ローズとウェンディとランチを共にしたときのことだ。
ローズが僕に意見を言った。
このことに、僕はひどく驚いた。
腹が立ったわけではない。純粋に驚いたのだ。
意見を言うほどに、彼女は僕に興味があったのか、と。
* * *
婚約者としてローズを紹介されたのは、僕がまだ十歳の頃だ。
僕自身は結婚など考えもしない年齢で、正直なところ婚約者に会うのが億劫だった。
同年代の女の子とは何を話せばいいのか分からなかったし、性格の悪い相手だったらどうしようかと不安でもあった。
「ごきげんよう、エドアルド王子殿下。ローズ・ナミュリーと申します」
「は、はじめまして。本日は、ようこそお越しくださいました」
婚約者としてやって来たのは、僕よりも少し幼い少女だった。
しかし、八歳の子どもに対する表現としてはおかしいかもしれないが、当時の僕はローズのことを「大人びている」と感じた。
落ち着いた仕草も、神秘的な黒髪も、社交辞令交じりの微笑みも、すべてがローズを大人っぽく見せていた。
僕は一目で、彼女が婚約者なら結婚も悪くない、とさえ思った。
「…………」
「…………」
しかし、そう思ったのは最初だけだった。
ローズと二人きりで会うようになって、すぐに僕は困難にぶち当たった。
会話が続かないのだ。
「今日のお菓子はどうかな? 僕のお気に入りなのだけど」
「とても美味しいですわ」
「それはよかった」
「…………」
「…………」
このお菓子には何の材料を使っているとか、僕がどうしてこのお菓子を好きなのかとかは……聞かないのか。
別に食の好みを語りたいわけではないが、会話の取っ掛かりになると思ったのに。
「花瓶に生けてあるこの花は、庭園で咲いていたものなんだ」
「とても綺麗ですわ」
「綺麗だよね」
「…………」
「…………」
庭園を見てみたいとは言ってくれないのか。
この花が欲しいとも言ってくれないのか。
僕と好みが同じで嬉しいとは……当然言ってなどくれないか。
自分と同じくらいの年齢の女の子との会話が、こんなに難しいとは思わなかった。
僕がもっとグイグイ話せばいいのかもしれないが、定型文のような相槌しかくれない人を相手に話し続けられるほど、僕の心は強くはなかった。
端的に言うと、ローズが僕に全く興味がなさそうで、居たたまれなかった。
ローズもいきなり婚約者を決められて、嫌な心持ちだったのかもしれない。
ローズは女の子だし僕よりも年下だし……それにしたって、もう少しくらい僕に興味を持ってくれても良くない?
「ローズは、僕のことが嫌い?」
「そんなわけはございませんわ」
「…………」
「…………」
僕は馬鹿か。
誰だって自国の王子のことを、面と向かって嫌いなどと言うはずがないだろうに。
「やあ、エドアルド。ご一緒してもいいかな?」
そのとき、ガーデンテラスに兄様が現れた。
続かない会話に頭を悩ませていた僕には、兄様が救世主に見えた。
きっと先日兄様にローズとの会話が続かないという悩みを打ち明けたから、心配して見に来てくれたのだろう。
「こんにちは、小さなレディ。私はエドアルドの兄、サミュエル・フォン・ジャルディン。同席を許してくれるかい?」
「お初にお目にかかります。ローズ・ナミュリーです。もちろんです、未来のお義兄様」
「未来のお義兄様だって、エドアルド。君の婚約者は可愛いことを言ってくれるね」
「からかわないでください、兄様」
僕は熱を持ち始めた自身の頬を、両手で覆って隠した。
「エドアルドも私も犬が好きなのだけれど、レディは好きかな?」
「普通ですわ」
きっと兄様はローズが犬を好きだと言ったら、犬と一緒に遊ぶことを提案するつもりだったのだろう。
犬と遊ぶなら、会話が続かなくてもたいして問題は無いから。
