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1.あニャたに良縁引き寄せます♥

 羽理うりの勤める『土恵つちけい商事』は、土日が休みのいわゆる週休二日制。


 大変有難いシステムだが、羽理は恋人もいなくて外出予定のない人間は、二日ある休みのうち大抵一日を無駄に過ごすに違いないと勝手に決めつけている。


 現に羽理自身、今朝方まで録り溜めていた恋愛ドラマを一気観してしまった結果、昼過ぎまで惰眠をむさぼる羽目になってしまったのだから。


 せっかくの休日に半日も寝てしまうとか、勿体なさすぎる。


(半日あったらの!)


 そんなことを思いながら、冷蔵庫から取り出したばかりのパック入りの甘いいちごオレをと飲みつつ、他人様ひとさまには決して見せられない、姿のままパソコンに向かっている羽理なのだ。


 少し癖っ毛なミルクティーベージュの髪の毛は、黒いゴムで耳の横、テキトーに横結びにしてある。


 今現在貴重な休日を半日ばかり寝倒して無駄にしたことを悔やみながら一心不乱にキーボードを叩いている羽理なのだけれど、別に仕事をしているわけではない。


 実は羽理、〝夏乃なつのトマト〟というペンネームで、『皆星ミナホシ』という小説投稿サイトに、ちょっぴりエッチな、大人の女性向け恋愛小説を投稿するのが趣味な隠れ創作女子で。


 今、『皆星ミナホシ』で職場の直属の上司――財務経理課長の倍相ばいしょう岳斗がくとをモデルにした、普段はのほほん。ベッドでは絶倫ドSなギャップ萌えヒーローが、新人OLとめくるめくオフィスラブを繰り広げる『あ〜ん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』という連載ものを執筆中。


 出だしからエッチ全開な展開にしたのがよかったのか、固定の読者様もそれなりについて、毎日楽しく書かせてもらっている。


倍相ばいしょう課長って普段はおっとりしてて優しいけど、絶対ベッドではドSだったりするのよ)


 チューッと、勢いよく甘ったるい液体を吸い上げながら、勝手にそんなことを考える。

 パッケージに盛大に汗をかき始めたいちごオレは、さっきまではキンキンに冷えていたのにほんの少しぬるんで感じられた。それが何だかとっても残念に思えてしまう。


 倍相ばいしょう岳斗がくとは下手をすると後頭部に寝癖がピヨンと跳ねたまま出社してしまうような、のほほんとしたおっとりさん。

 でも仕事は早いし、その上きっちり丁寧で、誰に対しても平等に優しい理想の上司だ。


 羽理うりより五つしか上じゃないのに、財務経理課長なんてやっているのも凄いと思う。


 それに――。


倍相ばいしょう課長の手、指がスッと長くて大きくて、骨ばってる所がめちゃくちゃんだよね)


(あんな手であちこち触れられたら、きっと自分では到達できない境地へ至れるに違いないわっ!)


 はぁ〜、うっとり♥


 エッチなんてしたことがないくせに、日頃の読書たんれん賜物たまもの。妄想力だけは人一倍の羽理である。


 そんな羽理。実は人様より手足が小さめなのだ。

 同年代の女性と手比べなんかをすると、第一関節分は負けてしまう感じ。


 それで、だろうか。


 手の大きな男性に惹かれてしまう傾向がある、いわゆる手フェチというやつで。


 顔が少々好みでなかったとしても、手が好みのドストライクだったりしたらついついエッチな妄想をしてしまう。


(いや、倍相ばいしょう課長は見た目も性格もめちゃめちゃ好みなんですけどねっ)


 羽理は新卒で今の会社――土恵つちけい商事に入社して、財務部経理課に配属されて以来、密かに上司である倍相ばいしょう岳斗がくとに絶賛片思い中だったりするのだ。


 とは言え、あくまでも〝観賞用〟として。


(推しは遠目に見るに限る! お手つき厳禁!)


 下手に関わりが深くなって、せっかく自分の妄想の中で長年かけて育て上げてきた完璧な人物像が崩れてしまっては一大事。


(お付き合いするなら職場の人は避けたい!)


 大学三年生の頃、同じ学部の同級生と付き合った結果、破局してから卒業するまでの約一年間が本当に辛かったのを覚えている羽理なのだ。


 浮気されて傷つけられたのは自分だったはずなのに、いつの間にか羽理が彼氏をないがしろにしたのが悪いと、情報をねじ曲げられていたから。


(あんな思いはもう沢山!)


