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XX. 本はどこ?

 カツリコツリと自分の足音だけが響く。


 どこまでも続く長い廊下に、見上げるほどに高い棚。誰に言われた訳でも無ぇのに、


 律義に、

 整然と、

 行儀よく、


 忌々しいくらい真面目に並んでやがる。


 今はここの規律を乱したバカが居ねぇかどうか、各列を根気よく調べなけりゃならなかった。


 とはいえこれも仕事の内、

 ただの日課、

 課せられた義務、


 とっくのうちに慣れちまい、呼吸よりも容易い行為になった。もはや頭で考えなくとも体が勝手に動いちまう。


 着々と、

 淡々と、

 粛々と、


 いつもと同じ時間に行い、いつもと同じ時間に終える。


 ォレはただ一匹の、粉挽き用のロバでよかった。


「よし、次」


 しかしある日を境に、頭ん中には“ある問題”がヘドロみてぇにまとわり付くようになっちまった。


 サウロが勝手に連れて来たガキ。


 コルダ。

 そう、コルダの事だ。


 コルダ、

 コルダ、

 コルダ、


 初めはあのド奥手にも子供が出来たのかと驚いたもんだが話を聞くに、どうやら誤解だったようだ。


 訳あって預かり育てて?

 年頃になったから連れて来て?

 何も言わずに置いてった?


 理由は何だか知らねぇが、預かったんならキチンと最後まで面倒見ろよ。大した責任も取れねぇんだったら、そもそも初めから預かるんじゃねぇ。


 立派になって戻って来たとついつい浮かれちまったが、中身は流れ着いた頃のまま、なに一っつも成長しちゃいなかった。


「クソ、クソ、クソ」


 バカの相手は一人だけでも十分だって言うのに、この世にゃバカが多過ぎる。


 特にコルダに至っては「歳はもう大人だから」とか何とか抜かしやがる。もしかしてサウロのバカは、ついにガキの戯言にまで信じるようになったのか?


 不良に絡まれ脅されて、ォレがあの場に居合わせてなけりゃ一発で殴り殺されてたかもしれねぇんだぞ?


 ……ォマエが殴られれば良かったんだ。コルダの苦労も知らねぇ癖に……。


 今朝の事だ。


 まだ大扉の修繕も終わってもいねぇ頃。大半は休館だと思い込んで立ち寄りもしない中、ァイツは一人勉強しにやって来た。大した奴だと初めは感心していたが、問題は帰り際に起こる。


 物静かな性格なのは元々知っていた。だがその時は、


 更に、

 一層、

 一段と、


 塞ぎ込んでいた。


 声を掛けても反応しねぇで駆けていくァイツの顔は尋常じゃなかった。生気が無ぇとかじゃなく、心そのもの。いや、それこそ魂ごとどっかに落っことしちまったかような。


 もはや人というより物に近かった。


 あの後いくつか言及する機会はあったが、言い出せる雰囲気でもなかった。まぁ、ォレも多少は言い過ぎたかもしれねぇ……反省はしてる、ちょっとだけ。だが、直接理由を聞かずとも何となく分かる。