しかしローズには「普通」と答えられてしまった。
僕ならここで会話が終わるのだが、兄様は違った。
「レディは、犬が見ている世界と人間が見ている世界が違うって話は知ってるかな」
「どういうことですか?」
「犬は人間ほど識別できる色の種類が少ないんだよ」
「同じ世界で生きているのにですか!?」
「そうだよ。同じ世界でも、見る者によって見え方は様々なんだ。じゃあ昆虫には目が大量にあるって知ってた?」
「あんなに小さい生き物なのに、目がたくさんあるんですか!?」
他にもローズは、兄様の話す協会や聖女の話に興味を示していた。
ナミュリー家は協会を信仰していない。だからこそ兄様の話は知らないことだらけで、ローズにとっては面白かったようだ。
それ以外にもローズは兄様の語る小難しい話題に興味を示していた。
どうやらローズは知識欲が多い性分らしい。
一方で、関心のないものにはとことん興味を抱かない。
菓子にも、花にも…………僕にも。
それから僕は、ローズの興味を引けるような知識を手に入れるため、山のように本を読んだ。
様々な土地に赴き現地の人間の話を聞き、ある分野の専門家や知識人の話に耳を傾け、社会勉強としていくつもの会議に顔を出した。
結果として、今の僕があるのは、ローズのおかげとも言える。
肝心のローズの関心は、得ることが出来なかったが。
成長するにつれて、ローズは僕に言い寄ろうとする女性に厳しく当たるようになった。
……僕自身に興味は無いくせに。
どうやらローズは、自分が第二王子の婚約者だということには誇りを持っているようだった。
ローズは、僕エドアルドとではなく、この国の第二王子と結婚するのだ。
では僕は、何なのだろう。
きっと僕は……肩書きだけの、中身の無い人間。
ローズと一緒にいると、嫌でもそのことを思い知る。
必死で知識や経験を詰め込んでも、なおローズにとって僕は中身の無い空虚な存在でしかなかった。
そして……愛はいつしか憎しみへと姿を変えた。
僕に言い寄る女性を蹴散らすローズが、憎らしくてたまらなかった。
僕のことは見もしないのに、僕に感情をぶつけることはないのに、どうでもいい女性には嫌がらせという感情表現をしているローズが、憎くてたまらなかった。
手に入らない愛が、これほど醜悪な人間を作ってしまうとは。
見返りを求めない愛が真実の愛だと言う者もいるけれど、愛する人に愛されたいと思うのは、果たしておかしなことだろうか。
醜く面倒くさく歪みながらの愛が、真実の愛ではないと言い切れるだろうか。
* * *
そのまま数年が経ち、ローズに愛を求めることに疲れてしまった僕は、他に目を向けるべきかもしれないと考えていた。
そうでなければ、きっと僕の心が壊れてしまう。
この愛が渇望の果てに狂気を孕んでしまう前に、僕のことを愛してくれる人と新しい愛を育む必要がある。
「しかし……ローズは今日、僕に意見をした」
僕の提案は良くないものだと、はっきりそう言った。
僕の言葉に、否定の感情を返してきた。
「……ローズは僕に興味がなくとも、間違ったことをしたら注意をしてくれるのか」
権力を持てば持つほど、間違いを正してくれる者が周りから減っていく。
その点を考えると、ローズは僕の婚約者として適任だ。
そして、そんなことよりも。
「八年経ってやっと、ローズに僕を見てもらう方法が分かった」
もしかすると、僕に目を向けてくれている今なら、ローズにもっと僕を見てもらえるかもしれない。
第二王子という肩書きではない、この僕エドアルド・フォン・ジャルディンを。
「さすがにもう他に目を向けようと思っていたけれど……もう少しだけ頑張ってみようかな」
独り言を呟きながら自室に置かれた花瓶へと手を伸ばす。
そして花瓶の中で美しく咲く薔薇の花を、そっと撫でた。