あれから何日が経っただろう。
私は自室から出ることもせず、自堕落な生活を送っていた。
追加で届いたお見舞いの品や手紙は、届いた状態のまま机の上に並んでいる。
届いたものの中に生花は無かったので、数日置きっぱなしでも問題は無いだろう。
すでに届いていた生花は……水を替えたのはいつだったか。
ナッシュに任せていたが、そのナッシュをしばらく部屋に入れていない。
何度か訪ねて来ていたが、誰かと会う気にはなれず、ここ数日はナッシュともドアを挟んで会話をするだけにとどめている。
さすがに、このままで居続けるわけにはいかないだろう。
気力を溜めるためと言って部屋に閉じこもっていたが、一人で部屋に閉じこもることが鬱々とした気分を加速させることに、ようやく気付いた。
気分転換がてら、少しでも外に出た方が良さそうだ。
「でも気分転換と言っても、学園内には癒される場所なんか無いし……」
と考えたところで、原作ゲームでは学園内にウサギ小屋があったことを思い出した。
ほとんどの生徒が存在を知らないが、確か厩舎の奥にあったはずだ。
時計を見ると、朝の六時。
まだ登校の時間ではないから、生徒とすれ違うこともない。
私は簡単に身支度を整えると、数日振りに自室を出た。
* * *
「厩舎の鍵が開いているといいのだけれど」
独り言を呟きながら到着した厩舎では、タイミングよくセオが馬の世話を行なっていた。
「おはようございます。朝、早いんですね」
私に声をかけられたセオは、掃除を中断して私に近付いてきた。
用務員服にはたくさんの干し草が付いている。
「ローズ様。こんなところにいると綺麗なドレスが汚れてしまいますよ」
「汚れるから私服を着てきたんです」
この学園の制服は洗濯が難しそうだったため、今の私はいくらでも替えのある私服を着ている。
セオは綺麗なドレスと表現したが、部屋にあった中で一番地味な服を選んだつもりだ。
それでも服の素材自体は高級そうなので、確かに厩舎には相応しくないかもしれない。
「汚れることを承知しているのならいいのですが……どうしてここへ?」
「散歩の途中で、厩舎が開いているのを見つけたもので」
実際は厩舎目がけて来たのだが、公爵令嬢のローズが朝から厩舎に向かうのは変かもしれないと思い、それらしい理由を述べておいた。
「用務員さんは仕事が忙しそうなのに、馬の世話まで任されて大変ですね」
私の言葉にセオは一瞬キョトンとした後、近くにいた馬を撫でた。
「いいえ。馬の世話は命令されたのではなく、自分から申し出たのです。自分は動物が好きなので」
「さすがに仕事を抱えすぎている気がするけれど……動物は癒されますよね」
「はい! だから動物たちの世話は自分にとって、仕事ではなく癒しなのです。彼らと触れ合うことで仕事の疲れが吹き飛ぶんですよ」
セオが目を輝かせながら力説してきた。
なぜか目の前にいる白い馬も、セオの意見を肯定するように何度も頭を動かしている。
「それにしても馬って結構大きいんですね。でも……良いかも」
ウサギを目当てに厩舎へやって来たのだが、近くで見ると馬も可愛いかもしれない。
サイズ的には私よりも大きいが、つぶらな瞳にツヤツヤの毛並みで、思わず撫でたくなる魅力を感じる。
「触っても平気ですか?」
「この子は人懐っこいので、撫でても問題ありませんよ」
許可が出たので、そっと馬に触れてみる。
温かくて毛並みが良くて、撫でていると癒される。
「この子は、戦地へ連れて行くには温厚すぎるので、学園内での乗馬用に飼育されています」
「馬をこんなに近くで見たのは初めてですが、可愛いですね」
「ふふっ。今は可愛いですが、走っている姿はカッコイイんですよ。この子」
セオは、今まで見た中で一番幸せそうに微笑んでいる。
心の底から動物が好きなようだ。
馬も、私に撫でられながらも、目はずっとセオのことを見つめている。
「用務員さんは動物が好きなだけあって、動物からも愛されているんですね」
「言葉は通じずとも、愛情を込めて世話をすれば、気持ちは伝わりますから」
原作ゲームでセオは、動物の心を掴む能力に長けていた。
世話をしている動物だけではなく、初めて出会う野生の動物とも仲良くなることが出来たはずだ。
しかも動物の中には魔獣も含まれていた。
「自分の曾祖母が魔獣に命を助けられた経験から、我が家では動物を愛することを家訓としています」
「魔獣が人間を助けることなんてあるんですか? ……あの、あなたの曾祖母様が嘘を吐いていると言いたいわけではなく、一般論として」
「分かっています。世間の認識では、魔獣は害獣ですから」
害獣、もしくは害獣ではなくとも人間とは関わらない生物。
この世界で魔獣はそういった位置付けのはずだ。
