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第13話 The Lust of SuccubUs

 あの青春の夜は、特に何の変化ももたらさなかった。

 表面上は。


「母さんがさ、またクッキー持ってけってうるさいんだ」

「あら、良いじゃないですか。朝陰君のお母様のクッキー、すごくおいしかったですよ」

「それは言い過ぎ。普通だよ」

「本当ですって」


 会議という名目の時計塔の密会は、もうほとんど雑談の場だ。埃っぽいパイプ椅子に二人並んで座り、他愛もない話をする。椅子の距離は、だいぶ縮んだ。

 僕は、ペットボトルのお茶を飲みながら配信の予定を思い出す。


「あ~、明日だっけ、第二回ヌルリンチョ」

「そうですね。またよろしくお願いします」

「そりゃもう。……俺も楽しみにしてたし」

「ふふっ、楽しみにしてましたか」


 口元に手を当てて笑う音無さんが、なぜだかずっと、かわいく見える。

 ふと、聞いてみたくなった。


「……そういやさ。ユリーザ、なんでサキュバスにしたの」

「え?」

「佐田さんに提案されたんでしょ? でもサキュバスはなかなか攻めてるような……」

「ち、違います……」


 ん? 何が違うんだ?

 音無さんが顔を赤くしている。


「わ、私が自分で……アイデアを……」


 マジか。

 佐田さんじゃなかったのか。

 いやでも音無さん、当時中学生だろ。


「じゃあなんでサキュバスなんか……」

「父が昔やってたゲームに、かわいい女の子のキャラがいて……あ、もちろん全年齢ですよ!? 格闘ゲームのキャラです!」

「ああ……」


 なんかそんなゲームあった気がする。というか音無父も結構ゲーマーだったんだな。


「私その子が好きで……真面目で友達のいない私と真逆で、自由奔放で、気さくで、明るくて……ユリーザのモチーフはその子なんです。でもサキュバスがどんなものか、当時はその、知らなくて……」


 あ~、そういうことか……

 音無父、まさか自分のせいで娘がサキュバスVtuberになったなんて……。こりゃ絶対秘密にしなきゃな。


「佐田さんが、オブラートに包んで教えてくれたんですけど、私が押し通してしまって……もう後に引けなくなって……」


 音無さんはこう見えて、突発的に行動力を爆発させるタイプなんだな。

 そういえば初めてこの時計塔に連れてこられた時もそうだったし、あの……耳を当てられた時も……。

 でも。


「そういうの、良いところだと思うよ」

「えっ?」

「音無さんの良いところ。思い切って踏み出す行動力」


 ホラーゲームもそうだ。何にでもビビる臆病者がそれでも前に進むなら、それは勇気ある行動なんだ。


「ホラーゲームもそうだよ。何にでもビビっちゃうけど、進もうとする。それは勇気があるからだ。俺にはできない」

「……」


 音無さんの顔が赤くなってる。

 ……ビビりとか言って怒らせたか? 褒めてるつもりなんだけど。


「ごめんビビりとか言って。俺的には褒めてるつもり」

「あ、朝陰君の方が……」

「ん?」

「朝陰君の方がスゴいと思います!」


 何がだ。

 僕は何もしていない。言われるまま、流されるままなのに。全然スゴくない。


「全然スゴくないよ」

「いえ、スゴいです。私、配信を始めた頃は全然伸びなくて。一ヶ月も経たずに辞めようとしたんです。やっぱり私なんか誰も見てくれないって」


 よくある話だ。僕はもう慣れたが。


「まあ、あるあるだね」

「たまたまやったホラーゲームの切り抜きで登録者が伸びたから続けられましたけど。あのままだったら、もうやってなかったと思います」

「うん」

「でも朝陰君は、私より前から配信してて、全然伸びなくてもずっと投稿してて……」

「背伸びした中学生の黒歴史さ。それに良くも悪くも、もう慣れたからだよ」

「それでも……! そ、それに朝陰君が自己紹介で言った時、私、驚いたんです。誰にも言えない私と違って、こんな堂々と言える人いるんだ、って。勇気あるなって……」


 あの時、そんな風に思っていてくれたのか。

 うわ、なんか……


「うれし……」

「え?」

「う、嬉しい、よ。あんな痛い自己紹介、そんなに褒めてくれるなんて……」

「……私もです! 私のこと、勇気あるって言ってくれたの、朝陰君が初めてですし」


 なんだかお互い照れくさくなって、気まずい空気が流れた。

 でも今なら、言える気がする。僕に勇気があると、他ならぬ音無さんが言ってくれた今なら。


「お、音無さん」

「はい?」


 椅子から立ち上がり、音無さんの前にひざまずく。


「音無澄乃さん、聞いてくれ」

「は、はい」


 音無さんの喉がぐっと動いた。目が泳ぎ、落ち着かない様子。僕はその手を取る。手の中の細い指は一瞬跳ねて、でもそのまま、握らせてくれた。今の僕なら、何でもできる。なぜなら今の僕は、勇者だからだ。僕に勇気をくれた当のサキュバスに一人挑む、勇者だ。


「僕が配信を頑張って、音無さん以外にも登録者が増えて、恥ずかしくない数字になったら……!」

「……なったら?」

「その時は、僕と、こ、こ……」

「こ……?」


 この僕が、こんなに言い淀んでしまうなんて。どんなホラーゲームよりも、怖いんだ。でも言え、言うんだ。


「こ、コラボしてくれ!」


 言えた。


「はい……?」

「配信者のコラボだよ。動じない陰キャと絶叫サキュバスのコラボ。ポッと出の男性配信者だと炎上するけど、ある程度大物になればきっと……音無さん?」


 音無さんが手を振り払い、そっぽを向いた。

 まずい、分不相応過ぎたか?

 そう思った時、音無さんが少し振り向く。


「……いいですよ」

「えっ?」


 横目で、見下ろすように僕を睨む。


「コラボ、してあげてもいいです」

「いいの?」

「はい。でも……ち、ちょっとやそっとの登録者数じゃダメだぞ! ボクはまだ誰とも、コラボしたこと無いんだ! つまりボクの、になるってことなんだからな!」

「そうか、うん。頑張るよ」


 奔放院ユリーザは……音無さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「じゃあ、は、早くボクを満足させる男に、なってよね! ……待ってます、から」


 真っ赤な耳に、潤んだ瞳。唇から出る涼し気な声は、少し熱っぽい。艶のある黒髪に、ふっくら押し上げられたブレザー。チェックのスカートから伸びる60デニールは行儀よく閉じていて。その上の手は、少し震えていた。


 音無澄乃は、本当にサキュバスかしれない。

 だって僕は、こんなにも。


 魅了されてしまったんだから。

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