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第38話


 ジェーンの洪水が収まり、笑いながら気軽な雑談が出来るようになった頃、柵落下の原因が判明した。

 どうやら柵を固定しているボルトが弛んでいたらしい。柵が落ちた箇所以外のボルトにも弛みが確認された。

 しかしボルトが人為的に弛められたのかどうかを魔法で確認したところ、そういった証拠は見つからなかった。

 何者かによって清掃員が殺された直後の出来事だったため、全員ピリピリしていたが、結果は単純な整備不良による事故だったのだ。


「誠に申し訳ございませんでした!」


 教師に呼び出されて屋上へやって来た用務員のセオは、ポキリと折れそうなほどに身体を真っ二つに曲げて頭を下げている。


「あなただけのせいとは言わないけれど、あんなにも大勢の用務員がいるのに、誰一人ボルトの弛みに気付かなかったなんて。職務怠慢にも程があります! 一歩間違えば死傷者が出ていたのですよ!? 大事な生徒を預かっている自覚があるのですか!?」


 教師はセオにきつく説教をしている。

 当然だ。それだけのことが起こってしまったのだ。

 一歩間違えば、というか、本来なら、私は死んでいた。


「……はあ。起こるべくして起こった事故ね」


「そうなのですか?」


「ええ、きっとね」


 今回のことは、学園の用務員をエドアルド王子の側近ばかりにしたから起こった事故と言っても過言ではない。

 王子の側近を用務員にするために、元々いた用務員の多くは王宮から多額の転勤手当てを受け取って別の学園へ勤務地を変えた、と原作ゲーム内で言及されていた。

 つまり今、学園には本職の用務員がほとんどいない。

 整備不良が起こるのは当然だ。

 王子の安全を確保するために用務員として側近を潜入させたのに、そのせいで学園の設備に整備不良が起こって王子を危険に晒したのでは、本末転倒だ。


「今日中に用務員全員にこの件を通達し、今後の対策を決定してください。そして明日、用務員全員で学園の設備をくまなく点検してください。外でどんな地位を持っていようと、ここでのあなた方は『用務員』です。自覚と責任感を持ってください」


 教師はそう言い残して屋上から立ち去った。


「……あーあ。今夜は眠れないわね」


「そうなのですか?」


「ええ、きっとね」


 学園は、授業棟と食堂と修練場、男子寮に女子寮、校庭、裏庭とかなり広い。

 用務員の仕事をきちんと引継ぎされていなかったのかもしれないが、それにしても今日まで適当な仕事をしていたツケなわけだから、全く同情はできない。


 現在学園にいる用務員という名の王子の側近たちは、用務員としては素人だ。

 きちんとした点検を行なうとなると、ベテラン用務員が行なうもしくはベテラン用務員に正しい点検方法を教わってから点検を行なう必要がある。しかしそれを行なうには、圧倒的にベテランの数が足りない。

 事故が起こってしまった今、数日をかけて学園内を順々に点検していく、という案は却下されるだろう。

 早急に全設備を確認しなければならない。


「適当な仕事をすると、修正にかえって時間がかかるのよね。だから面倒でも始めからきちんとした仕事をした方が、結局は楽なのよ」


「ローズ様は経験者のようなことを言うのですね。もしかして、お仕事をしたことがあるのですか?」


「それなりに……いえ、無いわ」


「では想像力だけで今の発言を? やっぱりローズ様はすごいです!」


 もちろん元の世界の『私』の経験からの発言だが、異世界転生の話をジェーンに言っても混乱するだけだろう。

 ローズのことを夢見がちなお嬢様だと思ってくれればまだいいが、良かれと思って病院を勧められる気がする。


 そういえば、これまで私は『異世界転生』をしたと思っていたが、夢に出てきたローズの話を信じるなら、これは『異世界転移』になるのだろうか。

 でも身体はローズのままで、魂だけ『私』ということは……?