 逃げ場のない人間関係の中で、恋愛はしたくない。


 憧れと恋慕は別物だもの。


 羽理は漠然とだけどそんなことを思っている。


 そう。羽理はその辺をしっかり考慮して、一線を引いて生活が出来る偉い社会人なのだ。


 無論、上司をおかずにエッチな恋愛小説を書いている時点で問題ありだと言うことを、しっかりきっちり丁寧に、美しい包装紙でくるんで棚上げした場合、の話ではあるけれども。



***



「ん〜! 疲れた!」


 今日は半日で一万字ちょっと書けた。


 羽理うりの投稿しているサイトは一頁が大体八〇〇字前後なので、向こう十日間ちょっとストックが出来たことになる。


 基本自転車操業常習者の羽理にとって、一週間以上もゆとりが出来たのはとても大きい。


 もちろん、書きっぱなしというわけには行かないから少し時間を置いて読み直して推敲すいこう作業をしなくてはいけないけれど、それにしたって下地があれば全然違う。


「今日の私、すんごい頑張った♥」


 めちゃめちゃ気分が良いではないか。


 ずっとほぼ同じ姿勢でパソコンに向かっていた身体がギシギシときしんで、グーンと身体を伸ばしたのとほぼ同時。


 グゥーッとお腹の虫が鳴いて、羽理は昼過ぎに起きて来てからこっち、二〇〇ml入りのいちごオレしか口にしていなかったことに気が付いた。



「さすがにお腹空いた……。コンビニに何か買いに行こうかな」


 一生懸命頭を使ったので、正直自炊する気力は元より皆無。


 こういう時二十四時間いつでもウェルカムなコンビニの存在は本当に有難いなと思って。


(今の時間帯ならスーパーもまだ開いてるよね)


 時計を見ると十九時を回ったところ。

 コンビニと違ってスーパーだとお弁当やお惣菜は残り物がタイムセールになっている時間帯だ。


 でも、それだけに選べる種類に限りが出てしまう。


(やっぱコンビニにしよ♥)


 一番近くのコンビニ『セレストア』まで徒歩五分。


 ちょっとそこまで、の距離ではあるけれど、お出かけするとなるとそれなりの格好にしなくてはいけないだろう。


 そんなことを思ってふと見れば、いつもパジャマにしているLサイズおおきめTシャツのまま、着替えてすらいなかった。


(わ〜、私。いくら彼氏が居ないからって干物すぎるっ)


 とても絵空事の中で胸キュンドキドキな、(エッチな)恋愛ものを書いている人間の所業とは思えない。


 このTシャツ。

 猫好きの羽理の気持ちを如実にょじつに物語るみたいに、胸元からおへそ辺りにかけてド真ん中。

 一本筋が通るみたいに「猫の下僕」と豪快な筆文字で縦書きにドーンと書かれているのだけれど。


(女子力どこに置いてきたっ)

 自戒を込めて、そう突っ込まずにはいられない。


 羽理は、毎日何かしら猫にちなんだデザインのダボダボなTシャツをパジャマにしている。


 暑くなってからはTシャツの丈が長いのをいいことに、お風呂上がりから朝起きて外行き用の服に着替えるまでずっと。下はショーツオンリーで、もちろん上はノーブラ上等な有様。


 さすがにこのままでは出られそうにない。


 とりあえず――。


 そう思った羽理は、こういう時の必殺アイテム。

 紺地に白の縦ストライプが入ったシャツワンピースをクローゼットから引っ張り出した。


 肩がパフスリーブになっていて、ウェストがリボンで絞れるデザインになっているそのワンピは、着ればあっという間に〝それなり〟に可愛く見せてくれる優れものアイテムだ。

 スカート丈もひざ下ぐらいで程よく肌を隠してくれるのも嬉しい。

 胸元が開襟かいきんになっているから暑くないし、羽理お気に入りのよく着るヘビロテアイテムだ。


 ブラジャーだけはしないとまずいので、スポッとかぶるタイプの楽ちんブラをタンスから引っ張り出した。


 ショーツがピンクでブラが黒。


「わー、見事にバラバラ」


 我ながら終わってる!と思いながらも、誰かに見せるあてがあるわけじゃなし。

 まあいっかと開き直る。


 荒木あらき羽理・二十五歳。

 彼氏いない歴が三年目を超えた彼女は、別に容姿が悪いわけでも性格が悪いわけでもない。


 ただ単にあの散々な別れ以後、素敵な出逢いに恵まれなかっただけの可哀想なお一人様だ。


 とはいえ――。


 シングル期間が長すぎて、最近は自分でもヤバいなぁと思う程度には喪女もじょ(モテない女)モードに突入気味。


 いくら社内恋愛はしたくないとはいえ、今のまま会社と家の往復を繰り返していたのでは、取り返しのつかないことになるのでは?と焦りもあったりなかったり。


(あーん。倍相ばいしょう課長ほどの優良物件じゃなくてもいいから、私をグイグイ引っ張ってくれるようなドSで絶倫な殿方、どこかにいないかしらっ)


 なんて勝手に、倍相ばいしょう課長の性格を自作のヒーローに重ねて妄想しつつ。


「……とりあえず腹ごしらえしよ」


 まるで馬鹿な妄想はおやめなさい、とでも言うように、「グゥ」っと鳴ったお腹に催促されて、羽理は一旦恋人問題については保留することにした。



***



(えっ。なになに? 何事!?)