 サウロだ。


 あのバカに置いて行かれた衝撃は相当なものだったんだろう。二人暮らしに慣れてた奴が急に一人で生活しなきゃならなくなったんだからな。


 飯に、

 洗濯、

 風呂に、

 掃除、


 それにァイツは授業にだって出なきゃならねぇ。忙しくて周りが見えてねぇだけで、本当は自分でも気づかねぇうちに心身は疲れて、壊れていく。


 そう、

 コルダは限界だった。


 ずらりと並ぶ書架の一角。そこには本が少しの隙間も無く整列している。綺麗に並べられちゃあいるものの一つ一つに目を向けてみると汚れやいたみが目立つ。


 中でも一冊に目が留まる。だいぶ風化が進んでるらしく、表紙は焦げたかのように変色しちまっている。読む分には問題ねぇがそろそろ治す頃合いだった。


 あらゆる災害からも守られた聖域とも呼べるこの場所に居ようとも、やがては壊れる運命にある。


 本と人は似た性質を持つ。もっとも荒れ具合が一瞬で判別できる本の方が人より遥かに素直で判り易いんだが……。


「手薄な時にでも治してやるよ」


 棚番を確認し、先を急ぐ。


 本に修理が要るように、人にも癒しが必要だった。


 だからォレはとっておきの店に連れてった。コルダは初め兎のように怯えていて、なかなか警戒心を解かなかった。まぁ、喜ばせようと秘密にしてたんだから仕方ねぇけどよ。


 とはいえドでけぇ肉が運ばれて来た時の、あの表情は堪らなかった。変に大人かぶれな謙虚さでもって自分を抑えたつもりだろうが目の奥にある無垢な輝きまでは隠し通せちゃいなかった。


 肉を食う時だってそうだ。リスみてぇに頬張るもんだから顔半分が膨らんじまって思わず吹き出しちまいそうだったし、その膨らんだ頬を弾ませながら咀嚼するんだから可愛くて仕方――


「――ナ゛!」


 額に鋭い痛みが走る。体が軽くよろめくのと同時に、床からはドサリバタリと鈍い異音が立った。


「ヤッば!」


 痛みも忘れ視線を落とす。すると床には大小様々な本が折り重なるように広がっていた。


 凄惨な事故現場。


 一瞬頭が真っ白になっちまうも、どうにか正気を取り戻す。丁寧かつ迅速に、本の回収に努めた。


「はぁ……」


 冷たく硬い床には犠牲物が寝かされている。なんとか急場は凌げたものの、棚にはかなりの空席が出ちまった。一度の喧嘩でこんなに歯が抜けちまったのならそれこそ重症もんだろうな。


 次はコイツ等を元に戻してやらねぇと……。


 物憂ものうげに目を閉じる。初めは暗かった視界はやがて晴れていき、いつしか館内の情景が濃くなっていく。


 どこまでも続く長い廊下。


 両脇には書架の列。


 それに辺りを照らす暖色の照明。


 棚番を確認すると、体がある列から少し前にいるようだ。館内の情景を高めつつ事件現場まで進んでいく。


 ここは図書館、

 ォレだけの図書館、

 ォレだけだけが行ける特別な場所、


 ここには一つの欠陥もなく全ての本が完璧に、かつ正しい位置で揃ってる。再限度は既に終わり、今すぐにでも作業に取り掛かれるだろう。


 ゆっくりと目を開け、記憶の場所と照らし合わせる。


 現実ではぽっかりと穴が開いちまっているが、ォレの視界には薄ぼんやりと本の輪郭が確かに存在している。床に寝かせちまっていた本達もこれでようやく自分の寝床に返してやれそうだ。


 順番は適当に。分かる範囲で。傷つけねぇよう丁寧に戻していく。


「『世界魔法』、『これから学び始める学徒たちへ』……」


 姿かたちもそっくりで分からねぇのが出てきたら、頭ん中にある本を開いて確認し、棚に戻す。


 と、ざっとこんなもんか。


 凄惨な事故現場と化しちまった書架の一角も、なんとかォレが来る前と同じ状態にまで復旧できた。最後に念入りに確認し、次の棚を目指す。


 思わぬ事故を引き起こしちまったが……しっかし、ここまで浮かれてたとはな。


 とはいえ妄想から抜け出すには丁度いい刺激だっ……た、と思いたい。まぁなんだ、ァイツが素直に喜んでくれたんなら、それだけでも連れていく価値は大いにあった。だがこれも飽くまで気休めに過ぎねぇ。


 アイツはまだまだガキなんだ。


 だからォレが守ってやらねぇと……


「……あ?」


 ちょうど内的魔法の区画に入ったところだった。暖色の明かりが満ちた、薄ぼんやりとした館内。列の奥さえ見通せねぇっていうのに、廊下からでもその異変にはハッキリと気づけた。


 いや。すぐに気付けちまうほど、異様で、ガサツで、凄惨なだった。


 本が無ぇ。

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