無かった。それは、俺の求めている答えじゃない。
「違う! 仲間がまだ中にいるんです! 助けてください!」
男は俺の言葉を無視して、リストバンドを俺へかざす。リストバンドには相手のステータスを確認する機能は無いはずだが……。
「エーテル被曝量が閾値を超えている……ヒューム出力もかなり高いな」
「おい、なんの話を……」
「……
男は俺の叫びを無視して、淡々と部下へ指示を出す。
「はっ」
隊員の1人が注射器を差し出した。
鋭い針先が、不気味に光る。
「え?」
「なんで俺に、鎮静剤なんか……」
プスッ、と小さな音が聞こえた瞬間、熱が肌を走る。
すぐに、全身が脱力した。
「ッ……!」
視界がぼやけ、意識が途切れそうになる。隊員たちはまるでものでも扱うように俺を運び始めた。
「ラボの方へ運んでおけ。良い素体になるかもしれない」
意識が落ちる直前、聞こえたのはあまりにも淡々とした声だった。