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蟲毒のハコ
蟲毒のハコ
NIWA
ホラー都市伝説
2025年05月15日
公開日
9,356字
完結済
「このマンション、何かおかしい」──とある物件の真相を探ろうとする事故物件サイトの運営者。しかし彼はすぐに物件の背後に潜む底知れぬ悪意に気づく。

第1話「厄ネタ」

 ◆


 早朝。


 朝の光が差し込むより早く、小島輝樹はいつものようにブラックコーヒーを傍らにノートパソコンの画面と向き合っていた。


 彼が運営する事故物件情報サイト「こじてる」の管理画面には、夜の間に寄せられたであろういくつかの通知が光っている。


 新しい投稿、関連ニュースの自動収集ログ、そして、時折混じる真偽不明のタレコミ。


 このサイトを立ち上げたのは、彼が以前、不動産仲介の営業マンとして働いていた頃のあのどうしようもない憤りが発端だった。


 客に伝えるべき情報を平気で隠し、時には歪めてまで契約を取ろうとする。


 そんな業界の空気に、彼は馴染むことができなかった。


 だから「こじてる」は彼にとっての小さな抵抗であり、誰かの不幸を少しでも減らせるかもしれないという、ささやかな希望でもあった。


 もちろん彼自身が住むこの都心の分譲マンションは、そんなとは無縁の、清潔で静かで日当たりの良い場所だ。


 そのコントラストは、彼を時に皮肉な気分にさせる。


 送られてくる情報のほとんどは取るに足りない都市伝説の亜種か、誰かの悪ふざけに過ぎない。


 小島はそれらを感情を挟まず、ただ機械的に仕分けしていく。


 それが日常だった。


 しかしここ数日、彼の注意を引く名前があった。


 ──「マリスネスト四番館」


 そのマンションに関する不穏な情報がここ最近妙に多い。


 初めは「またか」と読み飛ばしていた。


 §


「友人がマリスネスト四番館に引っ越してから、どうも様子がおかしくて……先日、手首を切ったと連絡がありました。あのマンション、何かあるんでしょうか」


「マリスネスト四番館、家賃が異常に安いと聞いています。でも、入居者が次々といなくなるとか、良くない噂ばかり耳にします。詳細をご存知でしたら教えてください」


「あそこはヤバいって、地元じゃ有名ですよ。面白半分で近づかない方が身のためです」


 §


 似たような文面、同じマンション名。


 これが一件や二件ならよくある話だ。


 だがこうも短期間に立て続けとなると、これはもうやはり何かある。


 小島はキーボードを叩き、「こじてる」が蓄積してきた膨大なデータアーカイブと、公的機関の公開情報をクロス検索する。


「マリスネスト四番館」


 検索結果が表示されるまでの数秒が、やけに長く感じられた。


 そして表示された数字に、彼は思わず眉をひそめる。


 過去五年で、警察が公式に自殺として処理した案件が18件。


 それとは別に孤独死として届けられているが、状況に不審な点が残るものが20件。


 同じ地区、同程度の築年数と規模を持つ他のマンションと比較して、その発生率は明らかに突出している。


 小島はひとまず管理会社とされている不動産業者へ、当たり障りのない文面で問い合わせのメールを送ってみた。


 返ってきたのは「公開情報の通りです。それ以上の詳細は把握しておりません」という予想を裏切らない、つるりとした手触りの回答だった。


 警察の広報情報を見ても個別の案件として扱われているだけで、連続性や事件性は見当たらない。


 だがそれで引き下がる小島ではなかった。


 古い電子掲示板のログ、閉鎖された個人のブログ、SNSの魚拓。


 ネットの海の底に沈んだ情報を、彼は執念深くサルベージしていく。


 そこには公式見解とは全く異なる、生々しい声がいくつも転がっていた。


 §


「マリスネスト四番館、審査ガバガバだから金なくても余裕で入れたわw」


「保証人? いらなかったよ。なんか裏でもあるのかね、あのマンション」


「家賃が安いのには理由があるってことだろ。普通の神経してたら住めないって」


 §


 公表されているデータと、現場から漏れ聞こえる噂。


 その間に横たわる、不気味なほどの乖離。


 小島の胸の奥で、カチリ、と小さなスイッチが入る音がした。


 目の前に置かれた複雑なパズルを前にした時のような、純粋な知的好奇心。


 彼はモニターに映るマリスネスト四番館の飾り気のない外観写真を、食い入るように見つめた。


 何の変哲もない、どこにでもありそうな集合住宅。


 だがその無表情な壁の向こう側で、一体何が蠢いているというのか。


「暇つぶしにはなりそうだな」


 口の端にごくわずかな笑みが浮かぶ。


 すぐに「マリスネスト四番館」という名のフォルダをデスクトップに作成し、収集した情報を手際よく分類していく。


 指はもう次の検索キーワードを打ち込み始めていた。

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