昼休みの屋上。
柔らかい春の日差しと絶品の焼きそばパン。
泉森幹(いずもりみき)は、最後のひと欠片を口に放り込んで満足気な溜息をついた。
彼の平和な昼下がりをぶち壊すように、屋上の扉が乱暴に開く。
「イズモンよぉ……俺様の焼きそばパンは手に入ったんだろうな」
現れるなりちょっと凄んでみせる大柄なクラスメイトに、幹は右手を差し出した。
「ぁんだよ……」
バカにしたような薄ら笑いには何の反応も見せず、幹は無表情でボソリと言う。
「俺は必ず手に入れる。あんたはちゃんと金を払う。それが約束だ。カツアゲのつもりならパンは譲らないし、二度とパシリもやらない」
大柄な男、平岡は面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。
反抗する様子もなくパシリに応じる幹が、しかし平岡の圧にビビりもせず対等にものを言う。
「なんだぁお前、何様だ〜?」
平岡の腰巾着、痩せっぽちの小野が、いきがって一歩詰めて来る。が、それを平岡が引き止めた。
「ほらよ」
百円玉を四つ、投げるように寄こす。
幹から焼きそばパンを二個受け取って、二人は屋上の扉へ向かう。
「あんな奴、ちょっと脅せばタダで取れたんじゃないの〜?」
小野がつまらなそうに言うと、平岡は、いや……と肩をすくめた。
「どうやってんのか知らねぇんだけどよ、あいつの焼きそばパン獲得率は今の所ハズレなしだ……最高のパシリを他の奴に取られたくはねぇからな」
平岡がちょっと忌々しげに言う。
小野が意外そうにへぇ〜……と言うのを聞きながら、幹は立ち上がる。
屋上の扉がバタンと閉まるのと同時に、身長より高いフェンスを軽々と乗り越えた。校舎のコンクリートの縁に指を掛けて、躊躇なく宙へ体を投げ出す。
体がしなやかに弧を描き、両足は、一階層下のベランダにしっかりと着地した。
ここは誰も使っていない理科準備室のベランダ。幹の教室は隣だ。
境界を仕切る防火壁の側でちょっと気配を窺って--ベランダの手すりに手を掛けると、ひょいと二年A組のベランダへ滑り込むように飛び移った。
四階のベランダに「外側から」現れた彼に、誰も気付かない。
地味で寡黙な泉森幹の存在など、クラスメイト達の眼中に映りはしない。「モブ妖怪イズモン」と影で呼ばれるほど、取るに足らないモブ中のモブでしかないのだ。
学校の購買部で一番人気の焼きそばパンは、毎日激しい争奪戦だった。
それを必ずゲットしている幹に気付いたのが平岡だった。モブの昼食の様子に気が付くとは鼻の利く男だ。
そして強引なパシリ契約。
幹がそれを甘んじて受け入れたのは、トレーニング強化のためだった。
そう、幹が誰よりも早く購買部へたどり着く理由は、パルクールやボルダリングの技術を駆使して最短距離を最速で移動しているからであった。
だが、いくら絶品の焼きそばパンと言えど、弁当を持ってくる日もあれば、カップ麺が食べたい日もある。
正直に言えば、トレーニングが面倒臭い日だってあるのだ。
だけど、パシリ契約をしてしまえば、手に入らなかったなどと頭を下げるのは自分のプライドが許さない。必ず全力で遂行する事になると分かっていた。
のんびりと窓際の自分の席に座ると、ちょうど廊下側の入口から平岡と小野が教室に帰って来た。
さっき屋上に置き去りにしてきたはずの幹が自分の席で寛いでいるのに気付いて、小野が驚愕に目を見開く。
気付かず前を歩いている平岡に声を掛けようとしたので、幹は表情のない目線を向けて、そっと人差し指を口元に当てた。
表情はないが、貫くような冷気を放つ目線に小野は震え上がった。
気味の悪い物を見てしまったかのように、喋ったら祟られると悟ったかのように、青ざめた顔で小野は口を噤んだ。
今日も平和だ……
午後からの授業が始まるまで、幹は陽の当たる窓際で微睡んで過ごすのだった。