 一日中家に引きこもっていた羽理は、アパートの七階からエレベーターで下まで降りてきたと同時、ソワソワと違和感に包まれる。


 建物前を、浴衣姿の人が数名通過していくのが見えたからだ。


 七階にいるとさすがに下の音は余り聞こえてこなくて気付かなかったけれど、どうやらどこかでお祭りがあるらしい。


 微かにお囃子はやしの音も聞こえてきて、羽理の中の大和魂やまとだましいに火が付いた。


(覗いてみよっかな♪)


 コンビニ弁当も悪くないけれど、出店で何かを買い食いするのも悪くない。


 そう思うと、イカ焼きや焼きもろこし、焼き鳥、焼きそば、綿菓子、リンゴ飴などなど……。祭りの定番メニューが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。


(どうでもいいけど焼きなんとか多いなっ)


 思わずゴクリと生唾を飲み込んだ羽理は、綺麗目に見えるワンピースを着て来て良かった、とヘビロテアイテムに感謝した。



***



 家族連れやカップルにまぎれて一人ウロウロ出店巡りをしていたら、羽理はちょっぴり寂しくなってきてしまった。


 無論、羽理だって彼氏が欲しくないわけじゃない。


 恋愛ものを書いているのだって、結局は自分の中にある欲望を具現化させているに過ぎないわけだし。


(はぁ〜。どこかに良縁落っこちてないかなぁ)


 石垣に腰掛けて焼き鳥をくわえながらそんな事を思っていたら、植え込みの影からニャーンと鳴きながら尻尾の短い小太りな三毛猫が現れた。


「あら、ミケちゃん。貴方もひとりボッチ?」


 問いかけたら、猫は羽理が持つ焼き鳥に熱い視線を送ってくる。

 串には最後の一切れの鳥もも肉がポツンと残っていた。


「んー。あげてもいいけど味が濃いからちょっと待ってね」


 言って、串から甘ダレにまみれた鶏肉を抜き取ると、手拭き用にカバンから取り出していたティッシュで丁寧にタレを拭って猫の前に差し出した。


 三毛猫は美味しそうにそれを平らげてから、羽理をじっと見上げると、ニャーンと鳴いて走り去ってしまう。


 そのまま行ってしまうのかと思いきや、意味深に羽理を振り返るものだから、羽理は何だか気になって。


 焼き鳥のゴミと、まだ口をつけていない焼きもろこしと焼きそばとリンゴ飴の入った包みをギュッと握ると、羽理は三毛猫の後を追いかけた。



 ――と、神社の裏手。

 余り人気のない場所に、小さなほこらがあって。


 その前に、小太りなお婆さんが一人、小さな台の上に何やら広げて座っていた。


(あれ? ミケちゃんは……?)


 お婆さんに気を取られたせいだろうか。

 追い掛けてきたはずの三毛猫を見失ってしまった羽理は、所在なくそのお婆さんと見つめ合う格好になってしまう。


「いらっしゃい」


 予想に反して少し高い声音で話しかけられて、羽理はビクッと身体を跳ねさせた。


 チラリと周りの様子をうかがってみたけれど、人気のない場所。


 当然お婆さんと羽理しかいなくて。



「……こんばんは」


 仕方なく愛想笑いを浮かべながらお婆さんに近付いたら「お守り、ひとつ買って行かいかね?」と誘い掛けられた。


 ニャ、と聞こえた気がしたけれど、きっとずっと黙っていて急に羽理うりに話しかけてきたから、舌を噛んだか何かなさったんだろう、と思って。


「お守り?」


 お婆さんの前に置かれた台上に視線を落とすと、招き猫デザインのキーホルダーがずらりと並べられていた。


 愛らしい顔をした招き猫達はさくらんぼみたいにペアになってぶら下がっていて、各々おのおのが小判の代わりに白文字で「良縁」と書かれた真っ赤なハートを手にしている。


 縁結びのお守りだからだろうか。


 パッケージに『あニャたに良縁引き寄せます♥』と書かれていた。


(二匹いるのに持ってるハート、半分こずつじゃないんだ)


 二つをくっつけるとハートが完成するような、いかにも〝恋人同士が一つずつ持つような仕様〟になっていないところに好感度が爆上がり。


(そんなになってても渡す相手いないしね)


 それが寂しくてお守りにすがりたい羽理にとって、目の前のキーホルダーは、おひとり様にすごく配慮された形に見えてしまう。



「私、猫、大好きなんですっ」


 言いながらその中のひとつを手に取ったら「八百円です」とふくふくした手を差し出された。


 羽理はその手に千円札を載せると、「あ、お釣りはいいです。可愛いのを売っていただいたお礼です」とペコリと頭を下げる。



「親切お嬢さんに素敵な出会いがありますように」


 お婆さんが羽理のほうをじっと見つめてきて。

 思いのほか吊り上がった目を糸のように細めてニヤリと笑った。


 羽理は「ありがとうございます」と再度頭を下げると、手の中のお守りに向けて、「どうか……どうか……お願いしますニャ!」と殊更ことさら真剣につぶやいて、そそくさとその場を後にする。



 その瞬間、羽理の背後でお婆さんの吊り目が猫の目みたいにキラリと光ったけれど、当然羽理は気付かなかった。

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