 まあ、呼び方なんてどっちでもいいか。


「さすがです。ローズ様は才色兼備なのですね!」


「ありがとう」


 私は、キラキラした目で私のことを見つめているジェーンに向かって、優雅に微笑んでみせた。


「これでも私は未来の王妃候補だからね。こういったことも勉強するのよ」


「わあ! ローズ様が王妃様になってくださるなら、この国は安泰ですね!」


「エドアルド王子殿下は第二王子だから、王妃にならない可能性も高いけれど。でも備えあれば憂いなし、と言うからね」


 自分が王妃教育を受けたわけでもないのに、自慢げに語ってしまった。

 そんな私をジェーンはどんな目で見ているだろうかとジェーンを見ると、うっとりと自分の世界に浸っていた。


「やっぱりエドアルド王子殿下×ローズ様以外は考えられませんよね! そうなったら私、何としてでも王宮で働かないと。お二人の仲睦まじい姿を見逃すなんて、そんなのは人生における損失です。お二人はこの国の宝なのですから!」


 侍女に料理人に医者に参謀に、あらゆる手を使って王宮に潜り込もうとするジェーンを想像して笑ってしまった。

 笑いながらふとジェーンから視線を外すと、私たちとは対照的にがっくりと肩を落としたセオが目に入った。


「怪我人がいなかったのは不幸中の幸い……ですが、しばらくは睡眠を諦めた方が良さそうですね……はあ」


 セオは悲しい独り言を呟いている。

 セオ本人も気にしていることだが、セオが年齢よりも老けて見えるのは過労のせいだろう。

 まだ二十四歳なのに、ジェーンには三十代後半に見えるとまで言われていた。


「年齢よりも老けて見られるのはダメージが大きいのよね……」


「急にどうしたんですか、ローズ様。それも王妃教育で習ったことですか?」


「いいえ。私の経験談よ」


「確かにローズ様は年齢よりも大人っぽく見えますが、それは美人かつ落ち着いているからで、むしろ誉め言葉だと思います!」


「……十代の場合は、そうかもしれないわね」



 年齢の話はさておき、学園の設備点検の件は確かに睡眠を諦めざるを得ないかもしれない。

 現実的な解決方法は、転勤していった用務員に一時的に戻ってきてもらい、ベテラン用務員たちに全ての点検をしてもらうことだ。そして点検が終わった後、点検方法の引継ぎをしてもらう。

 そのためには、早急に予算を確定させ、用務員たちの転勤先と連絡を取り、交渉を行なう必要がある。

 夕方のこの時間から予算会議を行ない予算が決まったとして、転勤先との交渉と用務員のスケジュールの確保が可能なのだろうか。

 考えただけで頭が痛くなってくる。


「お嬢様方、この度は誠に申し訳ございませんでした」


 しゅんとした様子のセオが、セオのことを見つめていた私たちに謝罪をしてきた。

 この顔には見覚えがある。

 仕事を失敗したときに部下が見せていた顔だ。


「もういいわ。終わったことを気にしても仕方がないもの。大きな怪我は無かったんだし、次、頑張りましょう。ね?」


 思わず部下を慰めるようなセリフが出てきた。

 しかし私の慰めを聞いてもなおセオは頭を下げ続けている。

 女子高生相手に律義なことだ。


「もう頭を上げて。柵が外れたのが女子寮の屋上ということは、主に女性の用務員の管轄じゃない? あなたがそこまで落ち込む必要はないわ」


「いいえ。これは互いの仕事を確認し合わなかった用務員全員の連帯責任です」


「それは……その通りね。それなら、しっかりと反省をして次に活かしてちょうだい。まずは各所に連絡! 早くしないと、時間は限られてるのよ!」


「はい。承知しました」


 私がそういってセオの背中を押すと、セオはもう一度私たちに向かって頭を下げてから、早足で屋上から去って行った。

 これでよし、と謎の達成感を感じていると、私とセオのやりとりの一部始終を見ていたジェーンがぼそりと呟いた。


「ローズ様。部下の扱いに頭を悩ませる、上司になりたての大人みたいですね」


「うっ!?」


 それは元の世界での『私』そのものだ。

 やっぱりジェーンは見る目がある。


「……こんなはずじゃなかったのに」


 年上キャラのセオには、上司のようにではなく、年上に甘える女子高生として接したかった。

 それなのに、うっかり年下を相手にするような接し方をしてしまった。

 何を隠そう、セオは元の世界の『私』よりもちょっぴり年下なのだ。

 ついうっかり先輩ムーブをかましてしまったのは、そのせいかもしれない。

 今の私はローズ、つまり女子高生で、セオよりもずっと年下の設定なのに。


「今から路線変更はできるかしら。『ローズ、ムズカシイことはわかんなぁーい』とか言えば、無知な子どもに見えるかしら?」


「ローズ様……その喋り方をこれからも続けられるのですか?」


「絶対に無理。今ですら鳥肌が立ったもの」


 自分が高校生になっているという事実だけでもなかなかに厳しいのに、無知な子どもフリまで追加したら、羞恥心がすごすぎて立っていられなくなりそうだ。




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