「ですが、人間にも善い人間とそうでない者がいるように、魔獣にも善い魔獣とそうでない者がいます」
「なるほど。考えてみると、個体差があって当然ですね」
「……自分の個人的な意見を言わせてもらうと、愛を込めて接すれば、どんな魔獣とも分かり合えると思います」
それはどうだろう。
例えば野生の熊やライオンと出会った際に、愛を込めて接しても通じない気がする。
動物と心を通わせられるセオなら可能なのかもしれないが、少なくとも私には無理だ。
「おっと、ずいぶんと引き留めてしまいましたね。お散歩中でしたよね?」
「散歩はもう十分で……その、実は、ウサギ小屋を見せてほしいんです」
私がウサギ小屋の話題を出すと、セオは目をぱちぱちと瞬いた。
「ウサギ小屋のことをよく知っていましたね。ローズ様はまだ学園に入ったばかりなのに」
「あー、えっと……王子殿下が話していたような、そうでもないような……?」
あまり知られていないウサギ小屋の存在を、新入生が知っているのは不自然だったかもしれない。
エドアルド王子の名前を出せば誤魔化せるだろうか。
「ではお目当てのウサギ小屋に案内しますね。こちらへどうぞ。足元に気を付けてくださいね」
どうしてウサギ小屋を知っているのか問い詰められたらどうしよう、エドアルド王子に真偽を確かめられたらどうしよう、と焦っていたが、セオは特段気にしていない様子だった。
むしろ私がウサギ小屋を知っていることを喜んでいるようにも見えた。
セオについて行くと、厩舎の外に案内された。
先程よりも太陽が高く昇っていて、少し眩しい。
「わあ、可愛い!」
案内された先には、何匹ものウサギが飼育されている小屋が設置されていた。
「今朝はまだウサギたちにエサをあげてはいません。エサやりをしてみますか?」
「いいんですか!?」
私は餌の入ったバケツを持ったセオとともに、ウサギ小屋に入った。
バケツからいくつかの野菜をもらい、ウサギに向けて差し出してみる……が、ウサギはセオがエサ入れに入れた野菜ばかりを食べている。
「来てくれない……」
「ふふっ、こういうつれない態度も動物の魅力だとは思いませんか?」
「そうなんですけど、そうなんですけどー!」
私が複雑な気持ちになっていると、セオはエサ入れに近付こうとしない一匹のウサギを抱えて連れてきた。
そして私の太ももの上に乗せる。
「この子は他のみんながエサを食べているときには、エサ入れに近付かないんです。ボスのウサギに嫌われているので、近付いても追い払われてしまいますから」
「ウサギ社会も大変なんですね」
試しにそのウサギに野菜を差し出すと、少しの間警戒してから、ウサギは私の差し出した野菜を食べ始めた。
「食べましたよ!」
「ええ。エサ入れには近付かないものの、お腹は空いていたのでしょう」
ウサギは警戒を解いたのか、私の差し出す野菜を次から次に食べている。
その様子をセオは、微笑みながら見守っている。
「可愛らしいですね」
「はい。耳がぴょこっとしていて、愛くるしいです」
「ウサギもですが、あなたも」
…………私?
聞き間違いかと思って振り返ると、セオは頬を弛ませながらこちらを見ていた。
「自分、可愛いものが好きでして」
「えっと……そう、なんですか……?」
「動物が好きで可愛いものが好きで、だから小動物を見ると堪らない気持ちになるんです。ありとあらゆる甘やかしをしたくなってしまいます」
セオの中では、私もウサギと同じ分類なのだろうか。
何と返したらいいのか分からず、私は曖昧な返事をしておいた。
するとセオは、一瞬で表情を真面目なものへと戻した。
「生きていると、辛いことが山のようにあります。そんなとき、動物に癒されたくなったら、いつでも言ってくださいね。同じ動物好き仲間として歓迎しますよ」
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと同時に、セオはまた幸せそうに頬を弛ませた。
* * *
放課後になると、部屋にナッシュがやってきた。
ここ最近はドアを挟んで会話をするのみだったが、今日は動物たちに癒されたおかげで気力があったため、部屋の中に入れることにした。
「お嬢様。今日は体調がよろしいのでしょうか?」
「ええ、昨日までと比べたらずっといいわ」
「でしたら、町へ行きませんか?」
ナッシュの予想外の申し出に驚いた。
そういえば、そろそろ新入生も外出許可が下りる頃だった。
私は今日も授業棟へは行っていないため聞かされていないが、きっと外出許可が下りたのだろう。
「気晴らしにお買い物などいかがでしょう。レストランでお食事をするのもよろしいかと」
「そうね。ジェーンに例の本を取りに戻ったご褒美を買ってもいいかも」
「では……!」
「ええ。町へ行きましょう」